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「貴重な体験で何よりだ」


 部長は落胆の色を込めてそう言って、長い指でテープレコーダーの停止キーを惜しみなく押した。長い指だ。すらりと白くて、かたちだけはいい、冷淡なしろだった。所作には無駄がないが、無関心であると不遜に訴えかけてくる分には無情ではある。


「……証言として主観的に過ぎますが」

「構わない、歳を考えれば仕方ないな」


 そして書類も同様であった。持ち前の金の髪を先に梳るほどに、価値の重みはない。何も読み返す挙動を見せることなく、書類はコーナーソファの隅に追いやられている。束となった軽い音のみが聞こえ、乱れた書類に見向きしない。

 ふと、部長の伏された瞼から青い虹彩が覗く。露骨に、自分は視線を反らした。彼がただ紙を受け取っただけで逃がす人物だと勘違いしてはいないが、微細な動きのみで苛立たせる。

 種族としては淫魔と登録されているらしいが、悪魔と訂正してもらたい。もしくはアスモデウス、兎の格好で誘う性欲を持った男――そういった化物とされた方がしっくりとくる。


 部長が平素身につける青の瞳は、自然に形容される程度に澄み切った端正さを持つ。だがそれは時に多勢を見下ろす傲慢さと毅然さも本性と相まって滲み出ている。そうして決まって口がその代弁をするのだ。仕事の話ならまだ良いが、一つ脱線するといつ寝るかではなく誰と寝たかに変わる。猥雑、それは部長の類義語だが、決まって眼は違っていた。自分は、笠井蓮としてその眼が嫌いだった。


 ――まあいいや


 腹立たしいが、今に限った話でもない。黙って目線を下ろした。

 対象者、松川太陽との会話には証言としては雑多なことが入り混じりすぎていた。それをまともな証言らしいものに抽出、切り落としては修正を繰り返して、一つの要綱にまで仕上げる。

 それ一枚で理解出来るように書くのも、報告書として必然の機能だ。自分の仕事として、彼の証言に対する疑念と考察も書き、ちゃんと事実と推測は混合せずに分けていた。


 ――それでも駄目か


 対して部長は何も変わらない。快い歓迎の意の欠片も見せず、発声をただ待ち構えていた。見様と気鬱によっては私に読ませるな、指図をするなと訴えているようにも見える。

 苛立っている様子ではない、不機嫌でもないが、ただただつまらないだろう。そしてそれを腹いせに、急所をつついてはほじくるのが部長の仕事だ。

 面白みのない書類を見て何が楽しいだろうかと言いたげに、紙の角を指で弾いた。


「他には?」


 組み替える部長の足は長い。

 つま先から声帯まで行き届く擬態は煽りに事欠かさず、スラックスの黒は威圧の黒へと上乗せされる。

 一つ、気休めに息をついて、現実へ立ち向おうと部屋を見回す。

 今の邸宅の一室、防音、室温管理等のオプションが無駄に完備された書庫。周囲を見回そうにも、本棚に陳列された白の背表紙に気が狂いかけた。


「ポルルンは誘拐の件込みで自作自演、事実とは著しい嘘の情報を流し込んでいます……松川から見た敵が作成したポルルン撃破のための結界、性質は一般人に対する隔離と一定時間の領域の創造と拡大」

「難しい話は紙で充分かな、君の想像は?」


 手の甲で紙を軽く叩く。中身は部長が来る前に暗記していたが、無力者の脳みそで暇を擦り潰す化物に通じないらしい。

 相変わらずの行動だと落胆した。笠井蓮カサイレンという自分に、この男はいやらしい。部下としても息子としてみても、その形のいい体で愉しむことを止めない。


「……とにかく、敵の出現込みで魔法少年の育成は意図的な計画かと。仮にゴーレムらがポポルンの敵だった場合、人間と組織の接触を何度も許している。拉致に成功しようが変化のない戦略で一般人との攻防を繰り返しているのは杜撰です」


 そして人間への口止めをする為の魔法すら施していない。役立たずにも程があると言おうとしたが、留めた。話が終わり次第、こういった魔法絡みの話は、瀬谷が更に深く調べ上げるはずだと飲み込んだ。

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