第4話 貴族的なご老人のお話
現在時刻午前九時。バス停に無職と子猫が身を寄せ合って縮まっている。先ほど意気揚々と動物病院を探しに玄関を出てバス停まで来たのだが、寒い。昨日とは比べ物にならない寒さだ。向かいの電気屋さんのショーウィンドウにあるテレビが告げる。〝本日は今年最も気温が低い日となります。防寒対策をしっかりして外出しましょう〟そんなにこやかに言われてもなぁ。何故だろう気象予報士の顔が悪意に満ちているように感じる。いや分かっている、あの笑顔も仕事だから仕方がない。それでも上着を一枚羽織るという無謀さで外に出てしまった俺にはそう見えてしまうのだ。よく見ると子猫も訝し気にテレビの中の気象予報士を見ていた。こらこら威嚇しないの。寒さの中スマホを睨みながら動物病院の場所を探す。……おかしい。近場の病院が見つからない。検索ワードを変えて調べてみても、出てくるのは訳の分からない地名ばかりだ。もしかしてこれは歩けと?スマホなんかに頼らず自分で探せという事なのか、神様?
くそう、誰か知ってる人はいないのか。バスが来るまであと五分ぐらい。こうなれば、もうバスの運転手さんにでも聞いてみよう。確かバスとかタクシーの運転手は、近場の事なら何でも知っていると教えられた気がする。姉貴だったかな。いやでも、姉貴の事は信用できないんだよなぁ。はぁ、寒い。俺を照らしていた太陽はいつの間にか雲の覆われ、元気を分けてくれない。頼むよ、雲さんどいてくれ。そんな呟きを聞き入れてくれるはずもなく、むしろ雲は濃くなっていく。何とかこの寒さを紛らわせないだろうかと考えているとふと、後ろから声をかけられた。よく通る澄んだ声だ。
「何処か行くのかい、兄ちゃん?」
「え、俺ですか?」
「俺も何も、あんたしかおらんだろうに」
振り向くと黒いコートを纏った老人がいた。見た目からして七十歳前後だろうか。身長はあまり高くない。シルクハットの帽子と合わさって、貴族さながらの雰囲気を醸し出している。よく見ると履いている靴も高級そうじゃないか?全くファッションを知らない俺でもそこだけは分かる。……高値の物には目ざとい自分に少し反省。
「あんまり見られると恥ずかしいのだが……」
「す、すみません」
「まぁ良い。それで何処かに行くのかね?」
「えぇまぁ、こいつを動物病院に連れて行こうかと」
「動物病院か。ふむ……」
そう呟いて老人は眼を瞑って、何やら考え出した。いったい何を考えていることやら。寒い中じっと待っているのは中々辛い。早くしてほしい。それからほどなくして、老人は眼を開きこう言った。
「もしまだかかりつけの病院がないのなら、今泉さんの所に行ってみると良い」
「今泉さんですか?」
「うむ。此処から五つ先のバス停で降りればすぐにわかると思うが。私が猫を飼っていたときによく世話になったのだが、要らんお世話かの?」
「いえいえ、何処に行くかあてもなくバス停に来たので有難いです」
本当に有難い。もしかしたらかなりも距離を歩くのかもしれないと、寒さと不安で少しだけ心が折れかかっていたので助かった。感謝感激感無量である。というか五つ先のバス停って、意外と近い所に動物病院あったんだな。スマホでは全く出てこなかったのに。
「そうか。なら良かった。此処で合ったのも何かの縁、名前でも教えてくれんかね?」
「柏木凛空です」
「私は
気が付けば子猫は、エコバックの中でうずくまっていた。もしかして意外と人見知りなのだろうか?上松さんが分かり易く落ち込んでいるのでなんとかしてみたのだが、結局顔を出すことはなかった。
そうこうしている内にバスが来た。バスに乗り込み乗車券を取り、振り返ると上松さんから注意が飛んできた。
「繰り返すが五つ目のバス停だからな。間違えるのではないぞ」
「ご心配どうも有難うございます。というか上松さんはお乗りになられないのですか?」
「私はただ散歩に来ただけじゃ。その割には随分と良い時間を過ごせたぞ」
「いえ、こちらこそ。ではまた」
「またと言っても多分近いうちに会えると思うがの」
それは一体どういう意味ですかと、問う前にバスのドアが閉まった。バスが走り出す。一礼して窓側の席に座る。徐々に小さくなっていく上松さんは、シルクハットを片手で上げて礼をしていた。そんなことをする人がこの世にいるなんてな。二次元の格好良い老人かよ。
####
久し振りに私は外を歩いていた。一人になってから外に出るのは買い物をするときだけだった。それもあまり頻度は高くない。本当にただの気まぐれだったが、中々に良い時間を過ごせた。それにしても、今でも子猫をエコバッグに入れている人がおるとはな。私も飼い始めた当初は娘に貰ったショッパー・バッグとかいうのに入れて歩いた。あの子猫を怖がらせてしまったのだけが申し訳ない。何故だが私は、初対面の動物には怖がられてしまう。いや、動物だけでなく人にもか。それに比べ婆さんの方には全員懐いていくのだから、悔しくてしょうがない。流石に我慢できなくて、婆さんに何か秘訣があるのか聞いたのをよく覚えている。
『動物が懐く秘訣を教えてくれんか?』
『そんなものはありませんよ。動物は勝手に懐いてくれんです』
『なら何故私には懐かんのだ』
『貴方は何というか優しすぎて近寄りがたいんですよ、動物も人間もね』
優しすぎて近寄りがたいというのは今になっても理解出来ん。普通、優しそうだから近寄っていかんかの?もうこれは永遠の謎じゃな。そうじゃ、凛空とか名乗っていた兄ちゃんに聞いてみるのも一つかもな。今度会う時にでも聞いてみるかの。彼の子猫を見る眼も優しそうな感じじゃった。似た者同士というのは少々おこがましいような気もするが、私に近い人だと思う。次に会えるのは年明けだろうな。楽しみじゃ。さて、此処まで来たのだしスーパーでも行こうかの。そういえば野良猫たちが帰って来る時間帯じゃし、魚でも買っていくかの。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます