第3話 紅い瞳

「起きて、着いたわ」

 春香さんに体を揺さぶられ、目を覚ます。どうやら寝てしまっていたらしい。

 研究所?を出る際、目隠しとヘッドホンをして車に乗った。

 当たり前のことだが、死んだ人が生き返ることは極秘中の極秘らしく、さっきまで自分が寝ていた研究所と思われる場所や、車のナンバーなど知られてはいけない情報が多いらしく、場所を特定されないように遠回りする必要もあると春香さんが言っていた。


 どこに連れて来られたのだろうか。

 春香さんは俺のつけていた目隠しとヘッドフォンを回収しているので、何か情報を得るためにドアを開けて外に出る。

 緑が多いからか空気が新鮮だ。大きく背伸びをしていると、頭にわずかに雪を積もらせている富士山が見えた。雲一つない青空によく映えている。そんな絶景を無感動に見ていた。


「やっぱりこっちは落ち着くわね。都会よりもずっといいわ」

 隣には同じく気持ちよさそうに伸びをしている春香さんがいた。

「ここはどこなんですか?」

「わからない? 真人君が思っている通りの場所よ」 

 その返答では、いまいち要領を得ないので他の手掛かりを探す。

 ここは丘の上らしく見晴らしがとても良い。大声で叫びたくなるような場所だ。

 辺りは富士山をはじめ、三百六十度山々に囲まれている。名前を知っている山は数えるほどもないかが、ここはいわゆる甲府盆地という場所だ。

 そうすぐわかったのは、自分がこの場所で生まれ育ったからだろう。

「山梨ですか」

「正解。まあ、高校生にもなって自分の故郷がわからないのは問題よね」

 どんな絶景でも毎日見ていたら、さすがに見慣れるだろう。

 

 ここがどこかはとりあえずわかったが、どうしてここに来たのかはまだわからない。

「どうして山梨に?」

「ここで生活するからよ。明日から八白高校に通ってもらうわ」

「明日から⁉ それに八白高校は自分が通っていた高校ですけど、そんなことしていいんですか? 俺はもう死んでいることになっているんじゃ……」

「もちろん今までと同じようにとはいかないわね。あくまで「小尾真人」ではなく、他の人物として生きていかないといけないから」


 ついてきてと視線で語りかけながら、春香さんは歩き始める。

 道中は終始無言だった。聞きたいことは山ほどあるが、何から聞いていいのかわからない。数分程歩いて、とあるアパートの前に止まる。


「今日からここが真人君の家よ」

 目の前にいるアパートは白を基調としたシンプルな見た目だ。最近建てられたものなのか、汚れはなく清潔感がある。二階建のアパートで、それぞれの階に扉が四か所ある。

「ここの一○八号室が真人君の部屋よ。二人だと狭いと思うけど我慢してね。部屋の中に制服と体育着、教科書とかがあるから確認して。それとこれを」

 そう言って渡されたのは茶色い封筒だ。

「中身にしっかり目を通すように、それとその封筒の中にある書類は全て他人に見られてはいけないものだから、厳重に保管して」

 封筒を開け、一番上にあった紙を取り出す。そこには逢坂真人という名前と鏡で一度だけ見た今の自分の顔写真、生年月日などが書かれていた。


「今日からあなたは逢坂真人として生きるの。八白高校にはあなたの知り合いがいると思うけれど、決して小尾真人であることに気づかれたらいけないわ」

「なぜわざわざそんなことを? 他の高校って訳にはいかなかったんですか?」

「なぜ……ね。それは真人君が自分で見つけ出すべき答えよ・・・あの子の為にも」

 そういうと春香さんは踵を返し、車の場所へ歩き始める。

「私はもう行かないといけないわ、その書類と、部屋に行けばこれからどうすればいいのかわかると思うから」

 呼び止めようとしたが、小さく呟いた「あの子の為にも」という言葉に気を取られ、気づいた時にはもう姿は見えなかった。


 仕方がないので、一○八号室に向かう。どうやら二階の角部屋のようだ。

 玄関を前にしてふとあることに気づく。

「鍵もってないんだけど」

 封筒の中を確認してみたが、鍵らしいものは入っていない。思い切って扉を押すと、ゴンッと鈍い音がした。


「痛ったぁ~」

「ん? ああ! 悪い、大丈夫か?」

「まあ、なんとか……」

 どうやら中に人がいたらしく、おでこを押えてうずくまっている。

 どうして一○八号室に人がいるのかは置いといて、大丈夫だろうかと心配していると、見覚えのある真っ赤な瞳と視線が重なる。


「楓……?」

 そこにいたのはあの時、一緒に吊り橋から落ちたはずの阿知賀楓だった。

「なんで私の名前を――もしかして真人……さん……ですか?」

「そうだけど? ああ、そう言えば体は全くの別人になってるんだったか」

 戸惑っている様子だったが、すぐに俺だとわかったようだ。声も顔も変わっているのに、察しが良いなこいつ。

「ほ、本当に? 真人さん?」

「そうだよ。一緒に吊り橋から落ち―」

「本当に真人さんなんですね。良かった……本当に良かった……」

 疑っているようなので、真人だということを証明しようとしたが、楓はいきなり俺の手を取り、宝物の様に胸元に寄せ何度も良かったと呟いている。

 急な接触にされるがままになっている俺の手は、必然的に楓の胸に当たっていた。これはあれですね、熟練の大工が作る一ミリの傾きもない壁ですね、鉄筋コンクリートですね。


「私だけ生き返ってしまったらどうしようかと……」

 どうやら俺の事を心配してくれていたらしい。自分も橋から落ちたのに……それに比べてひどいな俺は。下衆の極みである。


 しかし、俺と楓の反応を比べた時、異常なのは楓だろう。なぜなら、俺たちが話した時間は三十分もない。はたして一般の良識がある人でも、赤の他人のためにここまで心配してやることができるだろうか。そして、もっと異常なことは、そんな彼女が少なくとも俺よりは自殺を真剣に考えていたということだ。


 しばらくして、俺とかなり接近していることに気づいた楓は、慌てて距離を取り、顔を赤らめながら、消え入りそうな声でごめんなさいと言ってきた。

「ああ、いや、こっちこそ、悪い」

 別に謝る必要もないが、なんとなく謝ってしまう。

 お互い視線は足元にいき、黙ってしまう。

 なにこれ気まずい。吊り橋の上では自然に話せたのに、初心な初恋カップルでももう少し話せるだろ。


 そんな空気に耐えかねたのか、楓が提案する。

「と、とりあえずここでずっと立っているのも変ですし、へ、部屋に入りませんか?」

「そ、そうだな」

 意見が一致したので、これから住むことになる一○八号室に入ろうと……ん?

「そう言えば楓、お前この部屋から出てきたよな?」

「真人さんもこの部屋に入ろうとしてませんでした?」

「……」

「……」

 お互い思うことがあったのか、無言で頭だけを働かせる。数秒ののち、少ない情報からどういう状況なのか察し、

「「え⁉ 」」

 見合わせて間抜けな声を出す二人であった。

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