第2話 理解不能

  瞼を開いてまず目に入ったものは、真っ白な天井だった。

 あたりを見渡そうとするが、首が動かない。いや、首だけではない。体のあらゆる部位の感覚がない。体に力を入れようとするが、力むことができない。少しづつ、神経を這い巡らせるように、ゆっくりと力を入れていく。何分経っただろうか。少なくとも数十分は掛けただろう。鉛のように重たい体を起き上がらせて、やっとのことで周りを見渡す。


 だが、見渡しても大した情報は得れなかった。

 天井はもちろん、壁も床も真っ白。俯いてみても今自分が乗っているベットも、掛けてある布団も真っ白。唯一自分の手の肌色だけがこの場にある色だった。

 なぜ俺がこのような場所にいるのか。確か俺は吊り橋に行って、赤い目の少女と会って……


 そうだ。それから橋が崩れて地面に落ちた。間違いなく命が助かるような高さではなかったが、今呼吸ができているということは生きているのか。となるとここは病院か?


 そう思い改めてあたりを見渡すが、ここは病院ではなさそうだ。

 なぜかといえばこの部屋には物体と呼べるものが、ベットと布団、そして自分しかない。

 点滴や心拍数を測る機器がないだけではなく、窓もない。そんな病室をテレビでも見たことはない。

 ベットの上にいるだけではしょうがないので、何とかして立ち上がろうとした時、


「目が覚めたのね」

 声がした真後ろに目を向けると、そこには白衣を着た叔母の春香さんの姿があった。

 訳が分からない。なぜ春香さんがここに? それに春香さんの姿は、看護師や、医者ではなく研究者の姿にしか見えない。


 困惑している自分を見てか、春香さんは落ち着いてと優しく宥めると、手に持っていた資料のようなものに目を通し、マニュアルを読むように問いかけてきた。

「あなたの名前は何ですか?」

「おびっ……まなと……です……」

 自分で声を出しているのに、それが自分の声であることを理解するのに時間がかかった。声が今まで自分が聞いてきたものとは全く違うのだ。マイクを使ったときや、録音した自分の声を聴いたときに感じる違和感ではない。全く別人の声なのだ。


 事故で喉がぶっ壊れたのかと手でのどを確かめていると、ふわっと柔らかい感触が全身を包む。

「本当に真人君なのね……良かった……本当に……」

 涙声で呟きながら、我が子のように抱きしめてきた。どうしていいのかわからず、ただ体を硬直させるしかなかった。春香さんからは確かな人の温もりを感じた。しばらくして、春香さんが離れ、手で涙をぬぐってから、腕時計を確認すると、今度は真剣な表情でこちらを見る。


「時間があまりないから、手短に説明するわね。まず真人君は、十月二十日の吊り橋の事故で肉体は完全に死んだわ」

 その言葉が理解できなかった。俺は死んだ? ならなんでここにいる?

「その時に、真人君の魂が、今あなたが動かしている肉体、つまりもととは違う肉体に宿ったの」

「もととは違う肉体?」

「そうね。まだ自分の姿を見てないのよね」


 そう言うと、白衣のポケットからシンプルな手鏡を渡してきた。それを受け取り、鏡に映った光景に目を疑った。見覚えのない別人の顔がそこにはあった。これが俺なのか? これが別の肉体?肉体と魂が別々になった?


「数年前、人の体を作る研究が行われていたの、本当に体を作るだけの研究。人形を作る事と同じようなものね。そんな中とある実験体に意識が戻ったの。交通事故で脳死判定がされていた女子高校生の意識がね……研究者たちはとても驚いたわ。人形がいきなり動き出したんだから当然だけど。それを皮切りに、死んだはずの人が、実験体に体を変えて意識を戻すということが何回かおこるようになったわ。まだわからないことが多いのだけれど、研究者たちはそれに対して推測をだしたわ。それが、


 人が死亡した時、魂と肉体が離れ、魂は新たな肉体に宿ることができる


 現時点では、意識が戻った人全員が死亡した時点では十五歳から十六歳の間。そして、死亡する前の事をはっきりと覚えている。なぜそんなことが起きるのかと言われれば何も答えることはできないわ。リンゴが木から落ちるのは引力が関係しているからだけど、そもそもなぜ引力があるのかという問題が未だにわからないようにね。少なくとも今はそれが『世界の真理』と思って飲み込むしかできないわ」


 俺はそんな説明をただ聞くことしか出来なかった。

 春香さんは、もう一度腕時計を確認すると、

「ごめんなさい、もう時間だわ。真人君の意識が戻ってから一時間以内にはこの場所を離れないといけないの。詳しいことは後でわかるわ。立てる?」

 そう言って手を差し伸べてくれた。その手を素直に掴んで立ち上がり、春香さんの後をついていく。

 目を覚ました時にあった、鉛のような体の重さは消えた代わりに、頭の中は鈍く重くなっていた。

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