紅い彼女の瞳が異常
ようかん
第1話 壊れた価値観
「絵になるな」
山々に囲まれながらぼそっと呟いた言葉は木霊することもなく、風に流され消えていった。目の前に広がるのは、赤、黄、オレンジと実に鮮やかに紅葉した木々達だ。目が痛くなるほど明るく色づいているが、そこには哀愁が漂っている。
冷たく澄んだ空気が目の前の絶景をより際立たせる。
この光景を見るのに原付で一時間、ただただ走らせ続けた。別に意図してここに来たわけではなく、ただ何となくたどり着いたこの場所は、吹けば飛びそうな程ボロボロになった吊り橋だ。石を落としたら、数秒は音が返ってこない高さだ。
そんな場所が一般に開放されることはなく、橋の入口には黒字で「立ち入り禁止」と書かれた黄色いテープが文字通り行く手を阻んでいた。しかし、男子高校生の前では物理的には何の効果もなく、楽々と乗り越えてきた。
絵心も写真の知識もない、帰宅部の高校生がなぜこんな所にいるのか。
死ぬ場所を探していた
家を出た時はそんなことも思っていたが、ここを見つけた時にはそんな気はなくなっていた。
人はなぜ生きているのだろうか。いや、むしろなぜ死んではいけないのかと、ここの所ずっと考えている。
命がもったいないとか、死んだら悲しむ人がいるとか、死んだら何もかも無くなってしまうとか、そんなことを考えているうちに自分の価値観がぶち壊れた。死んだって別にいいのではないかと考えるようになった。
慣れない原付で、ここに来る道中も走馬灯には何が映るのだろうかと思いながらここまで来た。
死にたい理由は二つ。
一つは学校の事。
高校一年生の後半になってなおクラスで孤立している。別にいじめられているわけではない。ただ、友達らしい友達はいなかった。話しかければ答えてくれるし、話しかけてくれる人もいる。それでも、誰かの陰口を聞くと、それは俺の事を言っているのではないだろうかと不安になる。クラスメイトは敵にこそなれ、味方にはなりえる存在ではなかった。
二つ目は将来の事。
俺には両親がいない。母は俺を産んだ時に他界、父はそんな俺を捨て今はどこにいるのか見当もつかない。母方の祖父母に引き取られ、両親がいない俺をかわいそうに思ったのか、祖父母や、叔母である春香さんにとても優しく、温かく育てられた。
そんな祖父母も、母含め、すでに二人の子供を大学まで送り出している。仕事は農業で大金持ちとは言えず、もう七十歳を超えている。自分が高校に通えているのも春香さんもお金を出してくれてなんとか通えているらしい。お金の事は何も言わないが、それでも余裕がないことはわかる。
これ以上、大学進学などお金のことで迷惑は掛けたくはないが、高卒で祖父母の老後のお金を工面できる職に就けるとは思えない。農業を継ぐにしても、農業を手伝っているからこそ、簡単なものではないことがわかる。
そういった人間関係や、将来への先の見えない不安が、今ここに自分がいる原因となっている。
しかし、自分が死んで楽になったところで、どうにかなるもんではないし、自分は十分幸せだと言えるだろう。
友達も少ないながらいるし、祖父母や春香さんも自分の事を愛してくれていることもわかる。
両親がいなくても寂しさを感じることなく生きてこれた。
こんな俺に死ぬ覚悟なんてないのだ。
「帰るか」
そう自分に言い聞かせ、その場を離れようとしたそんな時、
「何をしてるんですか?」
その声に驚き、焦り、とっさに振り返った。
そこには艶やかな黒髪を腰のあたりまで伸ばした少女がいた。
服装は十月後半という今の季節に似合わしくなく、麦わら帽子に真っ白なワンピースを着ていた。人形のように綺麗で何か完成された容姿の中に、今さっき見ていた紅葉ように真っ赤に色づいた瞳が真っ直ぐこちらを視ていた。
まさかこんなところに人が来るとは。
どうしよう。おそらく、人気のない山奥の吊り橋で浸っている俺を見て、自殺しようとしているのだと思って止めに来たのだろう。ありがたいことだが、余計な心配をされて騒がれても困る。心配をかけないように、できるだけ明るく元気に振る舞うことにしたが、それより早く少女が切り出した。
「もしかして、あなたも死ぬつもりだったんですか?」
「……え?」
その言葉に必死に動いていた脳が急激に鈍る。
『あなたも』って言ったってことは自殺する気か?本気なのかこいつ?だとしたら俺はいったいどう答えれば……
困惑している俺をよそに、当の本人は、さっきの発言は嘘のように、子供のように無邪気に食いついてくる。
「だって、こんなところに一人でいるのは変ですし! よかった、覚悟決めてここに来たんですけど、いざ飛び降りるとなるとやっぱり怖かったから。あの・・・もしよかったら、一緒に飛び込んでくれませんか?出来るのであれば手も繋いでくれると嬉しいです」
胸を撫で下ろしながら笑みを浮かべ、今度は少し恥ずかしそうに恐ろしいこと提案してきた。
一方の俺は、彼女の勢いに押され、思考能力は鈍いままだ。
なんて言えばいいんだ。こんなに真っ直ぐに心中しようなんて言えるもんなの? それよりもまずい、勝手に話が進んでいる。少し前ならその誘いに乗ってたかもしれないが、もう帰ってアニメ観る気満々だったし……
とにかくこのまま黙っている訳にもいかないので声を出す。
「えっと……あの……」
本当にただ声を出しただけだが、煮え切らない俺の反応を見て何か察したのか、少し寂しげな表情で頭を下げる、
「あ……ごめんなさい。こっちばっかり先走っちゃって……」
「まあ間違いじゃないんだけどね?冷静になったしそろそろ帰ろうとしてたところなんだけど」
「そうですか、良かったです」
「何が?」
「人が死ぬことは悲しいことですから。それによく見ると、まだ生きていたいって顔に書いてありますね。それなら生きないと」
からかうような口調で、それでも嫌味はなく、楽しそうに言ってくる。
掴めない人だ。
普通ではないことを、当然のように言ってくる。こんなにも可愛らしく笑っているのに、彼女は死ぬつもりだと言った。その言葉に全く偽った様子がない。彼女が数時間後も生きているイメージが湧かない、確実に彼女は死ぬと直感で感じた。
それなのに何で今、彼女はこんなにも生き生きとしているのだろう。
というか、これから死のうとする人に何で「生きないと」とか言われてんだ俺。普通逆だろう。
彼女の顔を直視できず、視線をそらし、ボロボロの手すりから乗り出すように紅葉を見ながら確認する。
「本当に死ぬつもり?」
ばかばかしい質問だ。
正直これを聞いたところで分かり切った返事しかこなことはわかっている。
彼女には覚悟がある。
彼女の言葉一つ一つに、真っ赤な瞳に確かな意思を感じた。俺にはなかった確かな覚悟が。
それでも言葉として確認しなければいけないと……
確認したらどうするんだ?
そのまま認めて、飛び降りる彼女を見るだけなのか?このままだと彼女は確実に死ぬ。当然、俺が止めるべきだろう。でも何のために?死んだって別にいい。そうずっと思っているのは自分だ。死んだ後の世界が今よりももっと良い世界かもしれない。もし彼女が、いじめや虐待にあっているとしてそんな現実にとどめておくのは正しいことなのか?
さっきまで働かなかった頭がとたんに動き出す。次から次へと考えが巡る。
するとぱっと視界に赤い瞳が入る。
「悩んでいるんですね」
予期していない言葉に息が詰まる。自分の心が見透かされている気がした。
彼女は柔らかく優しい表情で、腕を後ろに組みながら覗き込んできていた。
目の前にある彼女の可憐な容姿から目が離せなかった。
それから少女は、くすっと微笑み、隣の手すりに掴まりながら俺と同じように山々を見る。
「覚悟はもう決めてしまったので。それに私が死んでも誰にも迷惑はかかりませんから」
そんな彼女の横顔を見て、なぜか彼女を生かしたいと思ってしまった。
初めて会ったばかりなのに、死んでほしくないと。
自殺をしようとしてたやつがよくそう思えたものだ。だがそれでも、そんな自分のわがままを突き通したかった。
数分経ち、意を決して話かける。
「君、名前は?」
「阿知賀楓(あちが かえで)です。あなたは?」
「小尾真人(おびまなと)。言っておくが誰にも迷惑かからずに死ぬなんて無理だと思うぞ。知ってるか? 電車で自殺すると多大な損害があるそうだ、それに……家族とか友達はどうするんだよ」
「迷惑なら掛かりませんよ、私は量産型の一体で、代わりはいくらでもいますから」
これはまた悩める思春期の少年少女が言いそうな言い回しなことで。
「まあそれでも、お前のことを大切に思ってくれてる人は案外いるもんだぞ。なんなら俺がなってやってもいい」
今日はテンションが高いな。人見知りの俺が見ず知らずの人と、ましてや女の子と、ここまでコミュニケーションが取れるなんてなかなかない。
「だからとりあえず生きてみないか」
こんな恥ずかしいことも言わない。
「ごめんなさい、でもやっぱり私はここで死にます。」
少し間をおいて聞こえてきた楓の声はとても弱弱しかった。やはり好きで死ぬ奴なんていない。
「ちょっと待てお前、目の前で自殺した少女を見た俺は、この後どうすんの? 明日も学校なのに眠れなくなるだろう」
「でも……」
「俺に迷惑かかるから生きろ」
説得としては赤点だろう。
彼女はまっすぐとこちらを見据えている。その赤い瞳に宿っていた覚悟は揺らいでいるように見えた、そんな時、
ガクン
橋が大きく傾き、二人の体が宙に投げ出される。
吊り橋を支えていたロープが千切れ、橋が真っ二つになっていた。
それに気づいたころには逃れようのない重力のまま真下に落ちていく。
「真人さん!」
足場がない中、なんとかして声の方を見ると、楓が手を伸ばしていた。
そう叫ぶ楓に手を必死に伸ばす。
手を掴んだところでどうにかなるものでもないのに。
突然背中に強烈な痛みが走り、意識がなくなる。
落下の数秒間、俺は走馬灯を見ることはなかった。
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