愚者にとっての楽園は


神崎律は人生で一番、服装について悩んでいた。ハヤシライスの盛り付けをして、カウンターに出す。クラブハウスサンドを作る縫田を見ると、ちょうど目が合った。


「どうした、心ここにあらずだぞ」

「縫田さんって合コン行ったことあります?」

「まー人並みには」


ザクザクとサンドを切断する。縫田は三十代半ばで既婚者だ。流石に今はしていないが、学生の頃はそれなりに遊んでいた雰囲気はある。神崎はホールを呼んだ。


「え、神崎、合コン行くの?」

「色々あって。合コンで、浮かないけど対象外になるような服装ってどういうのですか?」

「なんだその難しい問題は」


皿に盛り付けて、カウンターに出す。縫田は腕を組んで考えた。


「つまりロックオンされたくない、と」

「でも引かれないくらいの容姿で」

「服装はともかく、神崎は綺麗な顔してるからダサい服着てても食いつかれると思うけど。むしろ合コン行くよりバーで飲んでた方が良い男が釣れる」

「いやそういうのは良いんで」

「指輪してけば? 右の薬指にでも」


神崎が顔を上げる。何故右に?


「既婚者だと流石に引かれるだろ。でも右ならファッションかなー彼氏がいんのかなーくらいに警戒される」

「縫田さんって天才かもしれない」

「嫁がそれやってた。で、俺が攻め落とした」

「そのエピソードいらないっす」


しかし良い案だ、と神崎は道が拓けた思いでいた。よし、指輪だ。


神崎は家に置いてあったアクセサリーボックスをひっくり返して、ピアスとブレスレットとネックレスの絡まる中から指輪を探す。解いてから、薬指に嵌めたがすこーんと外れてしまう。その隣の中指に嵌めるとぴったりだった。これで良いか。

にしてもゴツい指輪である。高校の時、ギターを弾くときに付けていたもので、バンド仲間の女からプレゼントされた。ここでまた使うことになるとは思わなかった。





「神崎さんの好きなタイプは?」

「鶏みたいなや……ひと、ですかね」

「ニワトリ?」


神崎は始まって十五分も経たない内にロックオンされていた。男女四人ずつの合コンで、女の方は神崎以外は学生だった。男の方は働いていて、誰でも知っているような有名企業の社員などがいた。四人の男性全員が神崎の顔に注目し、それから指に嵌まった指輪を見た。三人は神崎から視線を逸らし、丁度斜向かいに座っていた男だけが神崎をロックオンした、という状況だ。

誰かがトイレに行く間に何となく席替えが行われ、その男、製薬会社に勤めているという28歳の上野が神崎の隣に座っていた。ちら、と津山の方を見るとそちらもそちらで違う男と話している。神崎はジンフィズの入ったグラスについた水滴を見て、小さく溜息を吐く。本当はギムレットが飲みたかったが、周りの女たちに合わせてこれを選んだ。ぷすぷすと炭酸が抜けていく。


「あーえっと、朝起こしてくれて、ご飯を恵んでくれる、ような」


とってつけたような説明。神崎は今まで好きなタイプの話なんてしたことが無かった。いや、尋ねられたことはあるが、特にないと答えて考えたことが無かった。


「神崎さんて変わってるね」

「そうですか? あたしは変わってない人間に出会ったことがないんですけど」

「ごめん。そういうことじゃなくて、人間って少し変わった部分を隠すみたいなところがあるからさ。少なくとも、俺はそうだから」


その言葉に神崎はやっと、漸く、初めて、上野の顔を見た。


「そのままを話せる神崎さんがすごい、という思いを込めて、変わってるという言葉を遣わせてもらいました」

「ご丁寧に、どうも」

「あとね、どんなに数合わせで来たとしても、指輪してくるのは逆効果の人間もいるから」

「……やっぱり」


縫田も指輪をつけた嫁を落としたと言っていた。上野は漏れたような神崎の声に笑う。


「本当に彼氏いるの?」


それから、右手中指に嵌まる指輪をつついた。

神崎はジンフィズを飲み干し、席を立つ。上野の視線がそれを追っているのが分かって、「お手洗い行ってきます」と短く言った。

出入り口近くにあるトイレは男女で別れており、右が女性だった。左の男子トイレの手前に洗面台がある。空いているそこで、神崎は手を洗った。上野に言った通り、手を洗う為に席を立ったのだった。

席に戻ったら、祖母が危篤だと言って帰ろう。上野とこれ以上親しくなるのは何だか気が引けた。大体同じような歳をして、片や正社員、片やキッチンバイト。普段生活をしていたら、そういう差を見ることは無い。しかもロックオンされているなんて、面倒極まりない。今後会うことも無いのだ。


「そんなに擦ったら手が荒れるよ?」


鏡に映る自分を睨んでいた神崎に、後ろから現れた上野。水を止めて、紙タオルで手を拭う。


「トイレ、向こうですけど」

「神崎さんを迎えに来ちゃった」

「頼んでないですけど」

「このまま俺と抜けない?」

「行かねえよ」


素の口調が出た。ぷち、と小さな神経がひとつ切れる音。

いちおう社会人なので、神崎は年上に対して敬語を遣わないということはない。しかし、先ほどから鳥肌の立つようなことばかり言って退けるこの初対面男に対して敬する意味を見いだせなかった。


「お誘い嬉しいですけど、今からならどこのホテルが取れますかね」


ふと隣に並んだ気配に、神崎が目をぱちくりとさせる。その声の主を久しく見ていなかった。正確には、長らく避けていた。


「神崎さん。俺も仲間に入れてくれるんですよね?」

「……先に言っとくけどSM趣味には付き合わないからな」

「分かりました。じゃあ、彼に付き合ってもらうことにします」


そして、にこりと笑う。正面に立つ上野を見た。その顔の強張り様と言ったら。

神崎は七尾を見上げて、何か言いたげな顔をする。どうしてここにいるのか、どんな脅しの仕方なのか、何の権限でそんなことを言っているのか。


「……誰?」


真っ当な質問である。


「通りがかりの神崎さんの知り合いです。神崎さんがお誘いを受けていたので、仲間に入れてもらおうと思いまして」

「え、意味が分からない」

「分からなくて結構」


舌打ちをする前に、神崎は二人を置いてその場を離れた。七尾が入ってきたことで場が更に荒れることは、火を見るよりも明らかだ。さっさと自分の席に戻り、財布から札を出して、男と楽しそうに話している津山に申し訳ないと思いながらもそれを差し出した。「邪魔して悪い、祖母が危篤だから帰る」と耳元で小さく言って、すぐに背中を向ける。その姿の凛々しいこと。津山は思わず惚れそうになって、ワンテンポ遅れて返事をした。


店を出ると、湿気が首を撫ぜた。この国は春を過ぎると、すぐに梅雨がやってくる。左腕に残る傷が袖の内側に擦れる度に痛む気がした。

家の方向へと足を進める。後ろから上野がついてきたら嫌だと思っていたので、自然と早足になった。

と、考えているとすぐ後ろで足音がして、ぱっと振り向いた。放たれた殺気とその視線がぶつかり一瞬火花が散った、ように見えた。


「熊にでも追われてるんですか?」

「……熊だったらまだ殺せたけど」

「物騒ですね。彼なら自分の席に着いて他の女性と話してましたよ」


七尾は神崎の隣に並んで歩く。ぶつかったのは殺気だったのか、視線だったのか、誰も知る由もない。



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