例え明日、世界が滅亡しようとも


高さ7センチのヒールを履く神崎律は、ジンフィズを飲み干さなかったことだけが心残りだった。結局金を払うなら好きにギムレットでもマティーニでも飲んでくれば良かったのだ。

七尾はそんな神崎の不満も知らずに、久しぶりに見た神崎の顔を斜め上から観察した。


「コンビニ行って酒買おう。鬼殺し」

「どんな鬼を退治する予定なんですか」

「そういえば七尾、どうしてあの店にいたの?」


突っ込まれないボケ程悲しいものはない、が、七尾はその質問に答える。


「店で働いてる数人と飲んでました」

「へえ、七尾にも飲みに行く友達がいるのか」

「神崎さんだってその一人じゃないですか」

「ああ、そうだった。忘れてた」


それに他意はない。神崎は意識的に七尾を避けていたこともあるが、そうして顔を見ない日々の中で、無意識に忘れていたこともあるのだ。

それに、七尾は引っかかる。


「酷い言い様ですね、枕を交わした仲なのに」


神崎が足を止める。何か言い返してくるか、と思ってそちらを向けば、神崎の顔は近くのコンビニの方へ向いていた。しっかりとした足取りでコンビニへ行ってしまう。え、と七尾は思わず手を伸ばすが、届く前に神崎は離れていた。

普段は辛辣な言葉遣いをするが、神崎は七尾の軽口に乗ってくれる優しさは持ち合わせていた。だからいつも言葉を投げてその十倍の力で投げ返されるのが楽しいのではないか。それがこんなにもスルーされるとは。

コンビニに入って酒コーナーで足を止めた神崎の隣に並ぶ。すっとその額に七尾は手を当てた。熱は無さそうだ、でも酔っぱらっているわけではない。

なんだよ、と手をおろした七尾の方を見て視線で尋ねる神崎。気分が変わり、手には梅酒のパックがおさまっている。


「俺も、買って良いですか」

「勝手にしろよ」


どうして許可を取ったのか分からない、と言った表情で神崎が首を傾げる。


「神崎さん……何か怒ってます?」

「はあ? 怒ってるように見えるなら悪いけど、これが通常だ」

「俺にもそれが分からないから聞いてます」

「あっそ」


切り上げて、サラダコーナーにてコールスローを持ってレジに向かった。品物を台に置くと店員がハンドスキャナーでバーコードを読み取る。小計が出たと同時に、台に追加商品が置かれた。パプコだ、あの瓶型チューブに入ってふたつに割ることが出来るアイス。それを置いた主を見ることなく、神崎は「これも一緒で」と静かに言った。財布から金を出そうとしたら、七尾はひらりと札を出して店員がそれを受け取る。

お釣りが七尾に返され、レジの袋を持っていかれる。財布を片手にした神崎は一歩遅れてそれを追った。後ろから「ありがとうございましたー」と声が追ってきた。


「金、払う」

「パプコ、食べます?」


コンビニに外付けされたゴミ箱に袋を捨てて、既に蓋を齧っていた。中学生か。


「いらない」

「分け合うから美味しいのに」

「……じゃあ欲しい」


返ってきた言葉に微かに驚いた顔をしながら、七尾は咥えたまま反対側のパプコを外して神崎に渡す。神崎も蓋を齧ってゴミ箱に捨てて行った。

手で少し溶かしながら吸っていく。その懐かしい味に、心も溶かされていく、感覚がした。しかし、神崎の中のアイスランキング不動の一位はアイスモナカである。それだけは譲れない。

ちゅーちゅー、と二人の口はパプコで占めていたので辿る帰路は静かなものとなった。やがてそれも食べ終え、神崎は七尾の持っているコンビニ袋を奪おうとしたが、七尾の手は取っ手から外れない。ハッとした神崎が顔を見上げると、きょとんとした視線が絡んだ。


「神崎さん達がいたテーブルは男性四名、神崎さん含めて女性四名。三十分ほどしたところで席替えが始まって、一時間少し前で彼が神崎さんの隣に来ましたね」

「……は?」


合コンは個室で行った。確かに完全に個室ではなく、通りに面した壁が鎧戸のようになっていた。しかし、何故時間や誰がどこに座っていたかなんて知っているのか。

七尾はにこりと笑う。


「神崎さん達の丁度後ろの個室にいたんですよ。気づきませんでした?」

「まさかあんた、本当にあの男を狙って……」

「いや、神崎さん達が後から来たんでしょうよ」


確かに。二人は一つの袋を一緒に持って進んでいた。


「どうでした、合コンは?」

「あたしは数合わせ」

「でもロックオンされてたじゃないですか」

「あれはそういうんじゃない。この年でバイトやってるあたしを見て、高級取りの自分との差を見出して楽しがってただけの自分に酔った男だ」


手厳しいな、と七尾はそれを聞いて思った。神崎は本来あまり執着心というものがない。物にさえ殆どないものが、人間にしかも男に対して湧くのかどうかも怪しい。

しかし、屡々義理人情を捨てられない神崎もいるのだ。


「まあどうでも良いけど。早く離せよ」


もう金を払おうという気は無くなっていた。財布も仕舞ってしまったし。家の扉の前までついてきた七尾に言い放つ。


「俺も酒飲みたいです」

「自分のバー行って来いよ。柳と連絡取り合ってるんだろ、七尾と一緒に居るの見られたら……」

「じゃあ早くいれてください」


今度こそ舌打ちをした。鍵を差し込んで回す。


「飲んだらすぐ帰れよ、放り出すか」


らな。

まで口に出すことは敵わなかった。扉の内側に入り、唇が重なる。アルコールは摂取しているが、どちらも泥酔していない。驚いて少し開いた口の合間から舌が入り込む。誰のか? 勿論、目の前の男の。

がちゃん、と鍵が閉められる音。少し唇が離され、機嫌を窺うように屈んで下から覗き込まれる。電気も点けず暗いのでその瞳の色は分からないが、静かにその奥に火が灯っているのが分かった。

その肩を突っぱねようとしたが、華麗に避けられ首に回される。神崎は思うようにならない状況に苛々し、七尾のジャケットの首後ろを引っ張った。その口元が少し吊り上がったのを見たが最後、唇が食まれる。

静かな玄関に二人の呼吸音が響く。七尾は神崎の舌がとても甘いのは、先程までアイスを味わっていたからだと気付いた。今更。

唇から外れて、目元、頬、耳へと熱い唇が移動する。襟首を引っ張っていた手は、溺れないように掴まっているようだ。顎に口づけを落として、首を柔く噛む。ぐい、と神崎の足の間に膝を折り込み、少し苛めてみた。「んんう」と声が零れて神崎は足をばたつかせる。


「ちょっと、待って。酒」

「はい?」

「酒飲ませて」


コンビニ袋は靴箱の上にきちんと置いてある。神崎は逃げるようにそれに手を伸ばすが、七尾が制した。

大体において、と神崎は掴まれた手を見ながら言い訳を考える。大体において、七尾と身体を重ねるときはいつも一人で歩けないほど泥酔していて、殆ど記憶も飛んでいる。こんな素面の状態でコトに及ぶなんて地獄だ。


「七尾だって酒飲みたいって言ってた」

「神崎さん、言っておきますけど」

「なに」

「俺、神崎さんと一緒に居て泥酔したことも酔っ払ってたこともないですよ」


かきーん、と音がした。ホームランではない、心臓が凍る音だ。

神崎の位置が七尾の腕の中に戻された。項に口づけが落とされる。首や鎖骨が撫でられ、服の上から腰が掴まれた。嫌な予感がして神崎は口元を押さえる。先程と同じように膝でぐっとそこを刺激される。漏れそうになる声に、爪先が浮きそうになる。ヒールがこんこんと地面を叩く音が響く。


「……かわい」


小さく呟くような声が聞こえた気がして、神崎は七尾の瞳を見る。にこにことした笑顔が見れて、唇が何度も重なった。背中を大きく行き来し、グレイの薄いニットの中に入った手は簡単にホックを外す。

その跡をなぞるようにして胸に触れられた。神崎は耐えるようにして七尾にしがみついている。


「神崎さん、大丈夫ですか?」


首を横に振る。精神面もこの体勢も辛い。いっぱいいっぱいの神崎はもう七尾の方を見ていなかった。

ふむ、と七尾は考えながら下着の上からその尖りに触れた。びくびくと反応する。口に手が添えられているので声が聞けないのが惜しい。いつもなら、いや泥酔しているときなら、と考えて頭を振った。尖りへの強い刺激と、膝を違う角度に押し付ける。くぐもった声と緊張から弛緩する身体。それを支えて身体を開放する。

涙目で何かを訴えている神崎。なぐりころす、と小さく聞こえた。たいへん、物騒である。



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