鶏が先か、卵が先か
愛の反対は憎しみではない
休憩になり、神崎律は自分の夕飯を休憩室まで運んだ。
これから出勤の園柄が衣服を整えている。名札を胸ポケットへ掛けて、神崎と目が合う。何か言いたげな顔をして、視線を自分の後ろへやった。
その先にはもうすぐで休憩終わりの柳の姿。携帯を見つめながらニヤニヤしている。
「最近ずっとあの調子ですけど」
「へー」
その要因を二人は熟知していた。この喫茶店の上にあるシャープというバーの店員である七尾雄だ。
園柄はそのまま休憩室を出た。神崎はテーブルにトレイを置いて、椅子へ座る。柳がパッと顔を上げて神崎に気付き、今まではつっけんどんな態度だったのが打って変わり、ニコリというよりはニヤリと挨拶をした。
「お疲れさまでーす」
「ああ、うん、お疲れ」
「七尾さんってマメなんですね? ちゃんとメッセ返してくれるし!」
「そりゃ良かったな」
神崎は七尾の連絡先を知らないので、メッセージを送ったらどれ位の速度で返ってくるのか知る由もなかった。しかし、恋する乙女は盲目。神崎の呆れた顔も気にせず、柳は携帯をポケットへしまう。
じゃあ出てきまーす! と、これまた今までのことが嘘のように神崎に対して友好的に挨拶をして出て行った。
柳と入れ違いに店長が休憩室へ入ってくる。神崎の姿を見て、もう一度柳の方を見た。いや、気持ちはわかるが。
「……仲良くなったの?」
「というより、向こうが急にシャッターを開けてきたというか」
「女の子って不思議だね……」
壮年のおっさんには分かるまい、と店長はPCの前の椅子に座った。
「あの人のこと、紹介したんですか?」
「したよ」
「何か言ってませんでした?」
「ありがとうございますって」
「いや、七尾さんの方」
園柄がキッチンのカウンターに寄りかかりグラスを拭きながら話す。神崎も一緒にグラスを拭っていた。
神崎が七尾を紹介したのは、さくら祭の翌日に柳から『紹介してください』と言われてからすぐのことだった。神崎が非常階段で休憩を取っていると、後ろから七尾が現れた。そこへ夜番で帰ろうとしていた柳を呼び、
「喜べ、女子大生だ」
「……はい?」
「柳瑠衣です。これ、連絡先です、よろしくお願いします!」
七尾は押し付けられた紙を払うわけにもいかず、神崎を見る。ひら、と神崎は手を振ってその扉の向こうへ消えて行ってしまう。
「これはどういう……」
女子大生を前に途方に暮れる七尾が呟いた。
あれ以来、神崎は面倒に思って休憩中に非常階段へ行くことはしていない。それは七尾と接触することもだが、それが柳に見つかることもだった。
しかし、七尾がマメに連絡を返しているというのなら、二人は案外上手く行っているのかもしれない。元来女の扱いが上手い七尾がそこら辺を抜かるとは思えないが。
何はともあれ、そのお陰というべきか神崎の喫煙が止まった。その出費を抑えることが出来たのだから、もっと早くこの手を使えば良かったと後悔すら感じている。
「前に女子高生より熟女の方が好みって言ってたことがあったんだけど、それって大学生のことだったみたいだ」
「それって女子高生は犯罪だからじゃない?」
「そういうことか。マメに返信が来るらしい、おめでたいことだな」
「神崎さんと七尾さんってどういう関係なの? ただ偶然同じビルで働いてる人間とは思えないくらい仲良いよね」
「やめてくれ」
園柄の詮索に神崎がホールドアップした。現時点の神崎が気兼ねなく話せる、というのは神崎のルーツを知っているのが七尾だけという状況である為。園柄にその全てをここで話すのは憚られた。神崎とて、自分の歩んだ道をバイト先の学生に延々と話すような人間ではない。
「それに、七尾さんの女関係か酷いって本当?」
「多分。知り合いが言ってた」
「神崎さんは嫌じゃないの?」
「特に何か思ったことはないな。そりゃあたしの所にその女が殴り込みに来たら話は別だけど」
ドライな人だ、という園柄の見解は間違っていない。
「神崎さんは七尾さんのこと、好きじゃないんですか?」
神崎はカウンターに肘をついていた。そのまま園柄の方を見る。
「園柄はさ、柳のこと好きじゃないの?」
「え、普通ですけど。好き嫌いを決められるほど知らないから」
「あたしも全く同じだ。好き嫌い以前に、七尾のこと殆ど知らない」
ああ、と閃いたように神崎が顔を上げる。そして視線の先に、電光掲示板の番号。
神崎と七尾の関係を言葉にするなら、これだ。
「デリヘルと客みたいな関係っていうのが分かりやすいな」
「えー……」
「引くなよ。ほら、呼んでるぞ」
数字を指差して神崎は園柄を送り出す。
ディナーの時間に入って退勤しようとする神崎を店長が捕まえる。明後日のシフト交渉である。
これから出勤する園柄が参考書を読んでいる横で、柳が携帯を弄っている。神崎は二つ返事でそれにOKを出し、タイムカードを切ろうとした。
「お疲れさまです」
キッチンも忙しかったので、ホールはもっと大変だったのだろう。へとへとになった津山が休憩室に戻ってくる。神崎より二時間後に出勤したので、あと二時間はシフトが組み込まれている。一番忙しい時間帯に来て少し可哀想だなとも思っていたので、神崎はなけなしの同情をもって、バッグに入っていたチョコレートをひとつあげた。
「ありがとうございます」
「いーえ」
「日和、あたし今度の合コンパスね」
「え?」
柳の言葉に津山が目をぱちくりとさせる。因みに津山の名前が日和である。
出たよ、柳のパス発言。園柄と神崎と店長は同時に同じことを考えた。神崎はすぐにタイムカードを切って、この場から出ることにした。園柄も同じことを考えたらしく、立ち上がる。
「今度って明後日ですけど!?」
「私は七尾さんで忙しいの! 今からなら代わりの子見つかるでしょ」
「ちょっと柳さん!」
じゃー出てきまーす、と柳が携帯をポケットにしまって一番に休憩室を出て行ってしまう。神崎もそれに続こうとしたが、津山の視線に捕まった。
ぴく、と頬が痙攣する。園柄はそれに気付いていた。
「神崎さん!」
「学生誘えよ」
「だってもう神崎さんしかいないです」
「むり、行かない。園柄!」
そろりとタイムカードを通して逃げようとしていた園柄を捕まえる。店長は聞こえないフリをしてシフトを組んでいた。
園柄が面倒そうに振り向き、神崎の肩をぽんと叩く。
「俺、神崎さんは彼氏作った方が良いと思う」
「は? てきとうなこと言って」
「もっと普通のちゃんとした恋愛した方が良いと思う」
大学生にそう言い放たれ、神崎は返す言葉がなかった。そう、先日園柄に七尾との関係に「デリヘル」と使ったばかりだった。
そうして行ってしまった園柄を見送り、神崎は額を抱える。
「お金は男性側持ちですし、ご飯美味しいとこですから!」
「あ、確か深夜シフト入って……なくなったんだった、ディナーになったのか……」
「私と一緒ですね! 一緒に行きましょう!」
「集まるの大学生だろ。あたし一人浮くと思うんだけど……」
「神崎さん普通に学生に見えるし、来てくれるだけで良いので! うちの学科、女子が本当に少なくてバイト先しかないんです……!」
拝むポーズまでする津山を神崎は無下にできなかった。この骨の髄に染み付いた義理堅い精神やらお人好し根性やらを恨んでも仕方のないことだ。
柳が合コンをパスしたのも発端は七尾を紹介したのは神崎だ。
「分かった、善処する……」
右掌を見せて、神崎はそう言った。
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