迷宮

 とあるところに、迷宮があった。右へ左へ手前へ奥へ、上へ下へ。

 どれだけ移動しても、入り組んでいるばかりで少々景色はつまらない。しかし、中にはすごいお宝が眠っているのだとか、または機械でできた主が潜んでいるのだとか、そのようなうわさが絶えぬところだった。四方八方を壁に囲まれ、三次元的に成り立っている迷宮は、その黄土色の肌を地上の人々に見せつけていた。

 そして、この迷宮。よくある話のように、一度入ったら出られない、などということは無い。出入口は何十か所、何百か所にも及びつつ、そのどれもが隠し扉などではなく、ちゃんとした出入り口だ。中には、金色の槍が両側に立てかけられている、豪邸のような出入口まであった。


 一人の少年が、この迷宮を訪れる。

 この少年は、年は一六で眉目秀麗。しかし、仕事がろくにできず、不況も相まって今日解雇されてしまったところだ。いっぱしの貴族の屋敷に使えている使用人が、稼ぎなしの浮浪人になってしまったわけである。

 稼ぎがなく蓄えもろくにない。山に出れば山賊に襲われ、海に出れば水難。このような未来が見えてしまう。とにかく雨風をしのげるようにするためには、定住しないといけないのだが、貴族の屋敷に住み込みの孤児であったため、この少年は家がない。おまけに、今日の空は今にも嵐が始まりそうなほどの灰色。

 ようは、この迷宮が仮の住まいというところである。

 他にもそのような生活を送っているものはいるらしいし、迷宮の奥深くに行かなければ危険なこともさらさらない。少年は、迷宮の底へと入っていった。


 中は、実に暗かった。迷宮を開発した勇気ある先駆者のおかげで、ランプなどが通っているが、少し奥に行けば、全く何処かわからなくなってしまいそうである。

 少年は、なるべく雨が入ってこないところ、そしてなおかつ入り口に近いところに、ボロ布をひいて寝ることとした。盗まれるようなものは、何もない。体を横にすると、眠気が襲いかかってきたようで、そのままパタリと腕を伸ばして通路で眠った。

 すると、迷宮の中で何かが動く音が響く。もっとも、外の嵐の音でそれはかき消される。光る稲妻、激しさを増す雨風。それらの前にはほんの些細な物音だ。少年は夢の中。気付くはずもなく朝を迎えた。


 少年は目を覚ました。とにもかくにも仕事を探さねばならない。嵐の音はしないので、ここを出なければと思い、ボロ布をしまって出口へ向かう。しかし、ここで困ったことが起きた。

 出口が見つからないのだ。

 そもそも、出口を忘れるはずがない。少年は、森の近くにある小さな扉の入口から、入ってきたところを右に曲がり、そのあと左に曲がっただけなのだから。日の光が、起きた場所から感じ取れるはずなのである。しかし、自分を照らすのは人工的なぼんやりとしたランプの光。よく見れば、壁の材質も寝る前と変わっている。少年は慌てる。誰かに奥深くまで連れてこられたのか。いや、そんなことをされたら気付く。自分は大柄で、運ぶのが大変なはずだ。

 では、何故こんなことになっているのか。いや、大事なのはそこではなく、どうして出口を見つけるか、なのだ。しかし、少年は慌てなかった。そもそも、この迷宮に入って出てきた人など腐るほど存在するのだ。別の出口を探せばいいだけのこと。しかし、そうはいかなかった。


 歩いても歩いても、上に登ろうと下に下ろうと、まったく出口が見えない。所々に豪華な部屋や机やら井戸やらが見え隠れするものの、日の光が全く見えない。少年は、だんだんと焦り始めた。このまま自分はこの中で朽ち果て、骨になってしまうのかと。水は井戸から湧いているものの肝心の食料がない。干し肉やら穀物やらが、ひとかけらも見当たらないのだ。よくわからない迷宮もどきが、本物の迷宮になっている。どういうことなのだろう。

 歩き続けても、一向に見えない出口。とうとう少年は、ばったりと通路の分かれ目で倒れ伏してしまった。ああ、俺はここで死んでしまうのか。思えば情けない人生を送ってしまった。案外、墓にも入らずこんなところで野垂死のたれじぬのが似合っているのかもしれない。そう思った少年は、意識を手放しかけた。そのときに足音が聞こえてくる。これは僥倖ぎょうこうだと強く感じた少年は、意識を取り戻して大声を上げる。

「おーい! ここだ! ここにいる!」

 すると、人影が近づく。どうにも自分より年のいった大人の男だと、少年は感じた。自分と同じようにここで迷っているのだろうか。男は口を開いた。

「こんなところで何をしているのだ? 少年よ」

「助けてください。俺はここで寝泊まりをしようとして中に入り、ひと眠りをしたら、いつのまにかすっかり奥の方に行って出られなくなってしまったのです」

「ははは。そんなことがあるものか」

 男は、笑っている。

「寝たら別の場所にいたなんて、そんなことがあるはずないだろう。現に私は、入口から、藁の綱を置いてきたのだ」

 そう言うと、男は自分の手元にある藁でできた綱を指す。

「君は、寝ぼけて歩くか何かして、こんな奥深くまで来てしまったようだね。どれ、私が外まで一緒に行ってあげよう」

 男は藁の綱を伝って、きた道を戻っていく。少年は安心して外に出ることにしたのだ。


 時間が刻々と過ぎるが、いつまでたっても入り口らしきところに行きつかない。そしてとうとう、藁の綱は、何もない大広間で途絶えてしまった。

 少年は、恐怖した。

「どういうことなのですか? 貴方は入り口から、確かに綱を下ろしてきたのですよね」

「そうだとも。たしかに藁の綱をこの手で入り口に置いたのだ。そこから引っ張ってきたはずなのに、どういうことだ」

 男は、慌てるでもなく顎に手をやってしばらく黙っていた。しかし、ふと顔を上げた。

「もしかすると、本当に迷宮が変わっているのかもしれない」

「どういうことですか?」

「実はね。この迷宮に入っても帰ってこれるのは事実なのだが、決まってこの迷宮の地図が存在しないのだよ。なるほど、これが理由だったのか」

 男が言うには、迷宮は常に、道が移り変わっていると言うのだ。

「信じられなかったが、そうとしか言えない。ともかく出る方法を考えねば」

 

 歩き回るのが吉なのか、あるいはむやみに歩き回らないのが吉なのか。

 そもそも、食料がないことは致命的なのだ。中を探しても意味はないだろう。迷宮をひたすらに歩き回る。ただそれだけだった。

 少年は迷宮に迷う中でいろいろな人物にあった。この男だけではなかったのだ。

 食料を持っている老人。中で迷う探索者の女。そのほかにもたくさんの数えきれないほどの人々に会った。

 しかし、その中の誰もが、迷宮の外には出られない。

 少年は途方に暮れた。いつしか一人だった少年は、何十、何百という大所帯の一人となって、迷宮をさまよっていた。

 壁を壊そうと試みたものの、傷一つつかぬ。天井を突き破ろとしたものの、ひびが入らぬ。少年たちは絶望した。悲嘆の声が迷宮に満ち溢れた。こんなことになるとは、恋人が外で待っているのに、そのような声は迷宮の通路にむなしく響き渡るだけだった。しかし、少年は立ち上がった。

「どうにもこうにも外に出られない。こうなればやることは一つしかない、ただ進むのみだ」

 悲嘆にくれる人々を放って、少年は一人迷宮を歩き始めた。とにかく上へ、階段を上り坂を上がり、とにかく上を目指した。もうどうなろうとかまわない。とにかくでなければならないが、歩く以外の方法がないのだからしょうがない。


 そう、そこで少年は気付いたのである。いくら上がっても迷宮の端に行きつかないのだ。いくらでも登れる。そう、これが真実だった。

 少年たちがいる迷宮が、これほど高いはずはない。地下深くにいたり、奥の方にいたりしたのなら分かるが、いくらでも上に上がれてしまうというのはおかしいのだ。少年は、もうこの迷宮からは出られないことを悟ってしまった。そして、眠気に任せてもうひと眠りしたのである。


 少年の頬を、朝日が照らす。かすかな光に反応して、少年は飛び起きた。周りに人はいない。そして、すぐ目の前に出口があった。

 あれは何だったのだろう。夢か。はたまた幻か。いや、これが迷宮の本当の姿なのかもしれない。

 

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