猫夢(3)

 五日目。

 少々昨日の会話は短かった。なるべく今日は長めに話したいものだ。天気は良く、日は長めになってきた。都会と言っても、高級住宅地が並んでいるだけで、高い建物は少々といったところだ。

「やあ、今回は、路地の外へ行ってみようか」

 猫は、毛づくろいをしている。黒く品の良い毛並みにいっそう磨きがかかっている。案外、見た目を気にしているのか。

「路地の外に君はいられるのか?」

 僕は、不思議に思った。この猫が夢の中の住人ならば、居られる所は、限られると考えたのだが。

「ああ、勿論さ」

 黒猫は、僕の前を通り過ぎて、まだ明るい路地の外を通って、古い商店街の横の道を散歩し始めた。僕も、それに続く。

「君は、クラスメートとは仲良くやっているのかね?」

 黒猫は、そう質問した。よく見ると、まあまあ筋肉質である。

「そこそこうまくやっているよ。最も皆、思春期のど真ん中にいるような人たちだからね。いろいろと気に障ることを言ってしまったりもするさ」

「そのクラスメートに原因があるという様な表現の仕方だね。それに、高校生にしてはずいぶんと冷めた言いようだ」

「ああ、思春期の焦燥を非生産的に解決しようとしているのだよ、あの者たちは。いわば、無知だ。共感や、協調なぞという、くだらない幻想を使って、自分達の自尊心を保とうと固まっている。社会的言語伝達サービスを利用することで、高評価を得ようなどという話題で盛り上がったりするのだ。呆れるね」

「君はそうではないのか」

「社会的言語伝達サービス。通称エス・エヌ・エスの大半は、まともに批評をしてくれる者たちがいない。全く無価値だよ。人と繋がってばかりでないと、不安になり、自己を顧みることのない弱者が使う手段だ」

「ひどい言いようだね」

 しかし、事実なのだ。

「皆、いいねいいね、としか言わない、もしくはただの暴言が集中するようなサービスだ。それ自体にも、それを使用している人々にも、そう言いたくなる」

「あまり批判を深めて拗らせるのは、良くないことだ。謹んではどうかね?」

 商店街の裏側を通りながら猫は言う。

「時代の批評は勝手だが、人間に対する批評は、諍いの元にも成り得る」

「それで、諍いに発展させるような人間が悪いのだ」

 自身の弱点を突かれて、激昂するのは当然である。しかし、それを拗らせて、批判や批評を自分の糧にすることを忘れるほど、愚かしいこともない。

「僕は未だに、思春期の学徒達が、理解できない。黒猫君。僕に思春期は必要なのか? そうすれば、あの者たちとうまく、会話を共にすることができるのか?」

 黒猫は、歩くのをやめた。そして、尻尾を左右に振って考えるようなそぶりを見せる。その次にこう告げた。

「では、また次の日。いや、明日と明後日は学校は休みだ。月曜日にまた、路地裏に来るといい。では」

「では」

 黒猫は、商店街の奥に消えていった。何故だかわからぬが精神の奥底の霧が晴れたような心地がした。

 六日目。

 実にまずまずの日々であった。また、土曜日、日曜日を経て、月曜日に戻る。今日も僕は、路地裏へと向かったのだ。今日は一週間前と同じくよく晴れている。

「やあ、君と出会って一週間が経ったね」

 黒猫がそこにいた。当然のことといった雰囲気で蜜柑が印刷された段ボールの陰にちょこんと座っている。

「思春期についての質問が先週あったと思うんだが。答えは?」

 僕は、耐えられずに捲し立てるように黒猫に聞いた。すると、黒猫は淡々とこう告げた。双眸がこちらに向く。

「別に、必要なものでもない。まあ、可愛げは無いがな。君のような人間は少数派と言えば少数派なのだ。悩み事にするのはおかしいことではない」

 僕は、どこかほっとしたような、しかし誰かに失望したかのような感覚に襲われた。思春期は必ずしも必要なものではない。その言葉が、みしみしと音を立てて、僕の頭の内側を圧迫していく。黒猫は、煌々たる瞳をほんの少し僕から逸らした。実にさらりとした流し方だった。

「ところで、クラスメートとの交流はどうだった?」

「いや、交流というほどでもない。必要がなければ話さないのだ。ひどく俗悪な人間もいるからな」

「ひょっとして、君のそのような態度が好かれないのではなかろうか?」

「まあ、そうでもあるのか」

 納得できないことはないのである。しかし、解決できるかと問われれば素直に肯定できるものでもない。

 そもそも、人付き合いが好きというわけでもない。なのでこの態度が染みついてしまったとも考えられるのである。悲しきかな、僕の根性が曲がっているとも思う。

「君は、友人を大切にしたいと思うかね?」

 この黒猫は唐突に何を聞くのだろうか。会話の飛躍が異様に奇怪である。これが妄想だという可能性を忘れてはいけない。自分の脳細胞に言い聞かせる。

「微妙なところなのだ。僕自身もよくわからない。友人は有れば良い方だと考えるし、なのだが友人というものは、実に鬱陶しい。友人関係は、化学の分子のように人間の動きを制限する。何故皆はそれほど友人を欲するのか」

「君は孤独を望んでいるのかね? いや、そんな筈はない。君は賢明で、本来なら自然と周りに人が寄るものだからだ」

 黒猫は、路地裏で伸びをする。品の良い毛並みがよりいっそう強調されるので、飼い猫かと思うのだが、そんなこともないだろう。そして、僕は黒猫に言葉を掛ける。

「確かに人は寄るかもしれない。しかし、勉学のことばかりである。世俗のような話題に関しては、誰も僕に近寄らない。僕は、それで良いと考えているのだが」

僕はまた、いつもの癖で顎に手をやり、撫でる。そして、精神の奥底に、檸檬の果汁のような酸いものが広がった。この黒猫と会話をすると、思考が整理されるような気がするのだ。

「君は本当にそう考えているのかね?」

 どういう意味だね。と、僕は問い返した。すぐに言葉が返ってくる。

「君が今まで生きて体験してきた現象に、そう思い込まされているということは無いかね? 本当の自分など幻想。人間なぞペルソナに従って生きる存在であるからして、いくらでも変わり得る」

「黒猫君。君は何が言いたいんだい?」

「君が今まで築いてきた人間関係の結果、そう妄想しているだけかもしれないのだよ。自分は、合理的主義を有していて、周りの人間どもとは接すること自体が困難であると。私と話しているこの現象を妄想だと思い込むように、君の主義主張も一度、疑ってみては如何かね?」

「そんなことは必要ない」

 僕は、憤怒して言い切った。やはりこの猫は僕を馬鹿にしているのか。

「それを実行してしまえば、僕が創造してきた今までの形跡に意味が無くなってしまうのだ。それは不可能だ」

「何故、そこまで拘るのだね? 君という人間はいくらでも再構築し得る存在だ。それは、筋の通った主義主張ではなく、ただの妄信にすぎない」

 どう説明すればよいのだろうか。答えが分かった。

「うむ。今日はここまでだな。良い会話を有り難く頂戴した。私は帰らせてもらうよ。そう、明日は雨の予定だ。傘を忘れないようにね」

 猫は、間の抜けたような声で、僕にそう言ってから、路地の奥に消えた。

 明日の説明は非常に楽しみであった。

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