第56話
――”その日”に向けた準備は、本当に急ピッチで進められた。
いや、ボクがこれを急だと感じているのは、ボクに明確な”役割”が与えられてしまったからなのでしょう。
ベアトからの頼みを受けるまでのボクは、どこか他人事でした――襲撃によってうやむやになっていた慈悲王生誕祭の代わりに準備されていた”復活祭”なんて。
「……緊張しているか? クリス」
「いや、ええ、緊張してますね……先輩は、どうですか?」
グリューネバルトの屋敷には、周辺貴族や教会の人々が集まってきていて”スカーレット王国の正装”というものに、ボクは圧倒されてしまう。
アカデミアにいる間、こういう形式ばった場所に出ることはありませんでしたから。
入学式とかに間に合っていれば話は別だったんでしょうが。
「俺はしてない。あいにくと今日は出番もないしな」
「……だから、ボクにかまってくれているんですか?」
ボクに役割を与えた張本人のベアトも、フラウ殿下もここにいない。
今日の復活祭の主役だからだ。式典の流れは頭に入っている。ボクのやることは限られていて、大したことじゃない。
ただ、これだけの”視線の前”に出るんだという前提を忘れれば。
「まぁ、そういうことになるな。先輩として、ひとこと言っておこう。
それなりに振る舞え。あの場所でそれなりができれば、それは間違いなく成功だ」
……それなり、ですか。
なるほど、先輩は”気負うな”と言ってくれているのでしょう。
でも、確かにその通りなのでしょうね。
今のボクに、それなり以上のことは、おそらく、できない。
「さぁ、時間だ。行ってこい。大丈夫だ、お前ならできる。お前ならな――」
式典の開始時間、それよりも少し前、先輩に背を押され、ボクは祭壇の舞台袖に控えました。
僅かばかりにフラウ殿下と視線を交わして、目を瞑り、開幕の時間を待つベアトの傍に立ったのです。
「……オレは、お前に、かなりのものを背負わせてしまうだろう。
許せとは言わない。いつかそれが重荷になったのなら、恨んでくれてもいいぞ」
大勢の人々の動きを、遠くで感じながら、ベアトの呟きを聞きました。
恨んでくれてもいいだなんて、ふふっ、ベアトらしい言葉だ。
この人、思っているよりも繊細なんだから。
「それは無いね。ボクは、君の力を借りて”最高の論文”を書く。そのために君の依頼を受けた。
もしかしたら遠い未来に、この決断をしなければよかったと思う日が来るのかもしれない。
けれど、ボクは確信している。今、この状況に立たされたのならばボクは何度でも同じ決断をするさ」
強大な力を手に入れて、英雄としての一歩を踏み出す。
その先に待っているものが何なのか。それは今のボクには分からない。
それを知った未来のボクが、今のボクをどう思うのかも分からない。ただ、分かることはひとつ。
未来を知り得ない”今のボク”は、未来を知り得ない限り、何度だってこの決断をする。それだけのことだ。
「――本日、お集まりいただいた皆々様。
まずは先日の”生誕祭”についての謝罪と、竜の災難に見舞われた我々への支援に心よりの感謝を、申し上げさせていただきます」
祭壇の前方に現れたフラウフリーデ殿下が、うやうやしく頭を下げる。
ヘイズ襲撃により、グズグズになってしまった”生誕祭”と、襲撃からの復興支援。
それらへの謝罪と感謝から始まるのは当然のことだろう。
「竜の者たちからの襲撃により、生誕祭は中止に追い込まれ、海上霊廟も失われてしまいました。
歴史的な遺産がまたひとつ、この世から去っていったことは無念の極みであります。
しかし、この惨禍の中において”祝福”すべきこともまた、起きてくれた」
儀礼的な来賓の説明を交えながら本題へと移行していくフラウ殿下。
その語り口は、重厚でありながらも聞きやすく、心地いい。
恐ろしくなるくらいに、上手い人だ。
「慈悲王の遺産は、失われた。しかし、同時に戻られたのです――彼が”慈悲王ベアトリクス”陛下が」
祭壇の中央に光が宿る。
強い逆光の中を背に、現れるは”慈悲王ベアトリクス”まさにその人。
……ベアトの奴め、すっかり調子が戻ったからって派手派手に魔法を使いやがって。
「――祝福と紹介をありがとう、我が遠い娘よ。
そして、ご来賓の方々には、待たせてしまったかな?」
黄金色の外套を靡かせ、頭上に”慈悲の王冠”を掲げるベアトリクス。
その立ち振る舞いは、まさに”慈悲王陛下”だった。
「我こそが300年の眠りより目覚めた”慈悲王”である。今、唯一この世に残っている”魔法王”と言ってもいいだろう。
この身体は、複数あったうちのひとつに過ぎぬが、これしか残らなかったのだ。”王”には相応しくないが、許してもらおう」
小娘としての自らの姿を卑下しながら、場の空気を掌握していくベアト。
その話術と振る舞いは巧みなものだ。特に自分が敬愛するベティさんの身体について、ああも偽りの情報を流せるなんて。
ゾクゾクするね。でも、ベティさんについて知っているのはボクくらいのものなんだから、この嘘はバレない。露見しない。
あくまで”小娘の身体”は、残ったスペアのひとつとして認識される。
「――300年前、かの”スカーレット王”が魔法王たちを討伐するよりも前の時代。
私は、その世界の住人である。
人類を殺し尽くしかけた”魔法王”最後の生き残りである」
そうだ、今、ベアトが語っていることこそが”火種”であり、ベアトはそれを消そうとしている。
そのためにベアトは、この現状について規定しなおしている。自分の言葉で、自分に都合がいいように。
「しかし、あの時代の人間であるからこそ私は言いたい。
あのような時代は、蘇ってはいけない。人が人の命を犠牲にじて”魔法”という技術だけが膨れ上がっていくなど、狂っている。
だから私は、あの時代においても”自らの民”を殺さなかった。守るべきものを糧にしての勝利など、なんの意味もない」
――慈悲王が語る、魔法時代への感覚。その実感の伴った言葉の重みに、圧倒されそうになる。
ベアトだなんて気軽に呼んでいるけれど、確かにそこにいるのは”魔法王”なんだ。
自らの力で一国を築き、それを150年維持してみせた化け物なのだ。
「そんな最も単純なことが分からなかったから魔法王どもは滅んだ。
たったそれだけのことをよく理解していたからこそ、スカーレット王は建国を果たした。
かの”王の意志”を継いで、300年という時を前に”王の意志”を勝利させ続けている王族貴族の方々。
そしてそれを支え、再び太陽の女神のぬくもりを取り戻した教会の方々。私は君たちに、最大の敬意を表しよう――」
言葉を止めるベアト、訪れる静寂。そして――
「だからこそ、私は理解した。今、この時代において”慈悲王”の力は必要ではないのだと。特に私のような”前時代の老人”には」
言った、言ったぞ。ベアトの奴め、だいぶ事前の相談と違う事ばかり言いってくれたけど、まもなくだ。
まもなくボクの出番だぞ……ッ!
「ゆえに託したいと思う。此度の竜族との戦にて現れた”新世代の英雄”に、この”慈悲の王冠”を」
ここは脚本通り。そしてこの言い回しが絶妙なのだ。
”慈悲王”の力はいらないと宣言して”慈悲の王冠”を手放すだなんていうものだから、まるで今後、ベアトは魔法を使えなくなるんじゃないか。
そんな風にまで錯覚させる。そういう言い回しを、敢えてしてるんだ、ベアトリクスは。
「さぁ、来てくれ――”死竜殺しのクリスティーナ”」
導かれるままにベアトの前へと進む。ボクの姿を認めた人々から『あんな小娘が……?』という反応が漏れているのが分かる。
ベアトが壇上に現れたときにもあったけれど、ボクに対して向けられるそれは、ベアトへのそれの比じゃない。
……それなりだ、それなりでいい。ここで見返そうとか思うな。そういうつまらない対抗心は、要らない。
「ハッ――クリスティーナ・ウィングフィールド、ここに」
ベアトの前で片膝をつく。ここまでの動きは何度も練習した。
一寸の狂いもない。練習通り、かなりカッコよくなっているはずだ。
「此度の戦い、誠に大儀であった。特に”王冠”の力を引き出し”太陽騎士”として戦ってみせたのは、皆の記憶にも焼き付いているはずだ」
「ッ、恐れ多いお言葉。全ては”太陽の女神”の導きにございます」
……クソ、声が震えた。事前の台本通りなんだけれど、周りの反応が凄かった。
どうにも情報の広まり方が歪だったのか、死竜殺しのクリスティーナと、小娘であるボクと、ヘイズ襲撃で活躍した太陽騎士と。
この3つが繋がりきっていなかったのだろう。それが今、ベアトの言葉で繋げられた。だから、感嘆の声が漏れ出てきたんだ。
「そうだ。この女神のアーティファクトは”君”を選んだんだ、クリスティーナ。
だからこそ、君に託す。私の力を。魔法王というものが、二度と蘇らないように。そして、女神の神秘が無為なものへとならないように」
跪くボクの頭上、そっと”慈悲の王冠”が被せられる。
あぁ、今、この瞬間が、いつか物語として語られるのでしょうか。
あの”慈悲王年代記・序章”のように。ボクもまた、そんな英雄になっていくのでしょうか。
……ダメだ、分からない。今のボクには、そんな未来、想像もできないんだ。
「謹んで、お受けいたします。
私もまた、太陽の信徒の1人、彼女に愛された人類の娘。
ならばこの神秘、正しい力と使ってみせましょう――」
――ボクが”太陽の信徒”か。ああ、なんて、白々しい。
「ありがとう、クリス……これで私もまた”慈悲王という座”から、降りることができる」
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