第55話
『黙っていればいいものを。より確実にフラウフリーデを取り戻せたのに』
混濁していた意識が戻りつつあり、そしてまだ瞼を開けなかった一瞬。
太陽の女神から最も遠ざかり、死の女神が待つ”あの世”に最も近づいた狭間で、俺は思い返していた。
ドラコ・ストーカー首領ビルコ・ビバルディの言葉を。奴の放った”揺さぶり”を。
(……フラウ、俺は)
あの時、俺は確かに思っていた。俺の中にいる冷徹な俺は考えていたんだ。
ビルコにやらせてしまえ。ベアトリクスを見捨てろ。そうすれば、フラウだけは、確実に取り戻せる。
慈悲王は、ヘイズ・グラントと相打ちになった。そんな絵を描いて喧伝すれば、ことは丸く収められるだろう。そんな筋書きを走らせていた。
(どうして、俺は……)
なのに俺は”人の子”であることを選んだ。グリューネバルト家の血筋を優先させた。慈悲王への忠誠を、優先させた。
ベティと名乗っていた少女、慈悲王ベアトリクス自身を嫌っているわけではない。
ただ、彼女への恩義など遠い昔の過去であり、そこまでの思い入れもなかったはずだ。なのに、俺は、彼女を守ることを選んだ。
(同じだ、あの日と。俺はまた、あの日と同じ間違いを重ねようとしたんだ……ッ!)
公式的な記録の上に置いて、俺が魔法に目覚めたのは、街中での事故を防ごうとした”ある事件”ということになっている。
だが、実際には違う。本当は、その数年前には目覚めていた。本当に俺が初めて魔法を使ったのは、森の中のことで、狩りの最中だった。
俺に魔法の才能があると知ってしまったのはごく限られた人間だけで、その事実は隠匿された。それで、上手くいっていたんだ。しばらくの間は。
(ッ――俺が、あの日、見知らぬ娘など、見捨てていれば……ッ!)
グリューネバルト領の街中、馬車を引いていた馬が興奮し始めた。
そして、手が付けられなくなって、暴走して、目の前の少女が、ひき殺されそうになった。
見ていた、それを見ていた。眼前の現実を前に、俺は使ったのだ。生まれ持ってしまった魔法を。そしてそれを、衆目に晒した。
あの時から、あの時から俺の未来は、なくなった。グリューネバルトの領主になることはできなくなった。
フラウに、その座を譲ることになった。それが、今回の事件を招いた! 本当なら俺でなく、彼女が、他の街へ留学に行っているはずだった、はず、だったのに……!
もし、もしも、そうであったのなら、フラウは無事だった。今回の事件に巻き込まれることは、なかった!
俺のせいだ、俺のせいなんだ……俺が、人としての情に、流されたから、こうなった……ッ!
(……許して、許してくれ……フラウ……ッ!」
声が漏れるのが分かった。荒い呼吸が、唇を突き抜けた。
瞬間、身体の感覚が戻ってきて、右手にあたたかいぬくもりを感じた。
「大丈夫? うなされてた、みたいだけど」
「……ふ、らう?」
漆黒の長髪、青い瞳、鋭利な眼鏡、そして何よりもその柔和な微笑み。
……間違えるはずがない。フラウだ、フラウフリーデだ。
何者にも汚染されず、囚われていないフラウ姉さんが、居るんだ! ここに!
「ええ、私よ、ハルト……良かった、本当に良かった……!
……もう、目を覚まさないんじゃないかって、不安だったの……」
――ビルコが放った攻撃、その直撃を受けそうになったクリスを庇って、俺は深い傷を負った。
死さえ覚悟したけど、そうか、戻って来れたんだ、フラウは、無事だったんだ……!
「……姉さんの無事を確認せずに、死ねないよ。
良かった、フラウが無事で。身体は大丈夫かい? 乗っ取られていた時の後遺症は、出ていない?」
「うん、大丈夫よ。慈悲王様に、診てもらったから」
そうか。あの人が見たのならば間違いはないだろう。
……良かった、慈悲王様も無事だった。俺とクリスの戦いに、意味はあったんだ。
一騎当千のドラガオン相手に、俺たちは時間を稼いでみせたんだ……!
「ごめん、ごめんなさい、ハルト……私、貴方にとんでもないことを、させようとしていた……!」
俺の手を握り、自分の方へと手繰り寄せるフラウ。
それに応えるように俺もまた、彼女の身体を強く抱き寄せた。
「良いんだ、言っただろう? バカなことを言うな、って。
それだけのことさ。怒ってなんかいないよ」
「……っ、ハルト、ハルト……っ!」
泣きじゃくる彼女の背中を撫でる。
……ああ、昔は、俺が何度もこうしてもらっていたのに。
いつの間に、彼女の背は、こんなに小さくなったのだろう。
貴女は、俺にとって、どこまでも大きな姉だったのに。
「……ありがとう、本当に、ありがとう……すごいね、ハルトは。
私、もうダメだって、思ってたのに、諦めてたのに……!」
――凄いのは、俺じゃない。支配されてもなお、俺に知らせてくれた貴女であり、この街に訪れていた後輩であり、復活した慈悲王だ。
あと付け加えるのならば、ドラコ・ストーカーの存在も外せないか。
最後こそ決裂したが、あいつらが追い込んでくれたおかげでヘイズとベアトリクスの一騎打ちに持ち込めたんだ。
今回の勝利は、何かひとつでも要素が欠けていれば成立しなかった。月並みな言葉だが、奇跡と言って、良いだろう。
「……俺だけの働きじゃないさ、フラウ」
「ううん、だとしてもハルトが居なければ、私はここにいない。こうしていられなかった。
それだけは、分かる、分かるの……だから、本当に、ありがとね。私が諦めていた私を、諦めないでくれて」
フラウから向けられる純粋な感謝に、こちらの瞳が熱くなるのが分かる。
……ああ、女の前で、涙を流すなんて。
けれど、今日くらいは許してもらおうか。これが成果なんだ。
長きに渡った、この絶望的な戦い。その中で掴み取った”成果”なんだから。
「……ぁあ、フラウ、君が無事でいてくれて、良かった、本当に」
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