第54話

「――さて、クリス。全てが終わったわけだが、これからいったいどうするよ?」


 ヘイズの乱入によって台無しにされた”慈悲王生誕祭”

 その穴埋めを兼ねるように急ピッチで準備されている”慈悲王復活祭”

 そんなバタバタの中で、いつぞやかのようにブランチというものを楽しんでいました。

 慈悲王ベアトリクス、まさに、その人と。


「ふふっ、じゃあ、貴女をさらってみせようかな? 慈悲王様――」


 レイモンドさんの淹れてくれた紅茶をたしなみながら、いつかのやり取りをトレースする。

 本当に何気ないやり取りだったのに、胸に残っているみたいだ。ベアトにとっても、ボクにとっても。


「ははっ、さらうのか。クリスが、このオレを?」


 満面の笑みを浮かべながら、語りかけてくるベアト。

 今の彼女を、いや、彼なのだろうか。まぁ、いいか、彼女で。

 ――今の彼女を見ていると、本当に、戦い抜いた甲斐というものを感じる。

 彼女が魔法時代の遺物だから。なんていう理由で死なせずに済んで、本当に良かった。そう、思うんだ。


「うん、君がそれを望むのなら。もちろんタダではやらない。報酬は弾んでもらうよ?」

「げぇっ、有料とは、アレじゃないか。フラウに吹っ掛けたときみたいじゃねえか」

「当たり前だろ? 取れる相手からは取る。それがボクのやり方さ」


 人の頼みは、タダでは受けない。それが”育ての兄”からの教えなんだ。


「なら、その頼みは出来ねえなぁ……アカデミアとやらには行ってみたいんだけど、今はそれも難しそうだしな」

「戻るのかい? ”慈悲王”に」

「――まさか。”魔法王の復活”なんて、正気の沙汰じゃねえよ」


 言いながら、物憂げな表情で外を見つめるベアト。

 彼女の瞳には、何が写っているのでしょうか。


「ここは、グリューネバルト領だ。あいつの息子たちは、思った以上にやってくれていた。

 ……オレの出る幕はない。ましてや、再び玉座に着くことなんて、あり得ない」


 ――なんだ、ベアトめ、珍しく随分と弱気じゃないか。

 まるで今にも”今のここには、オレの居場所はない”とか言い出しそうなくらいに弱々しく見える。


「なら、良いんじゃないのかい? 慈悲王としての名前を捨てて、ボクのところに来なよ。金なんて取らないからさ」

「……なんだ、急に真面目になって」


 それはこっちの台詞だ、今にも消えそうな表情のくせに。


「いや、なんか”オレには居場所がないからもう一度眠る”とか、そういうこと、言い出しそうだなってさ」

「――? ぁ、ああ、そっか。そういう風に見えたか?」


 クスクスと笑いながら、ボクの頬に触れるベアト。

 その白い指が色っぽくて、ベティ姉さんという人の匂いを、感じてしまう。


「いや、違うんだよ。慈悲王が復活したってことは、既に喧伝されているからよ。

 そりゃ、ここの領民たちは祝福してくれてる。けどよ、外の連中にしてみれば格好の的だ。

 他の貴族や教会あたりが難癖をつけて、こちらの領土を切り崩しに掛かってくる可能性は、容易に想像できる」


 ――ベアトが纏っていた儚げな空気が霧散していく。

 その奥から、ギラついた”為政者”としての顔が見え隠れする。


「だから、君は、消えようとして……いるわけじゃないんだよね?」

「フッ、おいおいクリス、それはいくらなんでもオレって男の我欲を甘く見てるぜ。

 オレはヘイズを殺してから150年も”慈悲王”をやってたんだ。今、オレが考えているのは、外の連中から大義名分を奪うこと。オレが無力だと喧伝する方法だ」


 ――内部の実権は、既に握っているも同然だからな。気にするのは、外だ。

 なんてほくそ笑むベアトを見ていると、本当にゾクゾクする。

 なるほど。これが、慈悲王か……!


「何か、方策があるのかい?」

「……そうだな、今のところ考えているのは、ひとつだけだ」

「聞かせてもらっても?」


 こちらの問いに頷くベアト。


「オレが”慈悲王”でなくなるために”慈悲の王冠”を、手放す――」


 ッ……!?


「良いのかい……? 大切な、もののはずだよ」

「まぁな。オレにとっては”魔法皇帝”の遺品でもある」


 魔法皇帝と慈悲王ベアトリクス。

 片や”魔法時代”を築いたほどに、人の命を魔力へと変えた怪物。

 片や、皇帝の用意した狂気の時代の中で”唯一自国民を殺さなかった魔法王”

 歴史として一見すると、真逆の存在であるように思える。けれど、違うのだ。

 ベアトが慈悲王になれたのは皇帝に見初められたからであり、そのことへの恩義もベアトは確かに感じている。


「なら、それを、政治のために手放すだなんて……!」

「良いんだよ、元々あれは教会系のアーティファクトだ。

 魔法皇帝が最初期に得た”戦利品”だ。あいつからオレの手に渡るよりも前からずっと、いろんな人間の手を渡り歩いてきたんだ」


 そんなこと言いながら、愛しそうに”慈悲の王冠”を見つめるベアト。

 こうして彼女が戯れていると、それが絶対の力を持つアーティファクトだなんて、信じられない。


「……なら、いったいそれを、どうするつもりなのさ?」

「そうだな……なぁ、クリスよ。頼みがあるんだ」

「――ッ……あー、嫌だ。ボクは、君の頼みはタダじゃ受けない」


 なんか強烈に、とんでもないものを背負わされる気が、しています。

 そしてこの予感、たぶん当たってしまうんでしょう……。


「仕方ねえなぁ。じゃあ、お前の論文のための取材、全てに答えてやるよ。

 どうせお前、まだオレが記憶を取り戻す前に書いていたときと同じなんだろう?

 オレが質問に答えて、オレが添削してやる。これ以上の報酬があるかな?」


 ッ――凄いな、それは、魅力的だ。

 生の”魔法王”に直接の取材をしたうえで書かれた論文なんて、誰が書いたって凄いものになる。しかも、ベアトが見てくれるだなんて……それ以上は、ないぞ。


「ベアトってさ、魔導書って書いたこと、あるんだよね?」

「グリューネバルト家のために、いや、それ以外も含めて40冊程度は書いたぜ」

「ッ、君の話に乗ろう! いったいボクに何をしてほしいんだい?」


 目の前の利益に、抗えませんでした。

 ここまで魅力的な条件をぶら下げられて、断れるものかって話です。

 そして、ベアトは、ニヤリと微笑みながら、言ったのです。


「継いでほしい。”慈悲王”の終焉に合わせて、それを受け継ぐ”新しい英雄”になってほしい――なぁ、”死竜殺しのクリスティーナ”?」


 ふふ、いつの間にか、謳われるようになったボクの”二つ名”か。

 それを絶対のものに変えようというんだね、ベアトは。


「……いいよ。謹んで、お受けしようじゃないか。慈悲王様?」

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