第49話
「――オレの身体を手に入れて、全てを蹴散らすこと。それ以外に道はない、違うか?」
慈悲王・ベアトリクスの言葉に、この場にいる全員が息を飲む。全員が。
「……良いだろう。あの日の復讐を、果たしてやる」
「それはこっちの台詞だぜ。ベティの仇だ、今度こそ完全にぶち殺してやる」
ベアトの傷口が”烙印”へと変わる。
慈悲の王冠が守ってくれていなければ、ボクもこうなっていたんだと思うと背筋が冷える。
「ベアト、持って行くんだ。これは、君の力だ」
「……ありがとよ、ちょっくら、長くなる。
悪いな、クリス。お前には、心配と迷惑ばかりかけちまってる」
烙印が輝き、ヘイズの魔力が集中する一瞬、ボクはベアトに返した。
”慈悲の王冠”を。ボクに圧倒的な力を与えてくれたアーティファクトを。
かつての魔法皇帝が、慈悲王以前の”ウィアトル少年”に与えた神秘を。
「良いんだ、良いんだよ。心配するのは、君が好きだから。
好きだからさ。迷惑だなんて、思っていないんだ」
「フフッ、ありがとよ、クリスティーナ――」
そう、ボクの頬に口づけをしたベアトは、直後、棒立ちになった。
意識を失い、それでもただ立ち続ける。そういう風に、なってしまった。
数秒後、彼女の身体から無数の魔力が溢れ、渦を巻き始める。
(今、この小さな身体の中で”魔法王”が2人、殺し合っているってことなんだ……)
外に現れていないだけで、起きていることは、ベアトが飛び込んだ戦場は、壮絶としか言えないのだろう。
けれど、ボクには何もできない。慈悲の王冠を頭上に頂き、あの海上霊廟で眠っていたように、あの時のように瞳を閉じる彼女の前で、祈ることしか、できないんだ。
「ッ、フラウ――!」
「おっと、待ちたまえよ、ゴットハルト君。
まだ彼女に近づかない方がいい。
彼女を解いてしまえば、ヘイズが勝利したとき、足下を掬われるぞ」
力を失い、無数の鎖にもたれ掛かるようにぐったりとしているフラウ殿下。
ゴットハルト先輩が駆け寄りたくなるのも分かる。
そしてビルコがそれを制する道理もまた、理解できる。
「ッ、だが……!」
「今は見守るべきだと思うがね。次に目覚める彼女が、慈悲王なのかを。
君は彼女の遠い臣下なのだろう? ならばその役目、果たせぬ道理はないはずだ」
――ドラコ・ストーカー首領、ビルコ・ビバルディ。
こいつはとても狡猾な男だ。
でも、部下を最優先にするという点においては信頼できる男だと思う。
では、今、ボクはこいつのことを信用していいのか?
それを考えながら、ボクは一歩、踏み出していた。彼に向かって。
「――やぁ、ビルコ・ビバルディ。久しぶりになるね」
「ほう? 君はクリス・ウィングフィールドか。嬉しいよ、君が生きていてくれて。
どうだね? ドラコ・ストーカーに、来ないかな」
こちらに向けて胸を開いてみせるビルコ。
相変わらず、この謎の勧誘、本当に信用ならない男だ。
「誰が、ボクを殺そうとした奴のところに行くもんか」
「君が私の部下になってくれれば、私は全力で君を守るつもりなんだがね」
「要らないね、アンタからの庇護なんて」
それは残念だ、なんて言いながらビルコはボクの隣に立つ。
奴が視線に写すのは、眠るように地面に立つ”慈悲王ベアトリクス”
――なんだ? 嫌な、予感がする。
「今、そこにいるのは、共に”旧世代の遺物”だな――」
「……何が、言いたい?」
「分かっているんじゃないのか? だって君は既に、刃を握っているのだから」
一度はブレスレットの中にしまい込んでいた”黒槍”だった。
だけど、ボクは手を伸ばしていた。いつでも引き抜けるように、構えていた。
分かっていたから。このビルコ・ビバルディという男が、何を、企んでいるのか、ボクには分かったから――ッ!
「やらせない――ッ!」
「――なぜだね? あるべき姿に戻そうというのだ。
歴史の向こう側の存在を、諸共に葬り去る。そして我々は、解放される」
ぶつかり合う黒槍と紫剣、クソ、今のボクに”慈悲の王冠”は無い、無いんだ……ッ!
「やかましい! ボクにとって、ベアトは”歴史の向こう側”なんかじゃないッ!」
「では、こう言おうか? これは必要な犠牲だ!
フラウフリーデ・グリューネバルトのために、そして我々のために!」
ええい、ああ言えば、こう言ってきやがって……!
ふざけるな、何が”必要な犠牲”だ! そんなはずがあるか!
だって、ベアトは勝つんだ。ヘイズを殺して、あいつの魂を殺し尽くして、帰ってくるんだ。ボクは疑っていない、慈悲王の勝利を、疑ってなどいない!
「何が我々だ、ドラコ・ストーカー! お前は言ったな?
”確実な勝利”のために”完全な勝利”を捨てるなんて、愚か者のすることだって。
ボクにとっての”完全勝利”のために、ベアトには無事で居てもらわなきゃ困るんだよ……ッ!」
交える剣戟の中で、冷や汗を流しながら、思う。
何かに迷った時、ボクはいつも考える。
――”後悔のない選択をしよう”そんな単純な考えに立ち戻る。
きっと、ボクは、このビルコ相手に長い間立ち回ることはできない。
勝つことは、できない。
それでも、ボクの力不足を理由にベアトを見捨てれば”後悔”する。
たとえ、ボクの実力が目の前の現実に及ばないとしても、ボクは今、ボクの決断を誇れる。何の間違いもないと思える。
ならばボクはこうする。それが、ボクの生き方なんだ――ッ!
「無駄な足掻きだ。君に、勝ち目はないんだからな」
引き抜かれる2本目の剣、増える手数に、圧倒される。
こちらの槍捌きが、追いつかなくなっていく。
ダメだ、防ぎきれない――ッ!!
「――おいおい、俺を忘れてないか? ビルコ、ビバルディさんよ」
2振りの剣、それを捕らえる純白の聖鎖。
無論、その主は、ただ1人――ゴットハルト・グリューネバルト。
それ以外にいるはずもない。
「黙っていればいいものを。より確実にフラウフリーデを取り戻せたのに」
聖鎖に捕らわれた剣を捨て、再び虚空より剣を引き抜くビルコ。
そして、その眼前に立ちはだかるゴットハルト先輩。
「悪いな、俺も”人の子”なんでね。
そして何よりも、俺たちグリューネバルトは、慈悲王ベアトリクス最大の臣下。
この役目を投げ出したら、俺たちが俺たちである意味がないのさ」
――外套を翻し、構える先輩。一瞬だけ、交わる視線。
覚悟を決めるには、それだけで充分だった。
ドラガオンは、1人で1000人の兵士と同じだけの力を持つという。
ボクらは今から、たった2人で、そんな化け物に、立ち向かうんだ。
慈悲王のため、ボクのかけがえのない友のため、彼の血に定められた主のため。
「よかろう、利害の相違だ。ならばあとは、力でことを決する他ないな!」
ビルコの纏う魔力が一段と強くなる。文字通りの臨戦態勢。
部下の命をより確実な形で救おうというのだ。
強いぞ、ここからの彼は、一段と強くなる……!
「行けるな、クリス――?」
「――もちろんですよ、先輩!」
それでも、奪われるわけには、いかないんだ。
負けるわけには、いかないんだ。
ベアトを死なせての勝利なんて、受け入れてやるものか!
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