第38話

 故郷を出てから、魔法使いの1人もいないような故郷を出てから、それなりの時間を過ごしてきた。

 いくつも驚くようなものを見てきたし、ベインカーテンの影に全く触れずに過ごしてきたわけでもない。

 つい1週間前にはドラガオンとも戦った。あのビルコ・ビバルディと、戦った。


「これが、ドラガオン……!」


 けど、これは別格だ。

 こんなに”恐ろしいもの”は、初めて、目の当たりにする。

 単純に巨大というだけで恐ろしいというのに、広げた翼で威嚇されるだけで絶対的な力の差を感じてしまう。

 竜というもの、それだけで恐ろしいと分かるのに、そんなものが濃厚な”死”を纏っているんだ。

 これが、人間の天敵でなくて、なんだというんだ……!


「フフッ、ハハハハ! 絶望しろ、慈悲王! 今から私は、私の”国”を取り戻す!」


 急上昇する死竜、巻き起こる突風が、全身に突き刺さる。


「――あいつ、本当に皆殺しにするつもりか!」

「だろうな、魔法王にとっての”国”っては”人々の命”だ」


 マズいぞ、相手は空を飛ぶんだ、こちらの足じゃ追いつけない……!

 そう考えていたボクが、甘かった。

 だって、次の瞬間、頭上遙か遠くから、どす黒い炎を吐き出してきたのだから。


(こんなもの、どう、避けろっていうんだ……ッ!?)


 見上げる空の全てが塗りつぶされているんだ、逃げ場なんて、ない。


『――来い、慈悲の王冠!』


 慈悲王ベアトリクスの絶叫が響く。瞬間、投げ捨てられていた、ヘイズが放棄していた”慈悲の王冠”が、その主の元へと舞い戻る。


『か弱き我々に”太陽の加護”を、与え、給え――ッ!』


 教会系の力、神官聖術と呼ばれるそれに近い力が溢れ出す。

 黒く染められた空に、太陽が現れる。

 仮初めの太陽は、空から降り注ぐ死から、ボクらを守ってくれる。


「すごい……」

「ハッ、あの死霊の力はオレが用意したんだ。対処できないはずがないだろ?」


 ニヤリと笑うベアトに、彼女が慈悲王であることを実感する。

 今の”慈悲の王冠”は凄かった。

 ここまでの堅牢で大規模な防御術式は、見たことがない。

 

「どうしようか、ベアト。ウマタロウの足でも、アレには追いつけない」

「分かってる。少し、待ってくれ――」


 慈悲の王冠を頭にいただき、深く息を吸ってみせるベアトリクス。

 黄金色の髪と瞳が、体内に流れる魔力を写し出し、強く輝く。

 この局面でなお、時間をかけて用意しているんだ。

 なんだ? いったい何が出てくる?

 魔法王はいったい、この局面でどんな術式を使うんだ?


「――クリエイト<スカイストリート>――」


 紡がれる言葉、瞬間、ボクらの足下から”輝く道”が生み出されていく。

 それは天へと昇り、飛び去ったヘイズを追うための道が、空へと描かれていく。


「さぁ、これで追えるか? クリス」

「もちろんだよ、行けるよね? ウマタロウ」

「――ヒヒーンッ!」


 猛るウマタロウの手綱を握り、天空へと続く道を駆け出す。

 ……高さへの恐怖、そして同時に何の障害物もない空を駆ける開放感。

 すごいな。この景色は”初めて”だ。


「クリス、そしてウマタロウと言ったな?

 今からオレが、君たちに”加速”を掛ける。呼吸を合わせてくれ」


 加速の魔法――あれか、目覚めたての時に使っていたあの魔法か。


「分かった、頼むよ。ベアトリクス様――」

「――任せろ、クリスティーナ」


 ボクの背に乗るベアトが、強く強くこちらを抱きしめてくる。

 背中越しに、彼女の体温が、吐息が、鼓動が、その全てが感じられる。

 空の上、風を切って感じるそれに、思考が冴えていくのが分かる。


「――さぁ、行くぞ。追いついてみせよう」


 加速した時の中、一歩また一歩と踏み出すたびに、いつもよりも数倍の距離を進んでいく。

 邪魔するもののない天空を、とてつもない速度で駆けていく。


「見えて、来たね。ベアト――」


 グリューネバルト領、その市街地に差し掛かってきた頃だ。

 ボクらはようやく、ヘイズの影を、巨大なものとして捉えることができるようになった。


「――殺し、尽くしてやろう! フフ、ハハハハハ!!」


 腐りかけの翼を広げ、巨大な牙の内側に”漆黒の炎”を蓄える死竜。

 アレが吐き出されれば、街ひとつが死ぬことになる。

 一撃で全ての人間が”動く死体”になることはなくても、動く死体は、死体を増やす。

 街ひとつを滅ぼす死体を作る母数としては、あの一撃で充分すぎる。


「吐息を、吐かせるな――ッ! 行くぞ、クリス……ッ!」


 突っ込もうとするベアト、ここから起きるであろう大惨事を防ぐための命がけ。

 死地へと飛び込むその行為に、躊躇わずボクを同行させる慈悲王に、心が躍る。

 そうだ、ボクは、逃がされるだけの小娘じゃない。それが、嬉しい!


「ああ、やってやろうじゃないか、ベアト!」


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