第33話

 ――翌朝、オレはクリスを見送った。

 ウマタロウという独特の名前をした愛馬に跨がり、このグリューネバルトの屋敷を旅立つ彼女を、見届けた。

 荷物は既にまとめてある。クリスが居ない不審を突かれる前に、オレはこの屋敷を後にする。


「クリスお嬢様は、帰られたのですね――?」

「……レイモンド、マクスウェル」


 不意に真後ろを取られていた。

 グリューネバルト家料理人筆頭にして、ゴットハルトという少年が唯一味方だと認めた男。

 ――バカな、まだ300年に渡る眠りの後遺症があるとはいえ、このオレが簡単に後ろを取られるなんて。


「おじさんで構いませんよ、ベティ」

「――悪いな。もう、そういう気分じゃないんだ」


 こちらの声色に、何かを察したような顔をするマクスウェル。

 

「なるほど、貴女は何かを思い出されたようだ。

 ……坊ちゃんのところに行くのでしょう? こちら側の裏口は、人目があります」


 スッとオレの手を引くマクスウェル。

 ここまで気を遣える逸材を、グリューネバルトが抱えているとは。

 あいつの息子たちにしては趣味が良い。


「なぁ、マクスウェル。貴方は逃げたくならないのか? その腕があれば、どこででも、食べていけるはずだ」


 こちらの半歩先を歩く背中に問う。

 いったいなぜ彼は、立たされた窮地から逃げ出さないのかを。


「ふふっ、確かにどこででも食べてはいけますよ。

 いくつか別の場所にも顔は利きますしね。

 ただね、ベティ様、私にとってゴットハルト坊ちゃまは、とても気になる主君なのです」


 優しげに微笑むレイモンド・マクスウェル。

 この表情を見ていると、ゴットハルトがマクスウェルという料理人に活路を見いだした理由が分かる気がする。

 彼の、この表情だけは、ヘイズに真似することはできない。それが分かる。


「気になる?」

「ええ、彼はとても危うい人だ。彼の根底は善と言えるでしょう。

 けれど思考はとても聡明で利害を重んじる。君主になるための才覚を持って生まれ落ちている――」


 ゴットハルトという少年の根底は善、か。

 それは分かる気がする。クリスとオレをアカデミアに逃がそうとしたあいつはどうしようもなく”人の子”だ。


「――善性と利害、その狭間で彼は”大きな過ち”を犯した。

 10年前のことでしょうかね。馬車に引かれそうになった街娘を助けるために彼は初めて”魔法”を使った」

「そのために、グリューネバルト領主になる道を絶たれたんだったな。今のスカーレット王国で、魔術師は領主になれない」


 まぁ、当然の流れだ。300年前のスカーレット王は、魔法王たちを打ち倒してこの国を建国した。

 だが、その血を継ぐ王族・貴族にだって魔術師は生まれてくる。その時、その者に土地と民を預けるか?と聞かれれば、それは否だろう。


「そうです。彼が善人でなければ、魔法に目覚めることはなかったでしょう。

 そして、彼が君主としての才覚を持っていなければ、魔術師として上手く生きていけたはずだ」


 ……つまり、ゴットハルト・グリューネバルトという男は、魔術師として生きていけない、と。

 マクスウェルの見立て、それを評価できるほどオレはゴットハルトという少年のことを知らない。

 

「だから、私は、彼の歩む人生がどのようなものになるのか。

 それを見届けたい。容易ではない宿命を背負ってしまった彼を、こんなところで死なせたくないのですよ」


 およそ、料理人らしくない男だ。

 だが、気に入った。本当にこいつは、面白い男だ。

 慈悲王だった頃なら間違いなく雇っている。主君のことを、こうやって見つめられる人間は希だ、貴重なんだ。


「それは、こちらも同じさ。

 あいつは、死なせない。もちろん、フラウの奴のこともな」

「……状況は、深刻と聞いています。

 そして、確かにお嬢様は、お嬢様でない一瞬がある」


 別の裏口にたどり着いたところで、マクスウェルが足を止める。

 今日の昼には、ここに潜入するであろうゴットハルトを迎え入れるために、この男は”竜の腹中”に留まるのだ。なんて、強靱な精神力。


「ですがね、ベティお嬢様。人は、自らの生存を第一に考えるものだ。

 そうでなければならないと、私は思う。

 だから、貴女も『自らを犠牲にしてでも』などとは、ゆめゆめ思わぬように」


 ――なにを、そんなこと誰も言っていないじゃないか。

 そう、言い返そうと思った。けれど、言われてから気づいてしまった。

 クリスを帰し、ヘイズとの決着を望むこのオレは、思っている。

 ここで死ぬのならば、悪くない終わりだと。

 450年前に殺し損ねてしまった仇敵、自らの人生の汚点。

 それを拭って死ねるのなら、ベティ姉さんの敵を完全に討って死ねるのなら、生き恥をさらし続けたこの命にも価値がある。


「……オレは、」

「たとえ貴女が300年前に死ぬはずだった少女だとしても、今、ここに生きていることに変わりはありません。

 ならばその生は、全うされるべきだ。私はそう思います」


 ――クソ、好き勝手言いやがって。

 だが、良いだろう。受け取ってやろうじゃないか。


「もちろん、死ぬつもりなんてないさ。オレは最後まで自分の生にしがみつく。でなきゃ300年の間にくたばってるよ」

「フフ、よろしい。くれぐれも坊ちゃまを頼みます。きっと彼も、お嬢様のためならば死ねる人だ。そしてそれが、何よりも危うい」


 マクスウェルの言葉に頷き、最後に視線を交わす。


「お前も、くれぐれも気をつけろよ。昨日まで無事だったからって、今日も無事とは限らないからな」

「ええ、それは肝に銘じています。なに、大丈夫ですよ、潜入には慣れているんでね」


 ――いったい、どういう経歴の料理人なんだ?と言いたくなった。

 けれど、それを言うのは次の機会に取っておこう。

 太陽の動きも早い。オレに残された時間は、きっと残り、少ないから。

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