第31話

 ――今、自らの行いに”全ての始まり”を思い出す。

 150年前、いいや、もう450年前の”宿命を背負った日”のことを。


「久しぶり、ウィア……よく来てくれたわね」


 その夜は”前夜”だった。ベティが行わされる”不老化”の儀式。

 それを翌日に控えた、最後の夜だった。


「ベティ姉さん、本当に久しぶりだね。……元気、してた?」


 元気であるはずなどない。そんなことは表情を見るだけでよく分かった。

 青ざめた顔と、覇気のない瞳。

 これがあのベティ・トリアルだなんて、その時のオレは信じたくなかった。


「ふふ、身体は元気よ。身体はね」

「ッ……とうとう、明日だね。明日、姉さんは”永遠”になる」


 彼女に与えられた豪奢な私室、そのベッドにオレを招く姉さん。

 本当に久しぶりに座る”彼女の隣”は、とてもドキドキした。

 あのときの鼓動を、オレは、今でも鮮明に思い出せる。


「そうね、私は、永遠にあいつの奴隷になる」

「……だとしても、永遠は永遠だろ?」


 オレの言葉に、彼女は静かに首を振った。

 そして、オレの肩を、強く抱き寄せた。


「違うわ、違うのよ、ウィア。

 あいつは、ヘイズは、今回の儀式が済んだら”私”を完全に消すつもりなの。

 私という人格は消えて、あいつの人形になった”空っぽの私”が魔法皇帝に献上されるのよ」


 彼女の指先が、こちらの肩に深く深く食い込む。

 その力が、彼女の絶望を何よりも訴えていて、胸が痛む。


「ッ、姉さんの人格を、消す……?」

「そうよ、私は何度もあいつに反抗してきた。

 魔法皇帝に”私”が取り入ったらマズいと考えているの。

 それくらい分かるわ。あいつは私の精神に好きに出入りしてるんだから」


 ――ベティ姉さんの言葉に、背筋が冷えていくのが分かった。

 オレは死んだとしても、姉さんは永遠。ベティのためにオレは礎になる。

 そんな風に決めた覚悟が、崩れていく、音もなく。


「……だ、だったら、!」


 だったら、逃げてしまおう! ヘイズ・グラントから! 生まれ落ちた”宿命”から!

 そう、叫びたかった。

 叫べなかったのは、彼女の胸元に”烙印”が押されていたからだ。

 ヘイズが落とした消えない傷が、そこにあったからだ。


「……だったら? お願い、続きを言って、ウィアトル……」

「――逃げよう、姉さん。どんな手を、何をしてでも。

 どうせ、オレたちは皆、殺されるんだ。だったら、最後くらい”自由”でいたい……!」


 守るべき家族も、守りたかった人も、皆が殺されるんだ。

 そしてヘイズの駒として、魔法皇帝に献上される。そんなの、冗談じゃない。

 たとえこの国に生まれてしまったからって、オレたちはヘイズの所有物じゃない。


「そうね、私も”自由”で居たかったわ。

 でも、私には、もう無理なのよ。見えるでしょう? この傷跡が、この術式が」


 胸元を開くベティ姉さん。

 痛々しい”烙印”が、何よりも鮮明に焼き付く。


「ッ、そんなの、関係ない! 死ぬまで逃げればいい!」

「ダメよ、ウィア。それをしたところで”私”が貴方を殺して終わるわ。

 他ならぬ”私”が”貴方”を! それだけは我慢できない!」


 ッ……!! そうだ、それは、当たり前だ。

 ヘイズがひとたび彼女を支配すれば、彼女はオレを殺し彼女の身体で儀式を行う。

 そうすれば何も変わらない。彼女へに捧げられる生け贄が1人、減る。それだけ。


「でも、それでも……!」

「ウィアトル、私にね、考えがあるの――」


 そう言ったベティ姉さんは、オレの唇を塞いでいた。

 深く浸食する彼女の熱い吐息に、こちらは何もできなくなる。

 ただ、頭が真っ白になって、こんなときにも多幸感を感じられる精神の、いや、肉体の強靱さに驚かされる。


「――私の”身体”を、貴方に託すわ」

「どう、いう意味……? ベティ、姉さん」


 口元からこぼれ落ちる唾液を拭いながら、ベティ姉さんに問う。

 なんだ、身体を、託す……? いったい、何をするつもりなんだ? 姉さんは。


「簡単よ、明日の術式に細工をしたの。

 ”皆の魂"を吸って私の”身体”は永遠になる。

 けれど、その”永遠の身体”の主は、貴方よ、ウィアトル・トリクシー」


 ッ……!? な、に……!?


「なんだよ、それ! 姉さんはどうなる! ベティ、君は、死ぬつもりなのか!?」

「どっちみち、私はもう、死んでいるのよ! 私の魂は、ヘイズに食われている。今だって、いつあいつに乗っ取られてもおかしくないの!」

「だからって、オレは、嫌だ! どうして貴女を見捨てて、オレが生き残らなきゃいけない! どうしてオレなんだ! どうして姉さんじゃない!」


 魂が浸食されている? そんなこと知るか、なら治せばいいじゃないか。

 そうだ、今からでも殺せばいい。ヘイズ・グラントというすべての根元を、殺せばいいんだ。

 そうすれば全てが、丸く収まる!


「言ったはずよ、私はもう、手遅れなの。

 でも、貴方は違う! 私は、貴方にだけは、生き残ってほしい」


 反論しようとした。

 今からでも、本気でヘイズを殺しにいこうと言おうとした。

 けれど、オレは何も言えなかった。

 この時より後、オレの”身体”は二度と口を開かなかった。


『――ベティ・トリアルの名を持って、命じるわ。

 ウィア、ウィアトル・トリクシー。生きて、生きなさい。

 私の身体を使ってでも、生き続けなさい』

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