第30話

「――君が、いえ、貴女こそが”慈悲王・ベアトリクス”なの、ですね?」


 こちらの言葉を、静かな微笑みを持って肯定するベティ。

 しかし、いったいどういうことなんだろうか。

 ベティというのが、慈悲王ベアトリクス本人の――ベティ・トリアルが用意したとはいえ――身体だとして、他の7人は何者なんだろう。

 そして、そもそもベティ・トリアルという人と、ベアトリクスの間に何があったというのだろうか。


「諸々のこと、説明して、くれますね……? 慈悲王様」

「ふふっ、嫌だなぁ。君みたいな人種に色々を話してしまうと、何でも世間に発表されてしまう」


 それまでの少女らしい話し方から、一気に青年じみた声色へと変わる。

 そのどうしようもないアンバランスさに、独特の色気を、感じてしまう。


「ボクだって、そこまで無神経な訳じゃありませんよ」

「うん、分かっているよ、クリス――」


 前髪を撫でながら、ベアトリクスの黄金の瞳が、優しくボクを見つめてくる。


「――あと、敬語は辞めてほしいな。

 300年ぶりにできた”オレの友人”に堅苦しくされるのは、寂しい」

「ッ……ベティ、ボクは……」


 ダメだ、慣れない。1週間も、彼女とべったりと過ごしてきたんだ。

 今更、ベティのことを”慈悲王・ベアトリクス”として認識できない。

 それなのに、友人なんて呼ばれてしまえば、尚更だ。


「構わないよ、オレのことはベティと呼んでくれても」

「でも、それは貴女の本名では、ないんでしょう?」

「ふふっ、それを言い出せば”ベアトリクス”だって決して本名じゃないさ――良いだろう、クリス。君だけには教えよう」


 ――語られるのは、ひとつの昔話。

 どんな文献にも残されていない”慈悲王の誕生譚”

 この1週間で、たどり着けなかった、核心のひとつ。


「オレの本当の名は、ウィアトル。ウィアトル・トリクシー。

 このアトル海岸で生まれた、どこにでもいたクソガキさ。

 ただし、450年と少し前のアトル海岸に、だけどな」


 450年と少し前のアトル海岸、つまりヘイズ・グラントという竜魔法王の支配下にあった頃ということだ。


「まぁ、クリスなら分かっていると思うが、つまりはヘイズの奴隷、その数いる中の1人だったってことだ。

 魔力源として使い潰されるためだけに生まれてきた、どうしようもない存在だった」


 ベティとして思い出しかけた記憶は、そういうことだったわけだ。

 そもそもベアトリクス本人なのだから、慈悲王誕生以前の記憶を持っているのは当然のことだったんだ。


「とはいっても、あんな街にも日常はあったし、オレにも大切な人は居た。

 それが、彼女だ、ベティ・トリアルだ――」


 静かに自分の胸に、親指を立てるベティ。

 いや、ウィアトルと呼ぶべきだろうか。


「――彼女に魔法の才能があると分かって、ヘイズは、ベティに傷を付けた。

 彼女を支配して”駒”にした。そうして数年の後だ」


 語るたびに彼女の表情が、険しいものになっていく。

 怒りと悲しみ、強烈なそれらが滲み出す。


「ヘイズは、むりやり彼女に、ひとつの魔術式を発動させようとした。

 内容は、今となっては単純なものだ。多数の人命を取り込むことで、肉体を強化する術式」

「……不老化、ですね?」


 こちらの確認に頷くベアトリクス。


「ヘイズの野郎は、ベティの家族や関係者ばかりを集めて”不老化”の生贄にさせた。近しい人間の方が相性が良いと思い込んでいたのさ。オレもそうして集められた1人だった」


 ――なんて、惨い話だ。


「だが、ベティは、用意されていた術式に細工をした。

 身体こそ彼女自身のままで、魂だけが、オレのものに代わるように。

 自分が取り込むはずの魂のひとつに、彼女は全てを、明け渡したんだ。

 そして、彼女のもくろみ通りオレが残った。ヘイズに魂を浸食されていない、このオレが」


 傷を付け、魂を蝕む魔術に対して、魂を入れ替えることで対抗する。

 なんて危険な賭けなんだろう。

 上手くいったこともそうだけど、自分の命を最初から投げているなんて、信じ、られない。


「その後には紆余曲折あったが、結局はあの演劇と同じような話さ。

 不老の少女ベティ・トリアルとして魔法皇帝に献上され、あいつに気に入られて慈悲王・ベアトリクスになった。そしてヘイズを殺して、ここに王国を築いた」


 魔法皇帝に、献上された。

 あの演劇の中では、どうやって魔法皇帝との関係を築いたかについては描写されていなかったけれど、そういうことだったのか。


「じゃあ、霊廟にあった7つの遺体は、誰なんですか?」

「ああ、あれは、全部オレが創った肉体だ、150年の間にコツコツとな。小娘の姿だと舐められるし、何よりもこの身体は外から見つめていたいのさ。おかしいんだよ、オレが”彼女”だなんてのは」


 ……なるほど、そういう経緯だったんだ。


「分かったよ、ベアトリクス。君は、ベティじゃないんだね」

「ッ、クリス……ありがとう。

 悪いな、どうも記憶を失って”身体”に引っ張られていたらしい」


 そう、溜め息をこぼす姿に、彼女の――いや、彼の葛藤が見える。

 身体が自らをベティと認識しているのなら、彼女の魂は未だ取り残されているのではないか。

 ボクでも思うことだ。彼が考えていないはずもない。

 そして150年という時の中で、彼が彼であり続けたことが、答えなのだろう。

 残酷な、話だけれど。


「クリス、この1週間、本当にお前には助けられた。

 素直に言って、オレは、お前のことが好きになった。

 憶を取り戻す前も、取り戻しても――」


 なんだろう。

 愛の告白か、それともまるで、今生の別れでも、するような、この台詞は。


『――だからな、クリス。お前は、帰るんだ。

 もっとも安全な手段、もっとも安全な時、もっとも安全な所へと』


 ッ――!?


「な、んの、つもりだ……ベアトリクス……ッ!」


 慈悲王が発動させたのは”支配”の魔法。

 奇しくもゴットハルト先輩と同じ、言葉を引き金にした支配の術式。

 ッ、だけど、どうして、こんなときに、こんなことを……!


『アカデミアに帰れ、お前の保護者の元に帰るんだ』

「や、めて、やめてよ! ボクに、君を見捨てて、逃げろ、だなんて……!」


 クソ、従ってたまるか。何が支配の魔法だ! そんなもの、知ったことじゃない!

 こんなところで、これからヘイズが、ビルコが、動くと分かっている場所で、全てを逃げ出して帰れなんて、誰がそんなことを選ぶものか……ッ!


「頼む、言うことを、聞いてくれ……!

 オレはこれ以上、大切な人を、失いたくないんだ!」


 ボクの肩を掴み、ボクの瞳を射抜くベアトリクス。

 その表情は、まるで、年相応の子供に見える。

 ああ、きっと今の彼は、ベティを失ったばかりの少年なのだろう。

 だけど、だからといって……!


「嫌だね……! 言ったはずだ、ベアトリクス!

 君とならば逃げてもいい! だけど、君を見捨てて逃げるつもりはない!」


 ボクが、ここで彼女を見捨てて逃げることは、必ず、ボクの中に後悔を残す。

 それは嫌だ。後悔だけはしないように生きるんだと誓った。だから、ボクは……!


「ッ、オレは……!

  故郷を、グリューネバルトの子供たちを、見捨て、られない……!」


 力なく、うなだれるベアトリクス。

 誰が、誰が、こんな小娘を見捨てて逃げられるというんだ。

 あり得ない! そんな話は、あり得ないんだ!


「それは、ボクも同じだ! だから、君の言うことは聞けない!

 ゴットハルト先輩も、フラウ殿下も、見捨てたくないのは、ボクも同じだ!

 分かるだろう?! 慈悲王……ッ!」


 彼女の身体を強く強く抱きしめる。

 今でも”支配”の魔法は、ボクの思考を蝕んでいく。

 それでも、嫌だ! ボクは嫌なんだ。


「っ……すまない、クリス――」


 ええい、まだ、やるつもりか! なら、口を塞いででも……!


『――慈悲王ベアトリクスの名を持って命ずる。

 アカデミアに帰るんだ、クリスティーナ・ウィングフィールド』


 その瞬間、ボクの中で何かが、ブツンと途切れる音がした。

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