第29話

「――良い、演劇だったわね。クリス」


 劇場を後にしながら、ベティちゃんの言葉に頷く。

 序章の名に相応しい”慈悲王”の幕開けであり、同時にそれひとつで物語だった。


「ねえ、クリス……ひとつだけ、思い出したところがあるの」

「思い出したところ?」

「ええ、とっても綺麗な場所をひとつ」


 傾き始めた太陽を前に、ベティが呟く。

 その表情は、これまでにないほどに大人びていて。

 また彼女が誰なのか、分からなくなってくる。


「ねぇ、クリス――ベアトリクスという男は、ソフィを殺せるような男だったと思う?」


 歩き進んでいくベティちゃん。

 夕日へと進んでいく彼女が、ふいに振り返りながら、尋ねてくる。

 ……太陽を背に、こちらを向いて後ろ歩きする彼女の姿が、なんだろう。

 さっきみたソフィという役と重なる。それほどまでに、儚かった。


「やってできないことはないと思うよ、なにせ150年も魔法王であり続けた名君なんだからさ」

「フフッ、甘いわね。クリス――」


 微笑むベティの横顔、その黄金の瞳は、遠くを見ていた。


「――自分の国の人間を、1人も殺せなかったような男に、そういう意味での”覚悟”なんて、あるはずないじゃない」


 覚悟、か……。

 その覚悟を、ゴットハルト先輩は決めているのだろうか。

 もし、その覚悟がないのだとしたら、いったいどんな手を、打つつもりなんだろう。


「まるで、ベアトリクスという人を知っているみたいに話すんだね? ベティ」


 海に面した小高い丘の上で、ベティはその足を止めた。

 ここが、彼女の”思い出した場所”ということか。

 たしかに夕日を見るには、絶好の場所だ。

 

「ええ、知っているもの。私は――」


 記憶を、取り戻したんだね?なんて確認さえ要らなかった。

 紅く染まった海を背に立つベティという少女は、もはや少女の表情をしていなかったから。

 それよりも、聞きたいことは別だ。


「――ベティ。何を、思い出した……?」


 こちらの言葉に、曖昧な笑みを返す”黄金の少女”

 ダメだな、今の彼女相手に、会話の主導権は握れない。


「ベアトリクスには、ソフィなんて幼なじみはいないわ」

「だろうね。彼女は完全な創作だと分かるよ」

「けれど、彼には、確かに幼なじみはいた。殆ど姉弟同然に育った相手が」


 ……そんなことまで、知っているというのか?

 ベアトリクスという魔法王の最期にしか立ち会っていないはずの少女が。

 ……いや、違う。彼女はヘイズのことも知っていたんだ。きっと、そういうことじゃない、んだ。


「……彼女もまた確かに、ヘイズに蝕まれていた。

 不幸なことに”魔法の才能”を持ってしまっていたから。彼女はすぐに奴隷にされた」


 なん、だ? 魔法の、才能?


「そして、常にヘイズに支配されていたわけではないということも同じ。

 だから彼女は、策略を巡らせた。そして、その策略が”ベアトリクス”を、産んだ」


 ベアトリクスを、産んだ……?

 巡らせた策略とはなんだ? ベアトリクスの幼なじみとは、誰だ?


「……いったい、何者なんだい?」

「ベティ、ベティ・トリアル。それが彼女の名前――」


 ッ――!?


「――そして、今、立っているこの身体の”本当の持ち主”」


 何を、言っているんだ……?

 唐突に語られるベティの言葉を前に、ボクの頭は役に立たない。

 彼女の言っている言葉を理解しようとすることができない。


「待って、待ってよ、ベティ!

 君がベティじゃないっていうんなら、君はいったい、誰……?」

「ふふっ、貴女なら、分かるんじゃない? さぁ、ゆっくりと深呼吸してみて?」


 ボクの肩を抱き、近くの大岩に腰をかけるベティ。

 ボクよりもずっと小柄な身体を、器用に使って、ボクの頭をその胸に抱きしめてみせる。

 ……ベティの鼓動が聞こえる。彼女の静かな呼吸音が、ボクの頭を冷やしていく。


(そうだ、考えろ。もう、答えは見えているはずだ……)


 ただ、答えが突飛すぎるから、頭が閃くことを拒否している。それだけの話だ。

 まず、ベティが取り戻しかけた最初の記憶は”ヘイズに支配されていた”という内容だった。

 そして、今、目の前にいる彼女いわくベティというのは”ベアトリクスの生みの親”といえる存在。さらに彼女の身体の”本当の持ち主”だ。


(ああ、分かっていたじゃないか。とっくの昔から)


 頭のないドラガオンの言葉が、脳裏に響く。

 ベティのことを、聞き慣れぬ名前で呼んだあいつの言葉が。


(……だって、元々、ベティは”霊廟”にいたんだ。

 決して自国民を殺さない魔法王の”墓”に)


「分かったよ、ベティ――」


 ボクの言葉に、静かに視線を向けてくれる”黄金の少女”

 教会風にいうところの”循環する永遠” それを体現したかのような”黄金色”


「――君が、いえ、貴女こそが”慈悲王・ベアトリクス”なの、ですね?」

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