第27話
――レモン味の甘酸っぱいシロップが、細かく砕かれた氷の上に掛けられたお菓子。
そんな氷菓子をつつきながら、混み合った街の中を当てもなく、ぶらぶらと歩いていく。
何気ないどころか、何もないような時間。
それでもボクは、こんな時間をベティと共有できていることが、とても嬉しかった。
「演劇……」
グリューネバルト領にある劇場の前で、ふと、目が止まった。
慈悲王ベアトリクス誕生の物語――と宣伝されているそれに目を奪われたのだ。
「”慈悲王年代記・序章”って、序章だけしかやらないつもりなのかしら? これ」
「んー……そうみたいだね。終章と並んで人気の高い演劇みたいだよ? 生誕祭に合わせて特別公演だってさ」
終章といえば、魔法王時代の末期。
ベアトリクスが自ら眠りにつくエピソードだろう。
逆に序章なら描かれるのは、ヘイズとの死闘と慈悲王即位までの物語なんだろう。
(慈悲王様の生誕祭って、事実上の即位祭だもんね)
慈悲王になる前の出生・経歴その全てが謎に包まれているのがベアトリクスという人だ。
だから”生誕祭”というのも、それはベアトリクスが慈悲王となった日であり、彼自身がそれを”生誕の日”と言ったことに起因している。
(フラウ殿下が、演劇を見ろって、言っていたんだよね……)
それを口にしたときの彼女が、操られていたのか、それとも彼女自身の意思なのか。
どうにもそれは分からない。けれど、彼女の言葉を、ボクは実行したくなっていました。
「興味ありって顔ね?」
「分かる?」
「分かるわ、顔に出やすいもの。クリスって」
笑顔のベティに手を引かれ、当日券を買いに行く。
迷い無く販売所まで行けるあたり、ベティも随分と慣れてきているみたい。
「運が良いわね、その場で買ってその場では入れるだなんて」
「1日に6公演やってるみたいだからね。まぁ、それが凄いんだけどさ」
後ろの方の席だけど、当日券で入れるようにしているあたり、本当に凄い劇団だ。
人気がないのならともかく、かなり人気はあるようだし。
「……クリス、見えないわ、これ」
入ってくるお客さんも落ち着いてきて、まもなく開演といった頃合いだ。
目の前にお客さんが座り始めてようやく分かった。
これ、ベティちゃんの背丈だと、見れない。前の頭が邪魔なんだ。
「こっちにおいで、ベティ」
ぽんっ、と自分の膝を叩く。
「え……? 大丈夫? しびれない?」
「それくらい構わないさ。ほら、おいで?」
ベティの手を引いて、ボクの膝の上に座らせる。
そしてお腹のあたりを抱いて、落ち着く体勢を探る。
「クリス……大丈夫? 私の頭で、だいぶ見えないんじゃないの?」
「いいよ、いざとなれば横から見るし。ほら、これで大丈夫だ」
ちょっとだけお腹に力を入れて、ベティちゃんの頭の上に自分の顎を乗せる。
かなり密着していて、体温まで共有しているみたいで、なんというかこういう密な触れ合いは、かなり久しぶり。
相手がベティちゃんだというのに少しドキドキして、かなり安心する。
「ん、まぁ、クリスが良いのなら、良いのだけれど」
「うん、ボクは、これが良い」
そうして、静かに待っていた。
ベティちゃんの鼓動を感じながら、少しだけ、じーっとしていました。
「来たわね――」
ベティちゃんが、ぼそりと呟く。
ほぼ同時に、劇場の扉が閉ざされ、光が消える。
全くの暗闇と全くの静寂が、開演直前の心をくすぐる。
(――来た!)
劇場の蝋燭に、一斉に火が灯る。
その光は、硝子製のシャングリラを反射して、大きく広がる。
そして、こちらの期待が最高潮に達したところで”幕”が開く。
<――ベアトリクス、君に”慈悲王”の冠を授けよう>
舞台の上、立っているのは2人の演者。
玉座に座り、階段の上から、こちらを見下ろす男。
そして、階段の下で、こちらに背を向ける金髪の青年。
<さぁ、慈悲王よ。君は、どこの領土が欲しい?>
慈悲王の冠を授け、ベアトリクスに語りかける男。
これは、原初の魔法王か。
この世で最も初めに魔法王となり、他の魔術師を魔法王として認めた”魔法皇帝”
彼自体も歴史の固まりではあるのだけれど、そうか。
慈悲王が、魔法皇帝に認められるところから始めるのか。面白い選択だ。
<――アトル海岸、暴君ヘイズが治める土地>
<ほう? なぜだね、慈悲王>
<決まっているさ、魔法皇帝――>
外套、その左肩を握り、グッと翻す慈悲王ベアトリクス。
そして、こちらを振り向きながら、告げる。
<――あれは、私の生まれた土地、我が祖国!
あのような”竜の者”に蹂躙されて良い土地ではないのだ!>
響きわたる低音の美声。
そして、溜めに溜めて、こちらを向いた慈悲王ベアトリクスは、ほれぼれするほど美しい。
なるほど、これはじらしても成立するだけの役者というものだ。
<よろしい。では、奪ってみせろ。奴の首を取れ。
そうすれば、余が公に認めてやろう。あの土地は、慈悲王のものであると>
ベアトリクスの隣にまで降りてくる魔法皇帝。
そして、自らもまた毛皮の外套を翻しながら、ベアトリクスの額に王冠を被せる。
それもまた、かなり成功に作られた”贋作”だ。”慈悲の王冠”の贋作。
<違えるなよ、魔法皇帝? これは、我が命と尊厳を賭けた戦いになる>
<当然だ、慈悲王。皇帝に二言はない。必要なのは、君の実力だけだ――>
ニヤリと微笑みながら、ベアトリクスの肩を抱く魔法皇帝。
ねっとりとした演技が重厚な空気を生み出していて、ゾクゾクしてしまう。
良いな、この魔法皇帝は良いぞ。
<――私は、あれを倒すためだけに生きてきた。
負けるはずがない。必ず打ち倒し、全てを取り戻すのだ、全てを>
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