第21話

「――さて、どこから話そうかな。君は、何から聞きたい?」


 レイモンドさんが用意してくれたコーヒーを片手に、タルドさんが尋ねてくる。

 何から聞きたい?とは、厄介な質問を投げて来るものだ。

 まぁ、手持ちの情報が圧倒的に多いんだ。

 何から説明すればいいのか分からないというのも当然のことかもしれない。


「じゃあ、まずこの”黒苺の停留所”って何なんですか? タルド・ブラックベリーっていったい何のために、いつから用意されている名前なんです?」


 何から聞くか? その問いには、いくつか別の答えもあった。

 たとえば、ドラコ・ストーカーの暗躍についてどうやって知ったのか?

 たとえば、ゴットハルトとしての正体を伏せているのは何故か?

 けど、それよりもまずは、この人が立っている場所、今の立場がなんなのか。

 それを確かめなければ、話にならないと思った。


「タルドってのが、この街に転がり込んできたのは5年前のことになる。

 子供のいないブラックベリー夫婦の養子として上手いことやっているのさ」


 ……5年前に転がり込んできた風来坊。

 それがタルド・ブラックベリーの表向きの正体というわけか。

 だいたい状況は分かった。


「タルドが偽りの身分とはいえ、ブラックベリー夫妻は実在の人物だし、前に話した”旅行に行ってる”ってのも本当のことだ」

「貴方からの贈り物、でしたよね?」


 こちらの問いに頷くタルドさん。

 偽りの身分を支えてくれている相手とは、かなり良好な関係を築いているようだ。


「この街は、とっくの前から導火線に火のついた花火だ。

 だから、逃がした。生誕祭からな」

「……先輩、貴方はどこから、どうやってその情報を仕入れたんですか?」


 ボクの問いを前に、答えることなく静かにこちらを見つめてくるタルドさん。

 この沈黙、その意味をボクは図りかねる。


「――フラウからの”報せ”だ」


 フラウ、殿下……? フラウさんは、ゴットハルト先輩の動きを知っているのか?

 それにしては、噛み合わない……この1週間、彼女と重ねたやりとりからのイメージと余りにも噛み合わないぞ。

 ゴットハルト先輩のことを、この時期に帰ってこない不孝行者と言っていたのはハッタリだとしても、なんというか腑に落ちない。


「腑に落ちない、って顔だな? それも当然だ。

 あいつは今、かなり厄介なものに首根っこを捕まれてる。だから――」


 群青色の瞳が、ボクの瞳を射抜く。

 それは、まるで”支配の魔法”を発動されたみたいで、ボクは息を呑む。


「――フラウを信じるな、今のグリューネバルトを信じるな」

「どういう意味、ですか……?」

「敵は既に内部の深いところに食い込んでいる。それは、今朝の凱旋で分かっただろう?」


 彼の言葉には、頷くことしかできない。

 精巧な”慈悲の王冠”の贋作、そしてドラガオンの遺体。

 たったそれだけの証拠で、大げさに勝利を喧伝する。

 そんなこと、内通者がいない限り起きないことだ。


「フラウもかなり危ない橋を渡って俺に助けを求めてきた。

 だから、もう、あいつのことは信じられないし、あいつは使わない」


 彼の言葉が、真に彼女のことを気遣うものだと分かる。

 その身分が偽りだとしても、タルド・ブラックベリーという人から最初に受けた印象は間違いではないようだ。


「ここまで話したんだ、分かっただろう? クリス。

 この1週間、君が生活していたのは”竜の腹の中”だったということが」


 ゴットハルト先輩がこちらに与えた情報。

 そこから導き出される答えを簡潔に提示してくれる先輩。

 そんな彼の言葉に、背筋が、冷える。


「っ……貴方も、人が悪いですね。

 そういうことなら、もっと早く言って、くださいよ」

「悪いな、こっちも信用できる人間を見つけるのに苦労したのさ」


 そう言いながら、レイモンドさんを見つめる先輩。

 彼が信用に足る人物であること。内通者に見つかることなく、彼に接触すること。

 なるほど、1週間程度の時間が掛かったとしてもそれは責められない。


「それでだ。ここからが本題になる。

 ――クリス、君には今すぐアカデミアに逃げて欲しい。ベティを連れて」


 ついさっき、そっくりな顔を持つ女性に逆のことを言われたな。

 なんて思いながらボクは、即答する。


「喜んで。ボクもそうするつもりでした。

 ただ貴方は今のグリューネバルトを黙らせられますか?」

「保証は出来ない。だが、最大限の手は回す。ベティの身柄を敵に渡したくないからな」


 ……グリューネバルトのことを敵と言い切るゴットハルトという人にゾクリとする。

 やはり”内通者”というのは、そこまで深くに食い込んでいるんだ。

 跡目を継げないとはいえ、領主の嫡男である先輩が、その身分を伏せなければならないほどに。


「……悪いけど、私、ここを離れるつもりはないわ。クリス」


 ボクと先輩が続けていた会話。それに興味を示さず、レイモンドさんと遊んでいたベティちゃんが”いつの間にか”ボクらのすぐ近くに立っていた。


「どうして、かな? ベティ」


 冷静を装ってはいる。

 けれど、絞り出した声は震えていて、自分自身の甘さを思い知る。


「……今朝、クリスが私を”さらう”って言ってくれたこと、本当に嬉しかった」


 ――思わず、立ち上がっていた。ベティの肩を、強く掴んでいた。


「なら、どうして……ッ!」

「――私がいったい誰なのか、それは今でも分からない。

 けど、きっと私は慈悲王と共にあった者。だから、この街の危機を前に逃げ出すことなんてできない」


 半ば激高していたボクを前に、怯むことなく、ただ静かに言葉を紡ぐベティ。

 その在り方は、まるで、鋼のようだった。


「――ゴットハルト、貴方が敗北すれば、この街に何が起きる?」

「……さぁね。ただ何にせよ、最悪の想定は、しなきゃいけないだろうな」


 ベティの黄金が、先輩の群青を見つめる。

 ……なんだ、このベティは。今までとは纏う”空気”が違う。


「だがな、ベティさんよ。

 アンタの身柄が敵に落ちると、想定される最悪の底が、抜けるぜ」

「……どうして?」


 スッと足を組む先輩。

 上手く収まりそうだった話がこじれ始めたことに、いらだちを隠せていない。


「かつての魔法王が用意した”死後に残るほどに大規模で複雑怪奇な魔術式”なんてものを操作しろと言われたら、君は何が欲しい? 魔術師ベティ・トリアル」

「……術者が持っていた道具、資料、あとは、当人の遺体……私が慈悲王だとでも?」

「いや、それはないだろうよ。だが、今のところ一番それに近いのはアンタだ」


 ベティが、フッと息を吐く。自らの身柄が局面を動かしかねないほどに重要なものだと、認識したことに震えているのでしょう。


「なら、いざとなれば、この身体を”マスターキー”で吹っ飛ばせばいい」


 ――何を、言っているんだ、この娘は!


「そんなことさせない。君は、ボクが守る!」

「ああ、そうだ。そしてそのためにアカデミアに行くんだ」

「それはできない! 私は、この土地を、見捨てられない!」


 ッ、なんだ? いったい何がベティを突き動かす?

 戻っていない記憶が、彼女を、縛り付けているのか?

 

(……きっと、この娘を説得するのは、無理なんだろうな)


 なら、どうする? 見捨てて自分だけでも逃げるか?

 きっと、それは楽なんだろう。

 あのビルコと再戦なんてしてみろ、きっと命はない。

 しかもあいつとは”別の誰か”がこれだけの謀略を張り巡らせている。

 それにいつ絡め取られてもおかしくない。


「だからクリス、貴女だけでも逃げて。

 これは私の意地。付き合う必要なんて、ない」

「――悪いね、その頼み、聞けないな」


 フフッ、ボクも存外と甘い女だ。

 ボクは今から、とんでもなくバカな道を選ぶんだから。

 けれど、これでいい。きっと、この決断は”誇り”になる。生涯の誇りに。


「ボクもね、君のことを見捨てられないのさ、ベティ。

 それくらいに君が、好きになったんだ。

 そっちのわがままを聞くんだ、こっちのわがままも聞いてくれるよね?」

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