第22話

「――正気か? お前ら」


 ドラコ・ストーカーによる策略の腹中、内通者に蝕まれたグリューネバルト。

 その中に残ろうとするベティ。そして彼女を守ろうとするこのボク。

 ボクらを前に、ゴットハルト先輩が毒づく。


「ボクは正気ですよ」

「っ……自分だけでも逃げようとか、思わないのか?」

「思わないと言えば嘘になるんでしょうね。

 けど、ここでベティを見捨てるのは、ボクの心に汚点を残します」


 ――人生は短い。だから、悔いのない選択をしよう。

 昔、そんな言葉を投げかけられたことがある。だからボクは、ベティと共にいることを選ぶ。

 この先にあるであろう戦いの中、自分の実力不足を恨むことはあっても、ベティを守ろうとした選択を悔やむことだけは、あり得ないから。


「それにね、先輩。貴方はボクが残ることに異論はないはずだ。

 ベティがここに留まることは覆せないんだから」

「――護衛役が居てくれた方がいい、ってか? その通りだ。

 だがな、赤の他人を危険には巻き込みたくないと思うくらいに俺は”人の子”だぞ」


 先輩の群青色の瞳に、ボクの真紅の瞳が写る。

 フフッ、本当に良い人だな、この人。


「少なくともボクとベティは、赤の他人じゃありませんよ」

「……クリス、良いの?」


 ベティの問いに頷く。そしてそれが、ゴットハルト先輩への最大の答えになる。


「――フフ、乙女心というのは、いつも複雑怪奇ですね? 坊ちゃま」

「ハッ、これが”乙女の心”なものかよ」


 吐き捨てるように呟きながら、どこか笑みを浮かべる先輩。

 きっと、彼もこういうのが好きなんだろう。

 この人は、こういうのが好きなボクの知り合いにどこか似ているから。


「分かった。君たちがそういうつもりなら、その力、俺に貸してもらうぞ」

「ええ、ボクも貴方の力はお借りしたい――だから貴方が持っている”内通者”の情報を教えてもらいますよ、先輩?」


 ボクらは、まもなく”竜の腹中”に戻る。

 なら、その地図くらいは持っておかないと話にならない。


『――この言葉を聞いた者は、例外なく名を名乗れ』


 魔力の逆流によって青く輝く先輩の瞳。

 そして、発動される”支配”の魔法にボクはあらがう術がない。


「クリスティーナ・ウィングフィールド」

「レイモンド・マクスウェル」


 支配の魔法を前に、全く動じることがないベティちゃん。

 そして、そのことに先輩も驚かない。


「やはり、300年前の魔術師か。流石だな、ベティ」

「……名乗った方がいい?」

「いや、俺たちの会話を盗み聞きしてる奴がいないかを確認しただけさ」


 ――ああ、そういうことか。

 いったい何をやらせてくれるんだと思ったけど、盗聴防止なんだね。


「うん、たぶん大丈夫だと思う。不自然な魔力の動きは、感じない」

「なるほどな、分かった。君の言葉を信じよう」


 そう言った先輩が、浅く息を吐いた。

 ……これは、緊張の現れなのでしょう。

 つまり、ここから彼が開かす話は、それほどに深刻と言うことになる。


「敵は、グリューネバルトの深いところに食い込んでいると言ったな?

 それは文字通りの話で、奴らは他人の”肉体”を乗っ取ってくる」


 肉体を、乗っ取る……?


「だから言っただろう? 告発者はフラウでも、フラウでさえも信用できない」


 説明を重ねるゴットハルト先輩を前に、ボクの肝は冷えていた。

 なんだ? なんなんだ? 人間の身体を、乗っ取るだと……?

 そんなことされたら、手の打ちようがないじゃないか。

 ――昨日までの味方が、乗っ取られていたら? そんなこと、考え始めたらキリがないぞ……!


「俺が正体を伏せている意味は分かったな? クリス」

「ええ、逆に先輩は不安じゃないんですか? ボクが、乗っ取られていないかって」


 ボクの言葉に薄い笑みを浮かべるゴットハルト先輩。


「そこら辺は”賭け”でもある。レイモンドの心証もあったしな」

「ええ、このごろ、人が変わったような者たちは見かけていましたからね。

 だからあなた方は、そうではないと分かりました」


 心証で賭けに出たのか。なんて、大胆な……。


「レイモンドさんが無事だと見破ったのはどうやったんです?」

「振る舞いで見極めて、確信を持ったのは”裸の付き合い”だな。なぁ? レイモンド」

「坊ちゃまと一緒に入浴だなんて、恐れ多かったですよ」


 ……? 裸を見れば、判別がつくのでしょうか?


「どうして裸なんです?」

「ああ、今回の敵は相手の身体に”傷”をつけて、そこから浸食する類の魔術式を使っているからさ――」


 どうして、そんな推測が立てられる?

 言葉だけで支配できる魔術の使い手である貴方が。

 そう、聞こうと思った。けれど、その答えはボクが聞くまでもなく提示された。


「――今回の敵は”竜魔法王ヘイズ・グラント”だ。フラウが教えてくれた。

 襲撃者と戦い、傷を負った部下がそういう術式に侵されたとな」


 竜魔法王、ヘイズ、グラント……!

 今日、フラウ殿下に教えられた、慈悲王ベアトリクス最初の敵!


「いや、正確にはヘイズと同じような術式を使える別の奴かもしれないけどな。

 だが、どちらにせよ、ドラコ・ストーカーに襲われた者たちの身体にはそういう傷が残っている。フラウも、例外じゃない」


 ッ――!? なら、フラウ殿下は既に落ちている!


「ここからは推測になるが、フラウたちを襲ったドラガオンってのも操られていた死体だろうな。そうでなければ、ドラガオンが矢として使い捨てられるはずもない」


 相手は、他者の身体を乗っ取れる。死体でさえも。

 だからこそ、2人のドラガオンを使い捨てに出来たというわけか。

 そして、それはきっと、あのビルコとは別系統の力だ。


「だから俺はレイモンドの身体を確認して白だと分かったのさ。なんなら、俺もここで脱ごうか?」

「結構ですよ、ここで先輩に脱がせたら、ボクも脱がなきゃいけなくなるじゃないですか」


 ――そうだな。だったらそこは女同士で確かめてくれ。

 なんて笑うゴットハルト先輩に、凄まじい逞しさを感じる。

 この状況で笑えるだなんて、余りにも強い。


「さてよ、クリスティーナ。ここからどうする?

 ここまで聞いて、本当にグリューネバルトに留まるか?」


 アカデミアに帰るなら、帰っても良いんだぞ?

 先輩は暗に、そう言ってくれていました。


「――ッ、レイモンドさんは、このあとも屋敷に戻るつもりですか?」

「ええ、私は坊ちゃまにとって最高の情報源ですからね」


 傷を付けて乗っ取る。肝の冷えるような敵の力。

 それを前に、再び提示されたボクの逃げ道。

 だからボクは、考えていた。グリューネバルトに留まって何が出来るのかを。


「ベティ、どうする? どうやって敵と戦う?」

「……屋敷の中に戻る。1週間、私たちは手出しされなかった」


 まぁ、そうだろうな。

 逆にボクらが姿を消したら捜索網が広げられるだろう。

 そうなれば局面が変わる。敵の動きも変わってくる。


「っ、分かった。ボクから離れないでね……? ベティ」

「もちろん。頼りにしているわ、クリス」


 ボクらの会話に、ため息をもらすゴットハルト先輩。


「君らがこの街から逃げないというのなら、屋敷に戻ってくれる方が俺としては助かる。だが、それは極限の危険だと、分かっているな? 2人とも」


 ゴットハルト先輩の警告に、頷くボクとベティ。

 ……本当に恐ろしいね、これは。手の震え、隠せてるかな。


「敵の目的は分からないが、生誕祭は明後日だ。動くとしたら、そこだろう。

 だからグリューネバルトの内部から敵の動きを注視して欲しい。生誕祭当日には俺も潜入する」


 ……当日まで、何もなければ、そこで最後の情報交換。

 そして、ドラコ・ストーカーの動きに備える。

 そう、決まって、ボクらは解散した。

 冷え切った背筋のまま、ボクらは戻ったのだ。

 竜の腹、そのど真ん中に――!

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