リアル&ヴァーチャル

 暗い部屋でタイプ音が響く、彼、植田治樹うえだはるきは学園カーストでのいじめを原因に不登校の引きこもりとなった。幸福な事に裕福な家に生まれた為、一人暮らしという自分の居城に篭城している。そんな彼に突然連絡が入った。

 それはハッキングという強引な方法で……


 最初こそ驚きもしたが、通信してきた相手の声が、甘い少女の声、それも自分に優しく媚びるような話し方をするのだ。虐げられてきた彼はその優越感、そして女の子と二人で話しているという支配感をくすぐられ、彼女にこう囁かれた。



「ねぇ、トランプ兵になって一緒にこの世界壊しちゃお? もし、お願い聞いてくれたら、お兄ちゃんのしたい事、なーんでもしてあげるよ?」



 治樹は当然、彼女の指示に従った。

 最初に行った事は……



「お兄ちゃんに意地悪した人たちの内心点、改ざんしちゃおー!」



 治樹を追いやった者達への復讐。まさか治樹もこんな形で彼らに復讐ができるとは思いもしなかった。



「姫……僕の姫」



 名前も知らない甘い声の主の事を姫と呼び、声を聞くだけで治樹は生きる実感を感じていた。



「お兄ちゃん、もし私の言うことぜーんぶできたら、お兄ちゃんはワンダーランドの住人になれるかもね」

「わ、ワンダーランド?」

「そう、そこは痛みも悲しみもなくて、ただ楽しくて、キモチイイの、行きたいよね? それにイキたいよねぇ?」



 妖艶なその話し方に治樹は興奮し肯定した。それに満足したように声の主は治樹に次の指示を出す。



「じゃあ、次はお兄ちゃんにひどい事した人を事故に合わせちゃお!」



 治樹は憎しみも合わせて、正確な判断ができなくなっていた。信号と自動運転される自動車を乗っ取り、自分をイジメていた生徒たちにその車両を突っ込ませた。

 死者は出なかったものの、重傷者多数。さすがの治樹も恐れを感じたが、あの魔法の声が恐怖を殺した。



「すごい、すごいよ! お兄ちゃん、だいすき!」



 男は声の主からの告白に頭の中が真っ白になる。そして白い物で下着を汚した。彼は声だけで言葉通りイッたのである。それから声の主の指示は続く。



「深呼吸して、ふふっ! お兄ちゃん可愛い」



 彼女のマリオネットとなり、次々の大手の企業から顧客情報を抜いていく、微かに残った彼の理性が声の主に尋ねた。



「こ、こんな事してバレないかなぁ?」

「私があげた、ハックツールとIP偽装ツールが信用ならないの?」

「そ、そういうわけじゃないよぉ姫ぇ!」



 明らかに焦る治樹に声の主はもう一押し。



「信用ならないんだ?」

「信じる。信じるよ!」

「どんな事でもぉ?」



 甘えるような声で囁く声の主に治樹は信じる事を誓った。



「じゃあ、私が死んでって言ったら死んでくれる?」

「当然じゃないか!」

「わぁ! お兄ちゃん大好き! 疑ってごめんね」



 治樹は機嫌を直した声の主に満足し、次の仕事を開始した。それは顧客情報を盗んだ発信源を他の関係のない者に振り分けるという悪魔の所業。


                 ★☆★☆★


 ジキルが端末に繋いだ情報から、SNSの発信源と今拘留中の男のパソコンを踏み台にした発信源が一致している事まで調べ終わっていた。



「美洋、何か飲む?」

「水でいい」



 冷蔵庫からミネラルウォーターを取り出すとそれを飲み干す。今度こそ、つまらない犯人の尻尾を捕まえたという安堵と、無駄な時間をすごした事への焦燥。



「あっ! 対象の所在が変わったよ?」

「どういう事?」



 美洋にも分かるように、特定していた場所をモニターへ出す。それがどんどん遠ざかっていく。それは海を越え、別の国を指した。



「この後に及んでつまらない仕掛けをしたものだな」

「美洋、少しおかしいなってボクが感じる事があるんだ」



 ジキルは別の事件の発信源を美洋に見せる。それは数週間前に学生たちが自動運転の車に追突された事件。自動運転について物議をかもす事になったその事件も本件に絡んでいるのではないかという事。

 それに対して美洋の回答。



「ほぼ確実に黒だな。どこかで配布されているようなツールの改変版で僕達から逃げきれるわけないじゃないか、そろそろ行こうかジキル」



 ジキルは立ち上がる美洋を抑えてこう言った。



「お仕事の前はエネルギー補給だよ! ちゃんとご飯を食べてから」



 ジキルはいつのまに買ったのか、大きなホットサンドメーカーを取り出すと、四枚切りの食パンを二枚取り出す。



「そんなに食べれないって……」



 小食というわけではないが、ジキルの出す食事量はややアメリカンサイズな事が多い。それは……彼の姉、真希奈のように。



「美洋は普通の人の三倍頭を使ってるんだから、三倍食べなきゃ」

「馬鹿を言うな。五日働いた仕事の疲れが二日の休みで取れるわけがないとか言うなら分からなくはないけど、必要な栄養素を必要な分だけで構わない」

「駄目! 美洋は一度仕事をしだすと食事なんてほとんどしやしないじゃないか!」



 こうなるとテコでも動かないのがジキルだ。美洋は何故、姉の真希奈はこんなにも突っ込みどころ満載なAIを作ったんだろうと思う。彼女にはブラックボックスが多すぎて、美洋にも殆ど解析できていない。分かっている事はエルデロイドは何かを成すために存在している鍵であるという事。


 当分食べきれないホットサンドを食べながらふとそんな事を考えている。確かに、自分の偽装を完璧だと信じてやまない犯人が逃げるとも思えないし、ゆっくりと王手を指しにいこうかと合理的に考える。



「まぁ、食いだめには意味があるしね」



 人間の体は脂肪を溜め込むという素晴らしい機能が備わっている。美洋の痩せ型の体は常に飢餓状態で脂肪を溜め込もうとするが、それでも追いつかないくらい彼の栄養補給が少ない表れだろう。



「なんなら少し太った方がいいかな」

「それはダメ!」



 一体どうしたらこのAIは満足するんだと思って食べる事に美洋は集中する。姉の真希奈は何でも自分の事を優先にしてくれたが、ジキルはどちらかと言うと同じ世話焼きでも自分のルールを押し付けてくる。

 自分よりもこのジキルの方が人間っぽいなと思った反面、姉の真希奈もどちらかと言えば自分と同じ側だった事にやはり姉弟なんだろうかと思考を巡らせる。



「美洋、牛乳のおかわりは?」

「いる」



 食べ終わると歯磨きが用意されているので美洋は黙って歯を磨いた。服を着替えてジキルの合格ラインが出たようなので、やっと件の真犯人の居場所へと足を運ぶ。ジキルが見つけた犯人の住まいはワンルームマンションだった。



「四の五、ここだね!」



 405号室、その扉をノックするが反応はない。それに美洋はジキルに視線を送る。ジキルは一瞬瞳を瞑ると美洋が聞きたい事に関して答えた。



「生体反応はあるね。犯人は居留守を使ってるってことじゃない?」



 美洋はドンドンと強めに扉を叩く、部屋の奥からどしりとした音が聞こえ、足音が近づいてきた。

 ガチャリ。

 犯人とのご対面。

 髪と髭は伸び放題、風呂にも大分入っていないようで匂う。しかし、美洋はそんな事には顔色一つ変えずにこう言った。



「今回の複数の企業から顧客情報の流出、また交通システムをハッキングをして故意に事故を起こしたのはお前だな?」



 男は慌てて扉を閉めようとするが、それをジキルが許さない。男は全力で閉めようと顔を真っ赤にして力を入れるも涼しい顔をしているジキルに阻まれる。



「な、なんなだよお前たち!」

「お前みたいな奴らを根こそぎ豚箱に送る者だ」

「さ、サイバネティックハンター……」



 凶悪化するサイバー事件に対して対価をもらいそれらを狩る者の名前を犯人も十分に理解していた。頭を垂れて、しばらくして到着した警察に引き渡した。

 面倒だが報酬を受け取る為に美洋達も一緒に警察署へと向かう。その間警察が犯人の治樹に何を聞いても彼は黙秘を続け、何かを口にしたかと思うと、


「やってません」の一点張り。


 押収されたパソコンからは複数のツールが見つかり、彼の逮捕は決定的かと思われた。

 輸送中の社内に信じられない通信が入った。


『現在、再び顧客情報の吸い上げと流出が発生しています』


 それ美洋は治樹に言う。



「何処かの端末に時限式で何かを仕掛けたか?」



 これにも全く答えない治樹、警察署に到着しジキルも警察組織もそれらの発生経路を調べたところ、容疑者の治樹とは全く関係のない場所からの通信である事が発覚した。

 治樹のパソコン内には明らかに犯罪に使えるツールがあったものの、それらを行使した形跡は見つからず、ソフトの削除と注意のみで釈放される事となった。

 最後に美洋を見て、治樹はこう勝ち誇った表情で言ってみせた。



「ばーか! お前なんかが捕まえれるわけないんだ」

「そうか、それはすまなかった。次は必ず豚箱に入れてやる」



 最高のサイバネティックハンターである美洋とジキルが初めて白星をつけられた事として警察組織も他サイバーハント達からしても話題性のある事件として広がっていく。

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