7-87 ボートを直して
「――そっか、そうだったね」
「はい、あのセルリアンさえ倒せば、ボクは外に旅立つことが出来るんです」
かばんちゃんの頼み事、それは港の近くに打ち上げられたボートを直すことだった。元々イヅナが弄って壊したものだし、修理自体は任せてしまっていいだろう。
この時期になって頼みに来たのにも理由がある。
かばんちゃんが今の今まで島の外に出られなかったのは、途中で海のセルリアンに襲われることを恐れたからだった。
『打倒海のセルリアン』が現実的になった今だからこそ、彼女は僕達にこの話を持ち掛けているのだ。
ともあれ、頼み事とあらば無碍にするわけにはいかない。…僕としては。
「イヅナ、今すぐ直せる?」
「ええと、研究所に置いてある部品を持ってくればすぐにでも」
「…お願いできますか?」
イヅナの目をまっすぐに見据え、静かに言う。その双眸に並々ならぬ決意がたぎっていることは言うまでもない。
「わ、分かったって! 目が怖いよぉ…」
「あ、ごめんなさい…」
「じゃあ、私取りに行ってくるね」
余程強い視線を向けられたのか、イヅナは半ば逃げるようにロッジを後にした。残された僕は手持ち無沙汰になってしまい、さほど腹が減ったわけでもないのにジャパリまんを口に含み始めた。
椅子に腰かけてみんなの様子を観察すると案外多くのことに気づける。例えば博士、今はサーバルやキリンと仲良く談笑している。話が合わなさそうな印象だったから意外だ。
それとヒグマは…助手に何か教えられているような雰囲気だ。前に料理を少ししていたと聞いたから、関係があるかもしれない。
あとは…キタキツネ? と言ってもいつも通りだ。僕の隣でゲームに情熱を注いでいる。まあ、今はそっとしておこう。
そんな風に観察を続けていると、同じように椅子に座って周りを見ていたオオカミとふと目が合った。
「ふふ、何か面白いものは見つかったかい?」
「あはは…まあね」
それは良かったと呟いて、オオカミは手元に視線を戻した。普段からこんな人間……フレンズ観察をしているのだろう、既に手元の紙の半分は黒い文字で埋まっている。
「そりゃ、ネタが尽きないわけだね」
一通り全員の様子を見終わったころ、ロッジの扉が開けられイヅナが戻ってきた。その腕には大きめの機械が抱えられている。若干重そうな様子で、彼女がそれをテーブルに置くと案の定ズシンと大きな音が鳴り響いた。
「おかえり、これがその機械?」
「そう、妖術を使って抜き取ったの」
「…術って便利だね」
「ノリくんにも使えるよ、私が教えれば!」
「じゃあ、今度お願いするよ」
僕も機械を持ち上げてみると、分かっていたけど重い。金属がふんだんに使われていて、大きさ以上の重量感を感じる。これは僕が持って行った方がよさそうだ。
「ノリアキ、それなに?」
「ああキタキツネ、これからボートの修理に行くんだ、来る?」
「……」
キタキツネはイヅナとかばんちゃんを交互に見て、にわかにイヤそうな顔をした。と思うとすぐに目を逸らし、何も言うことなく奥の方に行ってしまった。
「ふふ、なら私たちだけで行こうか」
キタキツネの姿が見えなくなると同時に嬉しそうな声で言う。僕は少し妙に感じたが、『いつものことだろ』と頭の中で響いた声にそうかもと思いその時は気に留めなかった。
「この3人で歩くのは初めてかもしれませんね」
「前に島を巡った時はサーバルがいたから、そういえばそうだね」
「あの時は、まさかイヅナさんが外から来たなんて思いもしませんでした」
「えへへ、私にも色々あってね」
自分の生まれた理由もイヅナの想いも何もかも知らなかった頃は、先の景色が真っ暗でも心のどこかでそれを知るのを楽しみにしていた。
だけど、いつからだろう。先を知りたくなくなってしまった。
”このままでいい”と思うようになった。
今が壊れることを恐れるようになってしまった。
…深みに嵌ろうとしていた僕の意識は、風に草木が揺れる音によって現実に引き戻された。
「ノリくん、何か考え事?」
「あはは、聞くようなこと?」
「…それもそうね」
僕は、既に毒気に当てられてしまったのかもしれない。
「見つけた、あのボートだよ」
「うわ、前よりひどくなってる…」
久しぶりに姿を見せたボートは、全身ツタまみれの逆さづりの状態で僕たちを出迎えてくれた。ひっくり返っていたのは前に直した気がするが、記憶に定かではない。
「…ふふ」
「どうかした?」
「いえ、前にジャングルでこんなことがあったなって」
「そっか…」
かつての旅に思いを馳せるかばんちゃんを横目で見ていると頭の中にイヅナのテレパシーが届いた。
『私知ってる、ボスとサーバルがツタに絡まったんだよ』
『ああ、確かイヅナも後を付けてたんだったね』
そうは言っても、ボスやサーバルに比べてこの船は大きすぎる。ツタを操るセルリアンがまだこの島のどこかに潜んでいるのだろうか。まあ、見つけたら倒す程度でいいだろう。
「じゃあ、修理はお願いね」
「分かった!」
「あ、ボクも手伝います!」
二人が茂みの中に消え、ガサガサという音があちこちから聞こえてくる。無数に響き渡る音、その源の一つに僕は声を掛けた。
「ところで、キタキツネはそこで何してるのかな」
「…気づいてたの?」
「ついさっきね」
一際目立つ葉音を立てて、キタキツネは低木の中から姿を現した。
「一緒に来たいならそう言えばよかったのに」
「でも、イヅナちゃんが…」
どうやら騒ぎを起こしたくなかったらしい。そのおかげと言うべきかイヅナの機嫌も少しは良くなった様子だった。もうキリンを見ても歯ぎしりなどしないだろう。そう願っている。
「まあ、座ろうよ」
「…うん」
二人で隣り合わせになって海沿いに座り、揃って足を投げ出した。優しく吹き込む潮風が気持ちいい。
キタキツネは肩に頭を預け、腕を掴んで軽やかに鼻歌を歌い始めた。
「…何の歌?」
「~♪ …ゲームのオープニング」
「ああ、聞いたことがあると思ったら」
「~~♪」
包み込むような波音の中に響き渡る鼻歌は、心なしか寂しそうに聞こえた。
「…まだ終わらないみたいだね」
林の中からは作業をしているであろう二人の声がまばらに聞こえてくる。手伝いに行こうかと思って立ち上がろうとすると、腕を強く引き戻された。
「…行かないで」
「困ったな、じゃあゲームでもする?」
「ゲームは置いてきたよ…」
「…そっか」
まあ、隠れて付いてくるのならゲームなんてしてる暇ないし当然かな。それにしても、イヅナたちが遅い。そんなに時間のかかる作業なのだろうか。
一度テレパシーでも送ってみようと思ったその時、隣にいたキタキツネの腕が解けて離れた。
「……え?」
その直後に耳に入る一際大きな水音。
その正体を理解する間もなく、後ろから柔らかい感覚に包まれた。
「ノリくん、私のいない間に何してるの?」
「イヅナ、キタキツネは…?」
「キタちゃんが、そっちの方が大事なの…?」
抱き締める腕に強い力が込められ、僕の体が声にならない悲鳴を上げた。だけど僕は何も言わない。イヅナも一言とて発することはない。
海の中よりも息苦しい沈黙を破ったのは冷たい声だった。
「キタちゃんなら海の中だよ、そんなにキタちゃんが大事なら…っ!」
反応するのも叶わぬ速さで背中を押され、勢いよく海に叩き落とされる。しかし、海に入る前に腕を引き上げられて足が水に付くギリギリのところで僕の体は浮いている。
背中を押したのも、僕を引き上げたのもイヅナだった。
「どうして…」
「ノリくん…今は大丈夫だけど、いつか本当に殺しちゃうかもしれないよ?」
僕の体を地面の上に置きながらイヅナが言う。威圧や脅しなどではなく、どこか諦めの感情が入ったような言い方だった。
「そうは、させないから…!」
僕には過去も何も無いけど、それだけは決めた。過去の惨劇を見て、絶対に再現させないと思った。
この島がサンドスターで出来た島だとしても…ね。
「ノリくん、本当にあなたは――」
「えいっ」
イヅナの声を遮って、誰かが彼女の体を押した。
「……ほぇ?」
素っ頓狂な声を上げてイヅナは海に落ち、無機質な水音が再び辺りに響いた。
「き、キタキツネ?」
いつの間にやら海から上がったキタキツネがイヅナを突き落としたようだ。全身びしょ濡れになった姿がつい先程までの彼女の様子を想像させる。
「…ゲーム持ってこなくてよかった」
「そう、だね」
「ノリアキ、もう帰ろうよ、用事は済んだでしょ?」
「ええと、かばんちゃん、修理は終わった?」
「はい、ちゃんと動きます!」
緑の中から弾んだ声が聞こえる。今更だけどまだ燃料が残ってたんだね。
「じゃあ、行こ」
キタキツネが手を引いてその場から離れようと歩みを進める。
「ちょっと、イヅナは、かばんちゃんは…?」
「……ノリアキ」
キタキツネが、一度だけこちらに振り返った。握られた手が軋むような音を立てた気がした。
「…か、帰ろうか」
イヅナも、飛べるから死にはしないだろう。…今は、そう思うことにしよう。
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