Chapter 006 天都は狐に非ず
6-75 狐神サマの悩みは絶えぬ
「あ、ノリくーん!」
長い悪夢から現実へと戻ってきた僕を、イヅナの熱い、熱い抱擁が出迎えた。
「うぇ、なに……?」
勢いよく抱きつかれ、せっかく起こした体は再びベッドに押し倒された。
「やっと起きたよー……ノリくん、2日間もで眠ってたんだよ?」
「え、2日も!?」
確かに寝ている間は時間の流れが分からないけど、そんなに長い間眠りについていたとは夢にも思わなかった。
『あー、思ったより時間掛けちまったみたいだな』
頭の中で神依君の声が響き渡る。
記憶を見終わった後もこうして彼と話せるのはいいことだけど、誰かとの会話と被った時に大変になりそうだ。
「イヅナ、僕が寝てる間に何かあった?」
「ううん、大きなことは特に……あ、博士が一度来たよ、あのお話をしに」
「そっか……結局、博士が話してくれたんだ」
博士は最終的に止めるような言い方をしていたけど……「どうにかする」と言った僕を信じてくれたってことなのかな?
『”博士”ねぇ……この島の博士がどんな奴か、一度見てみたいもんだな』
『近いうちに会えると思うよ』
もう一度博士に会って、近況や方針をもう一度話し合わないといけないからね。
でも、記憶の底から湧き出てくる恐怖心がこれで収まったのかどうか、今はまだ確認が付いていない。
「でもノリくん、私、キタちゃんと仲良く、って言われても……」
「その話は後、長く眠ってたせいでお腹が空いたからさ」
「……あ! ごめんね、すぐ持ってくるから!」
急にドタバタと忙しく体を動かしてイヅナはベッドから飛び出した。
その姿はそそっかしくて危ない様子だ。
「焦らないで、着替えながらゆっくり待ってるよ」
「だったらもっと急がないと!」
「え……!?」
イヅナは野生開放をして、纏う気配を色濃く変えた。
……この島に来て恐らく初めて見るイヅナの野生開放が、まさかこんな形でお披露目されるとは思いもしなかった。
そのまま勢いよくドアを開けて部屋を飛び出したイヅナだったが、すぐに戻ってきたようで、扉の影からひょっこり顔を出した。
「ところでノリくん、もしかして何かしたの?」
「え、何かって?」
「なんでか、ノリくんの考えてることが読み取れないの、どうして?」
なるほど、神依君に妨害を頼んだから、テレパシーを悪用して考えていることを読み取れなくなったんだ。
半信半疑だったけど、本当に効果があったんだ。
ともあれここは、なるべく当たり障りのない答えにしておこう。
「……ああー、扱いが上手くなって、防げるようになったんだ」
答えても、イヅナは返事をしない。
ピッタリと止まり一切動かず、目をキョロキョロと回して何か考え事をしている。
『もしかして、防がないで読み取らせて、と言われるんじゃないか?』
『うぅ、そう言われたらもう術がないよ……』
頭の中の声に答えても、まだイヅナは思案を続けている。
そして、一言だけ、呟いた。
「……そう」
それだけ言って、イヅナは本当に向こうに行ってしまった。
『ま、良かったんじゃねぇか?』
『あはは……冗談じゃないよ』
何も言わずに去って行ったイヅナは、正直に言って不気味だった。
自分の想いをストレートでぶつけてきて、気に入らないことがあれば迷わず文句を付けるイヅナが、『僕の考えを読み取れない』という比較的大きいはずの事象に対してたった一言で決着をつけてしまった。
これは、発作とは違う。
イヅナの何かが変わったかもしれないという考えが、僕に拭いようのない不安を押し付けるのだ。
イヅナの考え方を変えようと、かつて僕は頑張っていたというのに。
「気にしても、仕方ない……か」
今はそう割り切るしかない……兎に角、早く支度をしなければ。
ロッジのロビーでは、イヅナがジャパリまんと何か飲み物を用意していた。
「~~♪」
陽気な鼻歌と共に揺れる白い尻尾からは、先程までの”冷たい”雰囲気はまるで感じられなかった。
……その変わりようが、僕の背中に冷たい戦慄を走らせるのだけど。
「あれ、ノリくん来ちゃったの?」
「……うん、来ちゃったかな」
僕の姿を見て更にルンルンになったイヅナは、危なげな浮いた足取りで近くのテーブルに朝食を置いてくれた。
「じゃ、いただきまーす」
「ごめんねノリくん、ロッジにも料理ができる食材があればよかったんだけど……」
「気にしないで、食べ物ならボスたちに頼めばいいし、今朝はジャパリまんの方が食べやすいよ」
ロッジで作るのが厳しいなら、図書館でも、はたまた平原のお屋敷に行ってもいいだろう。
まあ、やりようは幾らでもあるってことだ。
『ここまでお前の心配してくれるなんて、結構いい子じゃないか』
『きっと、”あの二人”もいい人だったんだろうね』
『……はは、おいおい、そんな言い方無いだろ?』
人間、余裕がなくなると言動にも焦りが出てくるというもの。
僕の場合、その原因が『イヅナが少し変な気がする』というだけなのだから、手に負えないのを通り越してそれにさえ苛立ってしまう。
『……ごめん』
『別に、謝んなくていいぜ、終わったことだ……』
これから何をしよう。
何か必ずやるべきことが在るはずなのに、それが一体何なのか頭に浮かんでこない。
途方に暮れて何となく周りに視線を向けると、あっちのテーブルで普段通りマンガを描いていたオオカミと目が合った。
「……ふふ」
オオカミさんは僕と目が合うや否や、紙とペンを持ち目を爛々と輝かせてこちらをじっと見つめた。
”二日間も眠っていた間の夢の内容を教えてくれ”と言わんばかりの彼女の目は、ペンよりも多くのことを語っている。
抜け目ないと言うべきか、或いは強欲と呼ぶべきか。
ネタ探しに余念のない彼女の魔の手が、未だロッジの遠くまで頻繁に伸ばされていないことに安堵するべきか。
「……今回はノーコメントだよ」
「えぇ!?」
何にせよ、相手が必死なほど揶揄いたくなる気持ちは生まれるのだ。
普段の仕返しと思えば、罰などは当たるまい。
……むしろ、多分当てる側だ。
「オオカミさんも、もっと僕以外からも話題を見つけたらどうかな?」
「それも一理あるけどねコカムイ君、キミはもう少し自分が珍しいことを自覚するべきだよ、色々な意味でね」
ヒトから生まれたフレンズに、キツネの姿、この島唯一のオスのフレンズ……確かに、パッと思い付くだけでも相当の希少価値がありそうだ。
尤もそれは偶に考え直してみればの話で、普段は全く意識する余地がない。
「まあ、言いたくないなら構わないよ……十分話のネタになるからね」
「ネタって、一体何を……?」
「2日も寝続けていたこと、イヅナちゃんから聞いてないのかい? 眠る期間を延ばして誇張を加えれば、立派なお話になるよ」
「……なるほど」
その気になれば、漫画に描く話題なんて、文字通り現実の出来事の数だけ用意できる訳だ。
「ただ、詳しい話を聞けば更に深くまで描けるんだけど……」
そこまで口にして言葉を切り、オオカミは横目でこちらをチラ、チラ、チラ……合わせて大体五度見くらいした。
しかし、それに対する僕の答えは、当然決まっている。
「ノーコメント、だよ」
「ふ、むぅ……」
変わらぬ反応に落ち込むのも束の間、新たなるアイデアを手に入れた漫画家は再び紙にペンを走らせる。
「ええと、こうして、筋書きはそうだな……眠りから覚めなくなった……奔走して……最後はキスで……」
話の骨組みと共に放り出される独り言からは、フレンズ版”眠り姫”の予感がそこはかとなく漂っている。
『あの漫画家さんは、いつもあんな調子なのか?』
『最初は、冗談好きのフレンズって印象だったんだけど……』
オオカミが決定的に変わったのは間違いなくお祭りの日だ。
黒セルリアン退治から一か月経った記念のあのお祭りから、彼女の圧倒的と形容すべきほど執念深い取材が始まったのだ……恐らくは。
『へぇ、てっきり、お前はイヅナとキタキツネ以外のことで悩まないと思ってたよ』
『酷い誤解だね、でも悩みというよりは……困ってるだけかな』
『ともあれ、祝明君は大人気って訳だな』
大人気……か。
「そんな生易しい言葉で済めば良かったのにね……」
「ノリくん、どうかした?」
「ううん、別に」
気付かぬうちに声に出てしまっていたようだ。
脳内で会話するなんて初めてのことだから、今後は慣れないとね。
そうしたら、本格的に今日の予定を脳内会議で決めることにしよう。
2日間も眠っていれば博士たちにも幾らか心配を掛けているだろうし、疲れていても怠けられる段階ではない。
『じゃあ神依君、行きたい場所を教えて?』
『俺に聞くのか? まあ、図書館が無難だと思うがな……』
『やっぱり最初はそこしか無いか』
図書館と言うのは便利な場所だ。
色んな本があるし博士と助手もいるから、困ったらそこに行けば何かしら進展を得られる。
後のことは博士に報告をしてから考えるとして、日が天辺に達する前にロッジを発つことにしよう。
早くに用事を済ませれば、他に何かする時間も取れる筈だ。
「……よし」
座っていては無為に時間が過ぎてしまう。
とにかく体を動かすために、まず勢いをつけて立ち上がった。
「ノリくん、突然どうしたの?」
「図書館に行こうと思ってさ、イヅナもおいでよ」
置いていくのも悪いから連れて行こう、そう思い声を掛けた。
しかし、予想外にもイヅナの反応は芳しくない。
「え、図書館……?」
「あれ、行きたくないの?」
「う、うん……ちょっと今は、博士には会いたくなくて、ごめんねノリくん、今日は一人で行ってきて」
イヅナはロッジに残り僕だけで図書館へ行ってくれ、と……そういうことらしい。
「ああ、うん、行ってくる、ね……」
「行ってらっしゃい、ノリくん」
胸元で小さく手を振るイヅナに見送られ、僕はロッジの扉を開けた。
今日の朝は存外静かで風の音もしない。
コツ、コツ、コツ……
ペンをリズムよくテーブルに当てる音だけが、時計の針の音のように響いていた。
扉が締まりその音が止むと、沢山のあらぬ考えが脳裏に過っては消え、不安だけを頭の中に置き去りにした。
イヅナが、僕から離れたがった、別に大したことじゃないはずなのに、胸に穴が開いたような心地だ。
訳が、分からない……今まで、こんな気持ちになるはずはなかったのに。
変わったのは、僕?
きっとそうだ、神依君の記憶を見て、彼の人格を身に宿して、僕はまた、変わってしまった。
「ノリアキ、起キタンダネ」
赤ボスの声がする方を向くと、ロッジの向こうからテクテクと赤ボスが歩いてくる。
「これから図書館に行くんだ、赤ボスもおいで」
「ワカッタヨ」
少ししゃがんで腕を伸ばすと、その中に赤ボスが飛び込んだ。
軽い準備運動もして体を温め、これでいつでも出発できる。
そういえば、今朝はかばんちゃんとサーバルが見当たらなかった。
いつもはロッジで過ごしているはずだけど、僕が寝ている間に何かあったのかな。
……まあいいか、後で確認しよう。
「じゃ、早く行こっか」
白の尻尾と耳を現し、空へと一気に飛び立った。
上空は肌寒く、身も心も凍えてしまいそうだ。
吹雪のように冷たい風を浴び、ふとキタキツネのことを思い出した。
「キタキツネ、大丈夫かな」
最後に見たキタキツネの様子を思い浮かべると、胸が締め付けられるような思いと共に、何故かほんのり暖かい。
キタキツネのあんな姿をもう一度見たいと思ったのは、寝惚けているのか、違うのか。
どちらにしても、正気じゃないな。
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