6-76 木葉は散った
今日という日は、珍しく太陽を灰色の雲が覆っていた。
その向こうには変わらず太陽があり、雲越しにボンヤリとその輪郭を捉えることができる。
その朧気な太陽が何故だか僕の心を丸写しにしているように見えて、不愉快な気分になった。
無論、晴れていれば眩しすぎて太陽など見れたものではないのだが。
「僕は、太陽より月の方が好きだな、なんとなく」
『……同感だ』
もしや、雨でも降るのではないだろうか。
後に杞憂となる不安を胸に抱えつつ、図書館に向け空を進んでいく。
道中の火山、火口から噴き出す輝きが普段より少ない気がした。
博士は図書館の中で一冊の本を読んでいた。
……まあ、一度に二冊読むことなんてないけど。
「ええと、やあ、博士」
「……コカムイですか、例の話はキチンと二人に伝えておきましたよ」
博士は本に栞を挟み、パタンと閉じて体をこちらに向け、頬杖をついた。
「お前はお前で随分と長い間グッスリしていたようですが、よく眠れたのですか?」
「まあ、お陰様でね。見ての通り元気だよ」
「……ふふ、別にどうも見えないのです」
「ところでそれ、何の本?」
「何の変哲もない本ですよ、お前が読むような、ね」
驚いて本を奪い取って中身を覗き込むと、博士の言った通り、僕が読むのと同じような漢字かな混じりの文字の列が所狭しと並んでいた。
「博士、漢字読めるの?」
「最近学び始めたのです、流石にひらがなとカタカナだけではどうしようもありませんから」
栞の位置は表紙から4割くらいの所にあり、そこそこ読み進んでいることが分かる。
探偵小説のようで、表紙には邦題と共に"A Study In Scarlet"と書いてある。
今度機会があったら読もうと思い、本は博士に返した。
「博士もこういうの読むんだね」
「この島の長として、観察眼を身に着ける必要があるのですよ。どれどれ、今日のコカムイは……まあ、そうですね」
頭から爪先まで一通り僕の様子を眺めた後、再び本を開いて目を活字の列へと向け、ゆっくりと言葉を紡いだ。
「……話したいことがあるなら聞きますよ。ただし先に言っておきますが、結局はお前自身の判断が全てなのです」
「うん……忘れないよ、絶対」
僕に全てが掛かっているという実感は、未だ確かに得られていない。
でも、神依君の記憶を通して、何か使命を知った気がする。
僕たちは、自身が置かれた状況が面白いほど似通っている。
そして片方の関係はバラバラに崩れ去ってしまった。殺し合いという惨たらしい結末によって。
博士との会話で今の解決法が出た矢先に、僕は神依君の過去を知ることになった。絶対にあんな結末にはしないと自分に誓った。
もしかしたらカミサマって本当に存在するんじゃないかって、そう思ったんだ。
『そりゃ、君のことじゃないのか、祝明君?』
『あはは、イヅナに言わせたらね』
「何なのですか、黙りこくって」
「……何でも、じゃあ聞いてくれるかな」
「ええ、いつでも」
僕は二日間にわたる夢の、その内容を博士に聞かせた。
実体験ではなく聞いた話であるとはいえ、このような恐ろしい出来事の顛末を話すのは自分自身にも負担がかかる。
誰かに説明するためには話を整理しなければならず、そのためにはもう一度全てを頭の中で再生し直す必要があるからだ。
もしも自分の目の前で起きた出来事だったとしたら……
神依君は全てを言葉で話した訳ではない。しかし忘れようとした忌まわしい記憶が鮮明な映像として目の前に蘇ったら、それに因って負う心の傷は自ら語ることの比ではないはずだ。
『だとしても、お前が気に病むことはないんだぜ』
痛い、神依君の優しさが、僕の心には痛くて堪らない。
……ともあれ、神依君の記憶のこと、そして今、神依君の人格が僕の頭の中に棲みついていることを博士に伝えた。
「その”カムイ”とやらの記憶はいいとして、これで例の発作は収まるのですか?」
「さあ……もう少し様子を見ないと、分かんないな」
発作は不定期的にやってくる上、来る時とそうでない時の境界線が明確になっていない。完全に治ったことを確認するにはそれなりに長い時間が必要になることだろう。
「やれやれ、まだ波乱は続くのですね」
「あ、あはは……」
博士はテーブルに積み上がった本の山の頂点に読んでいた本を置いて、建物の外へと歩いて行った。
『あの子がこの島の”博士”か……』
『うん、元の動物は”アフリカオオコノハズク”で、フレンズの中でも頭は良い方だよ』
『なるほどな……』
神依君は博士に結構興味を持っているみたいだ。
十中八九、親友の遥都君繋がりだと思うけど、不思議な偶然もあるもんだね。
探偵小説か……そう言えば、キリンは元気にしてるかな。
あの事件の時から度々”みずべちほー”を訪ねたり泊まったりして、マーゲイさんだけでなくPPPとも相当お近づきになっているみたいだ。
あれから、彼女は探偵として成長したのだろうか、そして、そもそもキリンに探偵の才能はあるのだろうか。
「赤ボス、動物のキリンって頭は良いの?」
「”キリン”ハ頭ノ悪イ動物ジャナイヨ、タダ……」
「ただ……何?」
「大キク目立ツノハ知能デハナクテ、強サダヨ」
「……キリンって、強いの?」
首が長くて身長の割に細身で、どこかか弱い印象を持っていたけど、やっぱり野生動物だ。
ええと、赤ボスに説明してもらったところによると……
そもそもの話、身長のわりに細いとしても体重は1トン近くもある。
高い瞬発力と、強烈な蹴り。受けたらヒトは死ぬらしい。
そして長い首を使った非常に強い打撃。1対1ならライオンにも勝てるとか何とか……
「……強い」
ここまでの強さなら探偵よりセルリアンハンターの方がよっぽど向いている気がする。
まあ、某漫画の”眠る探偵”も柔道のできる強い探偵だったし、悪くはない。
戦いは強いポンコツ探偵と……寧ろマッチしているくらいだ。
しかしそうなるとキリンが眠らされて、声を変える訓練は無駄になるのかな……?
「ま、いいや」
とにかく、今度機会があったらキリンに会いに行くことにしよう。
なるべく、PPPの所にいる時に。
折角図書館に来たんだからと、僕は本を持ってきて読むことにした。結構厚い本だから博士か助手に許可を取って、図書館から持ち出してロッジでじっくり読もう。
ロッジには色々居るから集中して読書ができるか不安だけど……
「そういえば、助手……」
今日は助手の姿が見えない。どこかに出掛けているのかな。
なんとなく気になるから博士に尋ねてみよう。
今博士は外を歩き回っている。曇りとはいえ程よい風が吹いていて、快く散歩ができる天気だ。
「博士、ちょっと聞いてもいい?」
「構いませんが、一体何ですか? 私は今、休むのに忙しいのです」
「あはは……」
『こういう冗談は、遥都の奴とそっくりだな』
懐かしさに浸る神依君は置いといて、博士はそよ風を浴び気持ちよさそうにしている。相変わらず、空は灰色のままだけど。
……早速本題に入ろう。
「今日、助手の姿が見当たらないんだ、何処にいるの?」
「助手のことですか、気になるなら当ててみるといいのです」
博士はもう少しこの調子を続けたいみたいだ。なら、それに乗るとしよう。
「喧嘩して、出ていっちゃったとか?」
「そんな訳ないのです、そこ……なのですよ」
博士は図書館に向かって指を差した。その方向を見ると、何やら扉のようなものがあった。助手はその部屋の中にいるらしい。
「今日はずっと部屋の中?」
「ええ、昨夜から出てきてないはずなのです」
「……やっぱり喧嘩した?」
「あ、あり得ないのです!」
強い調子で否定された。
頬を膨らませ、腰に手を当ててあからさまに怒っているようだ。
余りにもあからさまで、本心がよく分からないけど。
「……本ですよ、あの中なら落ち着いて読めるそうです、私には理解できませんがね」
「そう? 僕は静かな場所の方が集中できると思うよ」
「あの部屋、薄暗いうえにクモの巣が張っているのですよ……」
「あ……そうなんだ」
でもまあ、クモの巣が張るような所謂”ボロい”雰囲気が好きな人もいるだろうし、そこで本を読みたいというのも強ち理解できない話ではない。
「じゃ、そっとしておくよ」
「その方が良いのです、助手の読書を邪魔すると碌な目に遭いませんから」
「例えば、どんな目に遭うの?」
「聞くのですか? ……いいでしょう、話してやるのです」
”あれはそう、遠くない過去、昨日の話なのです”
”……案外最近の話なんだ”
”はいはい、黙って聞くのですよ”
「助手、助手! 居るのですか?」
「ここに居ますよ博士、どうしたのですか」
”ロッジから帰ると、助手は本を読んでいたのです”
「いえその、確認しただけなのです」
「……ふふ、博士は寂しがり屋ですね」
”そして、助手は読書を再開したのです”
”別に普段通りというか、平和だね”
”ここまでは、なのです。私は『寂しがり屋』という言葉に腹を立ててしまったのですよ”
”……何やってんだか”
”聞こえてるのですよ! とにかく、私は助手にちょっかいを掛けることを決意したのです”
「一体何の本を読んでいるのですか?」
”私は座って本を読む助手の後ろから覆いかぶさって本を覗き込みました”
「は、博士、首が重いのです……」
「ふふふふ……私は軽いのですよ」
「……」
”恐らく、助手はここで私の意図を悟ったのでしょうね”
”……”
”なぜお前も黙っているのですか……? こ、怖いのですよ……”
「時に博士、今日はロッジに行ったそうですね」
「え、えぇ? まあ、行きましたよ、少し用事があったので」
「コカムイには会いましたか?」
「……いいえ? 何でも昨日からずっと眠りこけているようで」
「なるほど、それは残念でしたね」
”真意が理解できない質問というのは、それだけで途轍もなく不気味なのです、私はこの時点で逃げ出したい気分でしたから”
「ざ、残念とは……?」
「博士、少し耳を……ゴニョゴニョ……」
「……っ!? あ、ありえないのです……」
”……助手が具体的に何を言ったかは、聞かないでほしいのです”
「もしそうだったら私は、私は……明日まで命があるか怪しいのですよ……じょ、冗談なのです、よね?」
「ふふ、さぁ?」
”恐怖でガタガタ震える私を尻目に、助手はさっきの部屋に向かったのです”
「では博士、私はここで本を読むので、もう邪魔をしないで下さいね?」
”ガチャリと扉を開く音がして、助手はそれっきりあの部屋の中なのです”
「これ以上詳しくは語れないのですが、助手は恐ろしいのです」
それはさておき、博士の話を聞いて、僕には思うところがあった。
「……やっぱり、喧嘩じゃないのかな、ソレ」
「私も、そんな気がしてきたのです」
助手が一体何を博士に耳打ちしたのか非常に気になるところではあるんだけど、残念ながら僕にはそれを知る手段がない。
テレパシーの悪用みたいな方法で思考を読み取れたら出来そうだけど。
『思考がイヅナと似通ってきてるぜ、知らないものはそれでいいだろ』
『……今回は諦めるよ』
「よし、助手に一度謝ってくるのです」
僕たちが脳内会議をしている間に、博士は何やら覚悟を決めた様子だ。
「じゃ、今日はこれで……」
「待つのです」
頃合いに思って立ち去ろうとしたら腕を掴んで引き止められた。
「私の恐ろしい記憶をわざわざ話してやったのです、今日一日はカレーまんを私たちに沢山食べさせるべきだと思わないのですか?」
「……はは、分かったよ、今日はここにお世話になるね」
「では、行ってくるのです」
博士はゆっくりした足取りで、時々怯みつつも扉へと歩みを進める。
今日は図書館に泊まるとして、明日は何をしよう。
『あれ、雪山は行かないのか?』
『今はちょっと、ね』
発作とは別に、キタキツネと会うことへの抵抗が残っている。
あまり長く放置しても拗れるだけなのは分かっているけど、もう少し自分の時間が欲しい。
『……よかった、まだ無事だな』
「あはは、どういう意味さ」
「コカムイ、何か言いました?」
「……何でもないよ」
「そう、ですか」
何処に行くのが良いだろう、砂漠かあるいは平原か……
楽しい思案に耽りながら、ハチャメチャ模様が広がる扉の奥をじっと眺めていた。
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