−1-74 開幕劇


 真っ赤な夕焼けの空に、血のように赤い太陽が浮かんでいる。

 細々と浮かぶ雲が太陽に掛かり、影はまるで日食のように暗い影を地面に落とした。


「……よ、急に呼び出して悪いな」

「それは構わないさ、だけど、一体どうしたんだい?」


 小さい頃3人で遊んだ公園。

 頭には長閑な記憶しか残されていないはずだが、記憶の中の空も今のように赤く想起される。


「一つ、確認したくてな」


 夕焼けが水たまりを照らし、赤い光を反射した様は血溜まりのようだ。


「真夜と北城のこと、覚えてるか?」

「……神依、どうして、今それを?」


 遥都は目を見開き、じっと、俺の一挙一動を見逃すまいとしている。

 それも当然か、2年経った今更言い出すことじゃない、俺がその話題を避けていたのなら。


「……思い出したんだよ、あの二人のこと」

「思い出した……? それって一体……」

「忘れてたんだ、この2年間、ずっと」


 遥都は急にベンチから立ち上がった。

 しかし首を振って深呼吸をして、なんとか自分を落ち着けようとしている。


「忘れてた……か。きっと、ショックだったんだ」


 ショック……か。

 心が壊れ切ってなかったら、きっとそう感じるんだな。


「ああ、惨かったし、衝撃的だった」

「神依?」


 懐かしむような俺の話し方に、疑問を持っているようだ。

 俺も、自分がどうしてこんな風な話し方になっているのか理解できない。


「酷かったよ、俺の目の前で、二人が殺しあったんだから……な」

「……ぇ」


 ポカンと口を開けて、遥都は一切の言葉を失った。

 目は焦点を見失い、一歩後ずさり、力なくベンチに座り込んだ。


「……時たま、遥都の返事がおかしかった理由が、やっと分かったよ」

「あ、あぁ……」

「ずっと知りながら、隠してくれてたんだな、お前も、母さんたちも」


 そして、俺が得体の知れない恐怖に悩ませられ続けたのも、忘れてしまったせいだった。

 ……それでも、あの白い狐には感謝してるけどな。



 座って俯いたまま、遥都は俺に尋ねる。


「……神依、どうして、あんな事件が起きたんだ?」

「あの二人を見てたら、分かるんじゃないか? だからあの時、したんだろ?」

「……ああ、簡単な話、だよね」


 遥都から見ても、いや傍目から見ていても、真夜と北城が俺に対して並々ならぬ想いを寄せていることは明白だったことだろう。


「でも、なんで”あの日”だったんだろうな」


 一学期最後の日、北城がその日を選んだのは一体何故だろう?

 それを考えることに意味が有るかどうかは判らないし、今更北城に聞くこともできない。


「俺に、止められたのか……?」


 目に焼き付いた鮮血の景色に、それを防げなかった後悔に、押し潰されてしまいそうだ。

 2年前に放り出した責任が、そっくりそのまま戻ってきた。


「神依、自分を責めるな。もう、終わったことだ」

「終わった……ああ、とっくの昔に、終わってたんだ」



 でも、防げなかったのか? 既に終わったことなのか?

 グルグルと、何度でも思考は廻りゆく。


 自分を責めて、擁護して、責任を感じて、言い訳をする。

 答えは出ない、正解の用意されていない問題は、考えることを止められない。


「でも、怖かったんだ……」

「神依……」

「北城は真っ直ぐだった、悪い奴じゃなかった、でもアイツは真っすぐすぎた」


 自分の想いに真剣で、想いを曲げることを考えなくて……

 だから、壁にぶつかった時に、曲がれなかった。

 壁を貫き進んで、邪魔するものを消し去って、そうしなければ北城は先に進めなかった。


「遥都も、何となく分かるだろ?」

「分かる、気がする。……勿論、一番理解してるのは神依だよ」


 小さく、消え入りそうな声でも返事はしてくれる。

 俯いたまま発される声には、弱々しくも感じられる”芯”があった。


「オレ達のような外野には、計り知れないことばかりだ」

「……ハハ、外野ってか」


 こんなに長い付き合いの遥都でさえ、あの2人は外野にしてしまった。

 それ程までに排他的で、閉じ切った恋情だったんだ。



「でも、何を言っても、俺が恐れてたのが一番なんだ」

「…………彼女たちの、何が怖かったんだい?」


 その言葉が発されるまでに、十数秒の沈黙があった。そこに込められていたのはきっと、『事情を知って力になりたい』、しかし『嫌なことを思い出させたくない』という相反する思いだ。


「へへ、よく聞いてくれたな、幼稚園に通ってた頃の出来事でな、俺と、真夜しか知らなかった話だ」


 だけど、俺はその言葉を言って欲しかった。

 どんな形であれ必要とされたいと思ってしまうのは、彼女たちの性質が伝染ったせいなのかもしれない。




 それはさておき、年長の頃、まだ遥都と出会う前に俺が体験した、背筋が凍るような話をしよう。

 あの白い狐がいなければ、俺はこの体験を一生の間一度たりとも忘れることはなかった。


『カム君、こっちだよ!』


 年長になって、俺は初めて真夜の家に招待された。

 まだ幼いとは言え、生まれて初めて女の子の家に入るというのだからそれなりに緊張していた。


『わわ、待ってよ!』


 それに対し、真夜はまるで何度も人を家に招いているかように平然と振舞っていたのを覚えている。


『えへへ、ここが私のへやだよ!』

『わぁ、キレイ……』


 整頓されつつもほんの少し散らかっている様子がどこかメルヘンチックで、置いてある家具は他の部屋と変わらないのに、ここだけがまるで別の空間であるかのように感じられた。


『ねぇカム君、なにして遊ぶ?』


 真夜はベッドに腰掛けて可愛らしいクッションを抱きかかえた。


『僕は別に……真夜は何がしたいの?』

『むー、私が聞いたのにー……』


 真夜は頬を膨らませて文句を言う。

 しかしその膨れっ面もすぐにしぼんで、笑顔になった真夜は自分の横をトントンと叩いて俺もベッドに腰掛けるよう促した。


 促されるままに座ると、真夜は頭を傾けて俺の肩に乗せた。

 今では全くそう感じないが、当時は幼心にもドキドキしてしまっていた。


『じゃあカム君、何か思いつくまでずっとこうしてよっか』

『……うん』


 目を閉じて穏やかに呟く真夜だったが、状況に気圧された俺は彼女の言葉にただ頷くことしかできなかった。


 真夜は言葉通り、ずっと俺の肩に寄りかかり続けた。

 何かする訳でも言う訳でもなく本当にそのままの状態が数分経ち、しかし体感では1時間は過ぎたように感じられた。



『……ねぇ、カム君』

『……なに?』


 彼女は立ち上がり、ベッドへ向けて後ろ向きにクッションを投げ捨てた。


『カム君に、見せたいものがあるんだ!』


 クルクルと余分に回り、俺の方を向いて真夜は高いテンションでそう言った。

 先程までの静かな様子はどこへやら、俺はなんとなく恐ろしい気持ちになった。


『待っててね、ここにあるんだ』


 一際大きなクローゼットの下の引き出しを開けて、その中から何やら箱を取り出した。

 その箱も大きく、まだ小さな真夜がそれを抱える姿は危なげだった。


『うーん……よいしょ!』

『おおきい、なにが入ってるの?』 

『えへへ、見てのおたのしみだよ!』



 真夜はその箱の蓋を開けて、中から何かを抱き上げた。


『じゃーん! かわいいでしょ?』

『……え?』


 真夜が抱きかかえたソレを見て、言葉を失った。

 何を言えば、どうすればいいのか分からず、ただ狼狽えていた。


『それ、なに……?』

『ちゃんと見て、でしょ?』

『う、うん……でも、どうしてそんなになの?』


 確かにそれはぬいぐるみだった。

 だが寧ろ、ぬいぐるみもの、と言った方が正しい代物であった。


 ぬいぐるみの全身が切り付けられ、傷という傷から綿があふれ出し、首は座らず、縫い付けて直された手足は別のぬいぐるみの物だった。


『これが私のお気に入りなの! かわいいキツネちゃんでしょ?』

『あ、あぁ……』

『……? どうしたの、カム君?』

『あ、わわ……ぬいぐるみ、嫌いなの?』


 ”お気に入り”?

 ボロボロになるまで傷めつけ、継ぎ接ぎにすることをそう呼ぶのか。

 もっと拙い言葉だったはずだが、その時の俺はそう思った。


『嫌い? どうして?』


 心底不思議そうに言い、箱を倒して中にある別のぬいぐるみも外に出した。

 転がり出てきたものは全て、真夜が抱き上げたぬいぐるみと同じように継ぎ接ぎだらけでボロボロだった。


 真夜はその中から一つ、白い狐のようなぬいぐるみを持ち上げて立ち尽くす俺に渡した。

 勿論それも、手足は別の動物の色と形になっていたが。


『大好きだよ! だから、かわいくしてあげたいの!』


 屈託のない笑顔で、自分の行動の一切を疑うことなくそう言い放つ真夜。


 その後俺がどうしたか、全く覚えていない。

 だが、俺はもう真夜の家に行ってもあのぬいぐるみを見ることはなく、それ以来ずっと、この日の出来事を忘れることはなかった。あの日までは。



「ま、こんなとこだ」

「………」


 遥都は絶句して、それだけでなく固まっている。


「おいおい、”終わったこと”って言ったのは遥都だろ? 気にすんな」

「ああ、しかし……そうか。そんなことがあったなら、納得だよ」


「ハハ……真夜も北城も、悪い奴じゃなかった、そう思いたい」


 純粋で、しかし、さっきも言ったように彼女たちは余りにも純粋すぎた。


 愛だとか言うものも、きっと必要だ。

 空気とか水とかと同じで、多分なければ生きていけない。


 だけど、重すぎれば潰される。

 多すぎれば溺れる、彼女たち諸共。

 強すぎたら、必ずその身を亡ぼす。


「でも、だとしても、あの2人の想いは、俺には重すぎたんだ」


 純粋すぎる愛で死なないためには、フグのように自分自身が純粋すぎる愛ソレを抱かないといけないのかもしれない。




「もう1回言うけど、ありがとな、遥都。黙っててくれて、それと、この話を聞いてくれて」

「どういたしまして、だけど神依……その、大丈夫か?」

「やっぱ心配か? でも大丈夫だ、思い出した以上、どうにかしなきゃいけないからな」


 一度大きく深呼吸をして、公園から立ち去ろうと歩き出す。

 遥都に一声掛けようと振り返ったその時、丁度遥都も声を発した。


「神依」

「……どうした?」


「きっと、オレには計り知れないほど、疲れてると思う、だから、こんな時こそ、オレが力になる、だから――」


 遥都は決意を込めて、真っすぐに、言葉を届けた。


「困ったら、いつでも言えよ、オレは、は、いつだってお前の、そう、神依の大事な大事な親友だからな」

「……あ、あぁ! ありがと……な」


 嬉しかった、何より遥都が、”木葉博士”と初めて自称してくれたことが。

 自分を肯定してくれた、そんな気がした。でも――


「だけど、こそ、思い詰めるんじゃないぞ?」


 遥都に、これ責任を負わせるわけにはいかないんだ。


「分かってるさ、、神依」

「ああ、、遥都」


 だから、もう一度だけ、会いに行こう。

 出会えるかどうか分からない。でも、最後にもう一度だけ、縋りたい。



「ついに、来ちまったな」


 神社、爺ちゃんがいた神社。二度と来ないと、そう思っていたはずだったが。


「いない……か?」


 目が曇って、見えるはずのものも全然見えない。

 目を擦りつつ、なんとか賽銭箱まで辿り着いた。


「これで最後だ、拝んでおくとするか」


 5円玉を2枚、空っぽの賽銭箱に放り込んで、大きく鐘と手を鳴らして祈った。

『あの白い狐に、会えますように』と。


 目を開けて振り返る途中、お御籤みくじの箱が視界に入った。

 中を覗いてみると、まだ残っている。


「………」


 一つ引いて、ゆっくりと開けた。


『大吉』と、そう書いてあった。


「……っ!」


 衝動的に破り捨てた。

 爺ちゃんには、絶対にするなと釘を刺されていたけど、止められなかった。


 何が大吉だ、幸運だ。

 今更、良いことなんてこれっぽっちも待ち受けているものか。

 ああ……稲荷神がどうした、祟ればいいさ。


 これ以上悪くなったって、知ったもんか。



 しばらく息を荒げていたが、少し平静を取り戻した。


「もう、いいさ」


 奇跡は二度も起こらない。

 明日からまた、憂鬱で楽しい日常が待っているだけだ。


 もう、こんな神社とも、あんな過去とも、お別れしよう。


 2度と振り返らないと心に決め、神社の出口に向かって歩き出したその時、その瞬間、懐かしい何かを感じた。


「……これって」


 見上げると、空中を漂い、こちらに向かってくる白い狐と目が合って―――









 ”これが、俺の物語だ”


 ”お前は、間違えるんじゃないぞ、祝明……?”

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る