4-45 キタキツネと温泉と
旅館に戻ると、ギンギツネから何があったのかをしつこく聞かれた。
『雪山に出たのと同じ形のセルリアンが湖畔に出た』とだけ伝えて、勾玉やその他もろもろの事実と推測は隠しておいた。
疑惑が高まっているとはいえ、まだ確信に至るほどの証拠がない。その証拠は明日から集めるから、今日はこのことは忘れてゆっくりキタキツネとゲームをしよう。確か研究所から持ってきた機械が鞄の中に入っているはずだ。
「……よし、ちゃんとあるね」
鞄の中には3台のゲーム機と、4台分の周辺機器があった。イヅナはゲーム機だけ持って行ったから、充電器などは持っていないはずだ。
「キタキツネー! こっちおいで!」
「んー、なに?」
呼んでみたら、奥の部屋からキタキツネが目をこすりながらやってきた。髪の毛がちょっぴりピョコっと跳ねているのもあって、キタキツネがさっきまで寝ていたことはすぐに分かった。
「キタキツネのために、研究所にあったゲームを持ってきたんだ」
「っ! げーむ!?」
「うわわ、ち、近いよ?」
『ゲーム』の3文字を聞いた瞬間にキタキツネの目は野生開放ばりに輝き、先ほど4mほど離れていたのが気づかぬうちに眼前にキタキツネの顔が迫ってくる距離になった。
「はい、携帯ゲーム機って言って、充電……つまり電気を貯めれば持ち運んでどこでも遊べるんだ」
「わあ……すごい……!」
キタキツネはゲーム機の蓋をパカパカと開閉したり、表を見て裏を見て、また表をじっくりと見たりしては夢中になっている。
「ねえ、これどうやって遊ぶの?」
「こうやって開けて、ここのボタンを押せば電源が付くよ」
キタキツネは言われた通りにボタンを押した。すると画面が光りだし、いわゆるホーム画面が開かれた。
「そ、それで次は……?」
「ええと、ちょっと待ってね」
鞄の中からプラスチックのケースを取り出した。その中にはゲーム機で遊ぶためのゲームソフトが4つずつ入っている。ケースも4つあるから、元々は分けて入れていたものがなぜかまとめられているらしい。
その中の『スマッシュシスターズ』というタイトルのソフトをキタキツネに渡した。
「これを……ここに入れるとゲームができるよ、他のを入れれば、別のゲームができるんだ」
「すごい、同じゲーム機で……!」
ゲームセンターにあるような筐体からすれば、とてつもなく大きな進化と言えるに違いない。現にキタキツネは大興奮だ。
「とりあえず今は『これ』やろっか」
「うん!」
起動してみると、前に遊んでいた人のデータが残っていた。しかしキタキツネは「一からやりたい」と言ってそのデータを消去した。キタキツネがそうするなら、と僕もそれに倣ってデータを消した。
「これって通信をして複数人でも遊べるみたいだね」
「つうしん……ってなに?」
「えーと、このゲーム機同士でデータをやりとりして、一緒に敵と戦ったり、プレイヤー同士で対戦ができるんだ」
「……でも、別のゲーム機だよ?」
……そっか、今まで通信ができる機会に触れたことが無いから、離れててもつながることができるって発想が出ないんだ。僕だって、一切知らなかったらそんな考えは出てこない。この機能を考えついた人は想像力が豊かだったんだろうな。
「大丈夫、離れてても繋がれるのが『通信』だからね」
「じゃあ、何人でできるの?」
「ええと、4人まで、ってあるね」
キタキツネの耳がピンと立った。
「じゃあギンギツネともできるね!」
「そうだけど――って待って!?」
キタキツネは僕が肯定するのが早いかギンギツネの方に飛び出して瞬く間に捕まえて連れてきてしまった。
「ちょっとキタキツネ!? 私はゲームとかそういうのは……」
「いいからやろうよ! 楽しいよ!」
普段のめんどくさがりなキタキツネからは考えられない様子で、見ているとまるでこの瞬間だけはキタキツネとギンギツネの立場が逆転しているように見えた。
「も、もう、仕方ないわね……」
結局根負けしたギンギツネは、最後のゲーム機を持って『スマッシュシスターズ』をはじめからプレイすることとなったのだ。
「すごい、いままでのゲームと全然違う……!」
遊んでいる姿はとっても楽しそう。
「よかった、キタキツネのために持って来たかいがあったよ」
「良かったわね、キタキツネ」
僕の言葉を聞くと、キタキツネの指の動きが一瞬止まって、またすぐに動き出した。ほんの一瞬だったけど、今まで一切の滞りなく動いていた指が止まった様子は僕の目に鮮明に焼き付いた。
そこから少し視線を上に向けると、キタキツネは少し俯いてその表情が見えづらくなっているが、その顔は少し赤みを帯びているように見えた。耳もさっきまでよりも動きが多くなり、尻尾は忙しなく上下左右に振れていた。
「そ、そっか……ボ、ボクのために……」
小声で何かをつぶやいていたけど、ヒトの耳では聞き取れなかった。キツネの姿になっていたらあるいは、その声を聞くことができたかもしれないのに。
しばらくやっているとシングルプレイだけでは物足りないと、3人で対戦しようとキタキツネが持ちかけてきた。当然断る理由はない。
「よし、頑張ろっか」
「まけないよ……!」
「うう、私はどうすればいいのかしら……?」
そして、数時間にわたる熾烈な戦いが幕を開けたのだった。
――日は落ちて……そう、今は大体7時頃だろう、僕は赤ボスが持って来たジャパリまんを頬張っていた。
思えば初めて赤ボスと出会ったのはこの雪山だった。その時はまだ赤ボスは青かった。けど……まあいいや。
対戦が終わった後も、キタキツネはストーリーモードを進めている。
「キタキツネ、程々にしてね」
「……うん」
応えてはくれるけど、生返事だ。筐体でやっていた時よりも夢中になっている。
ところで対戦の結果だけど、勝率は僕とキタキツネで大体五分五分、一度だけギンギツネのラッキーウィンがあった。といってもだんだんと勢いを増していく戦いについてこれなかったのか、1時間くらいのところでギンギツネはリタイアしてしまった。
「初めてなのに、キタキツネはやっぱり上手だね……格闘ゲームに近い、ってのもあるんだろうけど」
「……それについていけるあなたも大概だと思うわ」
「あはは、そりゃどうも」
「けど、キタキツネがアレにはまりすぎたらあなたのせいよ?」
「それは、まあ……気を付けるよ」
ギンギツネだってそれなりに楽しんでたくせに、とは言えなかった。ギンギツネの目は結構真剣だったからだ。やっぱりキタキツネが大切なんだ。
「……まあ程々になら、悪くないとは思うわ」
「……?」
「キタキツネ、今まで本気でゲームをして遊べる友達がいなかったの、私は、ゲームに関してはこの通りの体たらくだから」
そのことをキタキツネがどう感じていたかは分からないけど、ギンギツネはその状態をあまりよく思っていなかったらしい。
「だから、貴方には感謝してるわ、キタキツネとゲームで分かりあってくれて」
自分のことを全部忘れてしまった僕にも、ゲームで誰かと友達になることはできたみたいだ。
「それに、今日はゲームまで持ってきてくれて……」
「――あ、どういた」 「だけど」
「っ……!?」
突然変わった声色に驚いて押し殺したような声が出てしまった。
「あのゲームの扱いは気を付けて、ね?」
「……は、はい」
ギンギツネを怒らせるようなことは特に避けた方が吉だと、直感で理解した。
しばらく自堕落にしていると、赤ボスがこっちに来た。
「ノリアキ、ソロソロ温泉ニ入ッテ寝タ方ガイイヨ」
「もうそんな時間なんだ」
「ああ、温泉に行くなら、今大きな方にカピバラが入ってるから、もう片方に入ってちょうだい」
「分かった、じゃあ入ってくるね」
「ええ、ごゆっくり」
少しわざとらしいギンギツネの送り言葉を聞いて、小さいほうの温泉に入った。今日こそはカピバラもやってこないし、ゆっくりと浸かることが出来る。
「……はぁ」
快適なお湯に浸かって、思わずため息が漏れた。今日はたくさんのことがあって、見えない疲れもたまっているに違いない。
しかし、いくら考えないようにしていても、こうやって何もしない時間ができれば、自然と今日の出来事について考えに耽ってしまう。
「……イヅナ」
本当に、イヅナがやったのか?
あのセルリアンは、あるいは本当に新種が偶然に3か所に現れただけだったのか?
……その答えはきっと、あのセルリアンたちが持つ特徴を考えればわかることだ。
ツタに、白と緑の勾玉……
研究所にいたのはツタを出して、それ以外は出さない。ツタを出さないセルリアンの石の中には勾玉があった……
それは、それはきっと――
――そんな僕の考え事は、突然にして聞こえた水音にかき消された。
「……キタキツネ?」
僕のすぐ横の所に、キタキツネが入ってきた。
「こっちに入ってるって、聞かなかった?」
「うん、ギンギツネに聞いたよ」
「じゃあなんで――」
「だから、こっちに来たんだよ」
そう告げるキタキツネの表情は、ああ湯気のせいなのか、どこか魅惑的な、本能に語り掛けるようなものだった。
「ねえ、ノリアキ……その、今日のこと、お礼が言いたかったんだ、助けてくれて、ありがと」
「あ、いいよ、別に……え?」
キタキツネが、僕の名前を呼んだ。思い返せば、今まで一度も名前を呼んでくれたことはなかった。そのことに気づいた僕に対して、キタキツネは追撃を続ける。
少し、こっちに身を寄せてきた。些細な変化かもしれないけど、その変化は確実に僕の心に強い印象を与えた。
「そ、そっか、初めてだったね……ねえ、ノリアキって呼んでも、いい?」
「う、うん……」
「えへへ、ありがと」
僕の返事に満足げなキタキツネは、ついにその肩を僕の肩にぴったりとくっつけた。
「き、キタキツネ……?」
「……どうしたの?」
自分が何をしているかの、分かっているくせに。でも彼女は何を言うでもなく、ただただ肩を寄せて、そこにいるだけだった。
「今日のノリアキ、とってもかっこよかった」
「……そう」
「飛んできてボクを助けてくれたし、あのキックも強くて、それにそれに――」
「……」
「もう、返事、して?」
鈍い反応をする僕に対し、キタキツネは水面下で腕を絡めて、そう言った。
こうなると、触れているのは肩だけではない。彼女の髪が、耳が、僕の顔や頭に触れる。柔らかな腕が、脚が、何をするわけでもなく、ただ触れている。しかし、今にも動き出し、その全てをぶつけてきてしまいそうな雰囲気が、彼女からは感じられた。
そのまま耳をピクピクと動かし、耳元で彼女は囁いた。
「ねえ、ノリアキの『耳と尻尾』、見てみたいな……?」
温泉の熱と、キタキツネの体の熱でのぼせてしまいそうな頭でも、言っていることはすぐに理解できた。
なぜかその言葉を無視するわけにいかず、僕は彼女の言う通りに、キツネの姿になった。
「ふふ、きれいだね……」
するとキタキツネは、絡めているのとは逆の手で僕の耳を撫でようとした。すると当然、キタキツネと僕は向かい合う形になってしまう。これ以上はいたたまれなくなって、目を閉じ、体をキタキツネから離れる向きに動かした。
それでもお構いなしにキタキツネは僕の耳を触り始めた。それもただ触るのではなく、優しく、それはもう優しく撫でるように、時に、くすぐるように。
それは数分か、それとも数十分か。キタキツネの遊びが終わって彼女が上がるまで、僕は身じろぎもできずにそこにいた。
「……のぼせちゃった」
キタキツネは名残惜しそうな声を出して、絡めていた腕を外し、小さな水音を立ててゆっくりとお湯から体を出した。当然、ずっと目は閉じたままだから、他に何をしたかは知りようもない。もしかしたら彼女の顔は赤かったのかも知れないが、それも確かめようのないことだ。
「えへへ、また入ろうね?」
そう言って、彼女は旅館へと戻っていった。
キタキツネが行った後もしばらくの間、僕の心臓は最高速で拍動を続けていた。
のぼせてしまったのか、温泉に、あるいはキタキツネに?
しかし、僕の感覚は、別の何かをずっと告げているように感じられた。
その証拠に、ほら。
――温泉に映る僕の顔は、とても青ざめて見えている。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます