3章 第11話 死嫉神《ヘラ》

 ルトの姿が見えなくなっても、エリカは未だ彼の歩いて行った方向へと目をやっていた。


 視線の先で大きく輝く街明かり。

 街が賑わいを見せている事を証明するその人工的な輝きからは、どこか喧騒すらも聞こえてきそうで──。


「…………」


 佇み、ボーッと光を見つめ、エリカは少し翳りの見える表情のままふと思う。


 真っ暗闇の中、煌々と輝く光に向かい真っ直ぐ歩いていくルトと、闇に包まれながらポツリと佇む自分自身。

 その対比が、2人の人生を暗示しているようで、何とも言えないもの悲しさがあるなと。


 ──何故、今日はこうも寂しくなるのかしら。


 暗闇の中1人なんて幾度となく経験している。

 寂しいという感情も2年という月日と共にどんどんと薄れていった筈である。


 その筈なのに──何故か今日はやけに寂しい。


 ──何故、かしら。


 考え、そしてすぐに答えが出た。 


 ルトと共に過ごした数時間が楽しかったのだ。

 ここ数年で感じる事の無かった暖かさ。それを短時間のうちに一身に受けてしまったばかりに、慣れ親しんだ筈の暗闇が、孤独が、もの悲しいものであると思い出してしまったのである。


 エリカの瞳が揺れる。しかし、その視線は眼前の光を見つめたままで。


 ……が、遂に耐えられなくなったのだろうか、思わずギュッと目を瞑る。

 眼前でキラキラと輝く街明かり。その光を視界から追い出すように。これ以上悲しみを感じる事のないようにと。


 すると、どうか。視界が闇に染まったのと同時に、スクリーンに映像が投影されるように今日の出来事が浮かび上がってくる。


 街の風景、喧騒。鮮明に映る今日という1日。

 そしてその映像にはいつも優しい笑顔を浮かべるルトが居て……。


「…………っ」


 エリカはパッと目を開く。そして再度光を目に収めると、今度は悲しみではなく、楽しさや暖かさが身体を満たしていく。


 じわりじわりと、顔に熱が篭っていく。


 ルトの笑顔が浮かぶと同時に、今度は妙な気恥ずかしさを感じてしまったからか、頬がほんのりと朱色に染まる。


 心が、身体がポカポカと暖かい。


「…………」


 エリカは無言のまま、しばしその暖かさに身を委ねていた。

 しかしすぐにハッとすると、それらを振り払うかのように、勢いよく首を左右に振る。


 そして数瞬ボーッとした後、


 ──水でも浴びよう。


 冷静さを欠いていると思ったのか、そう考えエリカは森の奥へと歩いて行った。


 ……この時、やはり彼女はいつもとは違い冷静ではなかったのだろう。


 水浴びをするというのに、優秀な護衛であるコロを見張りとして置かなかったり、普段ならば周囲を警戒しながら生活、特に水遊びの時は細心の注意を払うのに、この時はボーッと気が抜けた様子のままであった。


 まさか、このたった一度の不注意が、彼女の今後の人生を左右する出来事へと繋がるとは、この時のエリカは一切の想像もしていなかった。


 ◇


「楽しかったな」


 ルトは今日1日をそう総評しながら、暗闇の中を1人歩く。

 勿論、魔物が現れるエリアである事は理解している為、周囲を警戒してはいるが、彼の思考はどちらかと言うと1日の思い出へと向いていた。


 ルトの集合場所への到着が早過ぎる事に対する呆れから始まり、美しい、しかし中々に奇妙なアクセサリーショップへ寄ったり、飲食店で『美味しい』を共有したり、アスチルーベ商会で爆買いをしたり──。


 未だ共に過ごした時間では1日にも満たない筈なのに、まるで旧知の仲であるかのように自然と接し、別れ際には別れ難いという感情まで抱いていた。


 まぁ、その影響で結局今回の目的である人探しの事をすっかりと忘れてしまっていたのだが……。


「次回からはしっかりしないとな」


 楽しいのは勿論素晴らしい事だと思うが、だからと言って目的を忘れてしまっては元も子もない。


 そう思いつつ、次回はちゃんとしようと再度心に決め……。


 ……ん? 次回?


「……あ! 次の予定決めてなかった……」


 ここで次の予定を何も決めていない事に気づき、ルトは小さく項垂れる。


 しかしすぐに、まだ10分程度しか経過しておらず、今なら戻っても失礼にはならないのではないか……と考えると、Uターンをし、エリカのいる森へと戻っていった。


 ◇


「……おじゃましまーす…………」


 恐る恐るといった様相で、ルトはゆっくりと森の中を進む。

 何度も踏みならした道を申し訳なさげに歩み、遂にルトがオアシスと呼ぶ秘密の場所へと到着したのだが……。


「……あれ、居ない」


 そこにエリカの姿は無かった。


 ……という事は、奥かな。


 今までならば、ここで引き返していたかもしれない。が、エリカと出会い、この奥に更にオアシスのような空間がある事を知っており、加えて基本エリカはそこに住んでいると理解していたルトは、すぐにそう考えると、奥地へ向け再び森の中を歩く。


 木々の隙間から時折月明かりが覗く。つい先程までは雲により月が隠れていた筈だが、丁度雲間から顔を出したのだろうか、何にせよ暗い森の中を歩く上で月明かりは非常に有用だ。


 そのまま歩みを進めると、段々と目前が明るくなっていく。開けた地が近づいている事を示すその淡い光に向かい歩んでいき、遂に森を抜け……。


「エリカー言い忘れてたんだけ……ど──」


 エリカに声を掛けようとし、その途中で視線を一点に向け固まる。その視線の先には──


 ──天使が居た。


 水浴びの最中だったのだろう、一糸纏わぬ純白で滑らかな肢体に水を滴らせながら、リラックスした表情で目を瞑り小さな湖のような場所に立つ少女。

 黒檀を思わせる程に漆黒で艶やかな黒髪を肩口まで垂らし、目を瞑っていてもわかる程に整った容貌からは、未だ成長途中の少女のような幼さの中に、既に匂い立つ様な色気すらも見て取れる。


 開けた場所という事もあり、雲間からさす光を受けた黒髪には天使の輪の様な光の輪が出来ており、そんな暴力的なまでの美しさも相まって、天使が具現化した姿ではないかと錯覚してしまう程の神々しさがあり……ルトは思わずボーッと見つめてしまう。


 時間にしてコンマ何秒か。そんなルトの声を受け、目前の美少女はピクリと反応を示すとすぐ様目を開き、バッと声の方へと目を向ける。


 2人の目が合う。


「…………ッ!」


 ルトはここでようやく目の前の美少女がエリカ当人であると認識すると、ハッとした様子ですぐさま身体ごと目を逸らす。


「ご、ごめん! 決して覗くつもりじゃ──」


 そして謝罪と共にそんなつもりは無かったと伝えようとし──しかし言い切るよりも先にエリカが言葉を重ねた。


「見た……わね?」


 悲哀と絶望の混じったような、今まででは想像の出来ないほど底冷えのする様な声。


「私の顔……見たわね……」


 まるで独り言のように、震わせた小さな声で呟き──瞳から一粒の涙を流す。


 そして──


「殺す……殺す殺す殺す殺すッ!」


 涙を流しながら、エリカは静かに声を荒げる。


 そのエリカには似つかわしくない荒々しい言葉にルトは驚きながら、彼女の肢体には目を向けないよう横目で彼女の顔へと目を向け──目を見開く。


 エリカの表情が憤怒では無く、悲哀や絶望の色で染まっていたからである。


「……エリ……カ……?」


 思わず名を呼んだルト。その目前で、エリカの左手に黒々とした紋章が浮かび上がる。

 そして紋章から漆黒の、得体の知れない靄が現れ、エリカの周囲を渦を巻くように覆うのと同時に、エリカは力強くその名を唱える。


「──死嫉神ヘラッ……!」


 瞬間、真白い彼女の肢体を黒い靄が覆っていく。そしてその靄は段々と服を形成していき、遂には黒いゴスロリの様な服に身を包んだエリカの姿がルトの目前に現れた。


「……纏術!?」


 幾度と無く魔法を使っていた事から、エリカを魔術師だと認識していたルトは、彼女が纏術を使用した事に一度驚愕した。

 次いで彼女の纏う雰囲気に何やら既視感を覚え、数瞬頭を悩ませた後、


「……し、死神!?」


 それが自身の持つ死神の力と同様の雰囲気だった事から、ルトは再度驚愕に目を見開く。


 そんなルトをよそに、ヘラを身に纏ったエリカは濃密な死のオーラを周囲に撒き散らしながら、涙で濡らした顔をくしゃりと歪め、意を決したように力強く声を上げる。


「殺す……ッ!」


「ちょ、ちょっと待ってよ! 確かに今回は全面的に僕が悪いけど……だからって、殺す事ないじゃないか!」


 エリカから殺意の様なものを感じたからか、ルトは何とか心を鎮めるようエリカに声を掛ける。しかし──


 ……だめだ、目が座ってる。このままじゃ話を聞いてもらえない! ……やむを得ないか。


 このままでは一方的に殺されるだけだと感じたルトは、グッと右手に意識を集中すると、大鎌──死狩テトを出現させる。


「落ち着いて!エリカ! 」


 そして何があっても対応できるよう構え、エリカへと声をかける。


「大鎌……!?」


 エリカはルトが大鎌を顕現させた事を目にし、動揺した。


 大鎌という珍しい得物、そしてこの武器が、尋ね人であるもう1人の死神が使用していた武器でもあったからである。


 が、しかし──だからと言ってここで引き下がる事はエリカには出来なかった。

 エリカにとって、顔を見られる……それ即ち、社会的な死も同然であるのだから。


 エリカは動揺と共に多少の逡巡を見せた後、グッと歯を食いしばると、


「いや、でも……ッ! コロ! お願いッ!」


 意を決した様子でそう口にした。


 瞬間、エリカの前に黒い靄が集まると、中から何かが猛スピードで飛び出し──ルトへと猛然と襲い掛かる。


 ルトは咄嗟に死狩テトを両手で掴むと、牙を見せ噛みつこうとする何かの口元へとぶつけた。


 途端にルトを襲うとてつもない衝撃。

 その衝撃に思わず力を緩めてしまいたくなるが、そんな事をしては殺されるだけだと思うと、歯を食いしばり、前傾姿勢のまま必死に受け止める。


 そのかいあってか、何とか衝撃は収まり、同時に襲い掛かかってきた存在が何なのかが判明。ルトは何度目かわからない驚愕に目を見開く。


「なっ……ブラッディウルフ……ッ!」


 突如暗闇から現れたブラッディウルフ。以前ルティアですらも敵わなかったデーモンと同じAランクの魔物に、ルトはあからさまに狼狽する。

 が、そんなルトの動揺など関係ないとばかりにブラッディウルフは一度バックステップをすると、再度動きに変化を加えながらルトへと襲い掛かる。


「…………ぐっ!」


 再びタイミングを合わせ死狩テトをぶつけ何とか防ぎつつ、エリカに向け声を上げる。


「どうして……どうして殺そうとするのさ!」


 間違いなく今回のハプニングはルトの失態である。が、だからと言って突然目の色を変え殺そうとするのはあまりにも理解不能であった。

 ルト自身エリカの事を心優しい少女であると認識しているからこそ尚更である。


 ルトの言葉を受け、エリカはグッと歯を食いしばった後激昂する。


「どうして? 私の顔を見ておいてよくそんな事が言えるわね!」


「顔……?」


 てっきり全裸姿を見られたから攻撃してきたと思っていたのだが、どうやら違うようだ。


 ルトはエリカの言葉に眉を潜めつつ、チラとエリカの姿を目に収める。


 幾つもの感情が入り混じった複雑な表情で染まった、神々しさすらも感じられる、美しくも可愛らしい容貌。


 しかしそれを目にしても、殺そうとする理由は一切わからない。


「……エリカを見ても、その、綺麗って事しかわからないよ!」


「…………ッ!」


 ルトの声を受け、動揺を見せながらエリカの動きが止まる。応じて主の心の動きを感じ取ったコロも攻撃の手を緩めると、一度後退し、エリカへと視線を向ける。


 エリカが俯きながらふるふると震える。


「き……れい? ……ッ! そんな言葉に騙されないわ!どうせ内心では気持ち悪いと思っているのでしょう!?」


 言いようのない違和感を心の内に覚えながら、最早止まれないエリカは声を荒げる。


「そんな事思わない! エリカは凄く綺麗だよ! それなのに何でそんなに悲観するんだ!」


「な、なら言ってみなさいよ! 私のどこが綺麗なのか!」


 動揺をありありと見せながら、エリカはルトへと視線を向ける。

 エリカの声に、勢いというのもあるのだろう、普段は奥手なルトがハッキリと、


「サラサラした黒髪とか、ぱっちりとした瞳とか、真っ白で滑らかな肌とか! 挙げたらキリがないよ!」


「…………」


 そう言い切ったルトを、そのぱっちりとした瞳を更に大きく見開きながら、呆然と見つめる。

 そして、恐る恐るといった様相で、殺意を徐々に軟化させながらポツリと言葉を漏らす。


「……み、見えているの? 私の、私の本当の容姿が」


「本当が何かはわからないけど、少なくとも僕の目には黒髪の可愛い女の子がうつってるよ」


 先程あれ程言い切ったと言うのに、落ち着いてからは恥ずかしくなってしまったのか、ルトは頬を赤らめ視線を少しずらした。


「…………」


 動きを止め、目を見開き呆然としたままのエリカ。次第にその瞳は今まで以上にウルウルと潤み出し……。


 遂に大粒の涙が零れ落ちたのと同時に、エリカはルトに走り寄ると、ぎゅっと抱きついた。


「エ、エリカ!? 」


 突然飛びついてきた事に驚き、アワアワとするルト。

 しかし、あれ程大人っぽいと感じていたエリカが、自身の服に顔を埋め、まるで幼子の様に声を上げて泣いている事から、何かしら事情がある事を察し、真剣な面持ちとなる。

 そして、泣きじゃくるエリカの頭を優しく撫でてあげながら、彼女が落ち着くのをじっと待った。

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