3章 第10話 朗色帰路、薄曇り

 トレニアが陰で1人嘆く中、しかしそれを知らないルトとエリカは買い物を済ませると、ホクホク顔で店の外へと出た。


「また沢山買っちゃった……」


「……ずるいわよ、あの品揃えは」


 両の手に沢山の購入品を抱えながら、2人は想像以上の出費に、そしてその出費の原因であるアスチルーベ商会の品数の多さと質の高さに喜色の混じった文句とも呼べない言葉を口にする。


「……にしても、もうこんな時間か」


「早いわね」


 辺りを見回すと、周囲の建物が橙色に染まっている。

 比較的日照時間が長いこの時期。夕日に染まるという事は、それだけでかなりの時間が経過している事を表している。


「今日はもう解散とするか」


「……ええ、そうね」


 一瞬の間の後、エリカが頷く。


 ルトは謎の間に首を傾げつつ言葉を続けた。


「森まで送るよ」


 恐らくエリカが街を出る頃には日も暮れてしまう。

 となれば、このままでは暗闇の中、魔物が跋扈する草原を1人歩かなければならなくなる。


 本来ならば、街に宿を取るなりした方が安全であるし、そちらを提案した方が良いのかもしれない。

 しかし、以前の会話を思い出し、恐らくエリカは拒否すると考え、ならばせめてもと、ルトは森まで送るという提案をしたのである。


 そんなルトの提案を受け、エリカはうんと頭を悩ませる。


 と言うのも、以前ルトに口頭で伝えたように、エリカには優秀な護衛がいるのだ。

 更に言うのならば護衛は夜目が利く為、例え暗闇の中であっても特に危険に遭う心配は無い。


 だからこそ、本来ならば送ってもらう必要はないのである。


 しかし──。


 エリカは今日一日の出来事を思い出し、そして思う。


 ──楽しかった……と。


 呪いを受けて以降、フードを目深に被り、人と会話をした事は何度もある。

 しかしその時抱く感情に、決して楽しさなんてものは無く、あるのは警戒心と猜疑心だけであった。


 しかし、ルト相手だとどうか。


 確かにフードの下を見られたら……だとか、色々考えてしまったり、多少の警戒心を抱く事はある。

 が、そんな警戒心よりも、エリカの心を支配するのは、楽しさや暖かさといった、ここ数年では感じた事のない感情であった。


 何故ルトだけそうなのかはわからない。


 旧知の友であるならまだしも、未だ3度しか顔を合わせていない少年だ。


 それも特別何かがある訳ではない、ごく普通の──。


 ……人柄が良かったから? いや、人柄が良さそうな人なんて今までも居た。


 エリカは考える。しかし理由はわからない。


 ……容姿が、好み……だったから? いえ、確かに可愛らしいとは思うけれども、だからと言って特別な感情を抱く程では無いわ。


 エリカは考える。しかし、


 ならば……何故?


 考えても答えが出る事はなかった。


 ……が、ただ1つだけ。この時エリカが抱いていた感情がある。


 それは……もう少しだけルトと一緒に居たい。楽しさや暖かさを感じたいというもので。


 そんな名残惜しさからか。エリカは一度うんと頷くと、フードの下、誰も気づく事の出来ない柔らかい微笑みで、


「お願いするわ」


 とルトに伝えた。


 ◇


 すっかり日も陰り、周囲を暗闇と静寂が支配する中、2人はエリカの住処へ向かうべく、草原を歩いていた。


 この日の空模様はそれ程よろしく無く、本来ならば美しく輝いている筈の月や星達が隠れてしまっている。

 その為か、人工光の無い草原がより一層闇に染まっているのだが、ルトが常備している光を発する魔道具や、エリカが唱えた光の生活魔法──基本纏術師は魔法が使えない為、ここでエリカが魔術師だとルトは悟った──の光により、これといった問題も無く目的地へと向かえていた。


 と。常時周囲を警戒しつつ、時折会話を挟みながら歩いていた2人であったが、ここでルトがちらとエリカの方へと視線を向けた後、小さく口を開いた。


「エリカ、今日はどうだった?」


「楽しかったわ。……人探しの事をすっかり忘れてしまう位には」


 言って、自身に対する呆れを多少滲ませながら声を上げる。


 そう。本来はエリカの尋ね人の捜索が目的だった筈なのだが、街を行くのがあまりに楽しかったからか、後半はその事が頭からすっかり抜けてしまっていた。


 ルト自身もすっかり意識の片隅へとやってしまっていたようで、


「あ……そうだった」


 と、目を見開き、間抜けな声を上げる。


「……ぷっ」


 その声を聞き、立ち止まり思わず吹き出すエリカ。


 ──仕方ないだろう。


 今まであんなに肩肘を張って、死に物狂いで捜索していたというのに、なのに、“楽しい“という感情1つでそれを忘れてしまうなんて。


 自身があまりにも単純で、今までどれだけ喜楽の感情を欲していたのかがわかってしまい……つい笑ってしまうのである。


 そんな肩の力が抜けた笑い声を上げるエリカにつられ、ルトも笑う。


 こうして2人は顔を合わせながら──と言っても相変わらずエリカの顔はフードに隠れ見えないのだが──少しの間笑い、そしてそれも収まった辺りで、エリカが今までよりも幾分か柔らかくなった声音で、


「ねぇ、ルト」


「……ん?」


「──また今度一緒に街を歩いてくれないかしら」


 最後に『行動を共にしよう』と、自ら提案したのは一体いつだったか。

 どちらにせよ、呪いに掛かってからは初となるエリカの言葉に、ルトは満面の笑みで頷く。


「もちろん! っていうか、人探しに付き合うんだ。尋ね人が見つかるまで嫌でも一緒に行動してもらうよ?」


 ルトのからかうような声に、エリカはもう一度笑うと、


「ふふっ、そうね。またよろしく頼むわ」


 と言った。


 ……その後、肩と肩の距離がほんの少しだけ縮まったまま歩く事数分、特にこれといって問題が発生する事も無く、2人は目的地であるエリカの住処の前へと到着した。


 と、同時にグッと口を紡いだエリカが1人一歩二歩と歩を進め、くるりと向きを変える。

 そうして、ルトと向き合う形になると、後ろ手を組んだ状態で、


「態々、送ってくれてありがとう。楽しかったわ」


「僕も楽しかったよ」


 すかさず笑顔で言葉を返すルト。

 それを受け、エリカはフードの下微笑むと、名残惜しいのか一瞬の間の後、


「じゃあね、ルト」


 言って小さく手を振る。


 そのエリカの振る舞いに、ルトはどこか儚さを感じながら、こちらもまた多少の離愁を滲ませた表情を浮かべると、


「うん。またね、エリカ」


 と言う。

 そして数瞬の後、くるりと向きを変えると、月や星々の隠れる薄曇りの夜空の下、ゆっくりとした歩幅で街明かりのある方へと歩いていった。



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次回から、大きく話が動きます。お楽しみに。


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