第17話

「お母さん!お願い、あの人形欲しい」


良い子で居た。

出来るだけ良い子で居た。

そうでないといけない気がしたから。

一生懸命言われる通りにした。


でも周りはみんな、「あれ欲しい!」「これ欲しい!」と親に我儘を言っていた。

姉もやっぱり「あれ欲しい」「これ欲しい」と親に強請って我儘を言っていた。

もしかしたら、私にも許されるのかも知れない。

3歳の私はそう思ったのだ。


別にそれが特別に欲しい人形ではなかった。

別に欲しいモノでもなかったから、言わなくても良かった。

だけど、その場所で、隣であの人形欲しいと駄々を捏ねている子がいたから。

何だか私も言ってみていいのかなと思った。



「ん?お姉ちゃん、あのおもちゃが欲しいの?」

「ねぇ、お母さん!」

「小春、ここで待ってなさい」

「お母さん!」

「さぁ、お姉ちゃん行きましょう」

「お母さん!!」



いくら呼んでも振り向かない母親。

遠ざかっていく母の背。

こうなることは解ってた。

解ってた。


だけど、その時は何故だか止められなくて、大声で泣いた。

そうすれば、母はこちらを向いてくれるかもしれない。

幼い心は僅かながらにそう思ったのだ。


だけど、涙で滲んだその目には、母は背を向けたままだった。


「みっともない」


そう一言残して、母と姉の背は消えていった。

それはいつしか幾人もの人の姿へと変わる。


「また小春がやったの?」

「小春、嘘つかないでちゃんといいなさい!」

「どうせ小春でしょ?」

「違う・・・」

「嘘つき!」

「悪いとも思ってないの?最低だね」

「ちが・・お姉ちゃんが・・」

「またお姉ちゃんのせいにしてる!」

「なんでいつも小春はそうなの?」

「ちが――――」


逃げようとした先に父と母を見つける。

抱きつこうと、走ろうとしたその足を止める。


目の前で姉が泣いている。

それを優しく抱きしめる父と母。


「違う、それは姉が―――」


諫める眼差しで見る父と母。


「要らないことはしなくていい、あなたはただ言う通りにしていなさい」

「どうせ碌なことをしないのだから」


攻める沢山の目が小春を睨みつける。


「ごめ・・ごめんなさい・・ごめ・・・もう何も言わないから・・言わないから・・・許して・・・ちゃんと言う通りにするから・・・」


怖い、怖い、怖い、怖い、怖い、怖い、怖い、怖い


突き刺さるその目線が、


怖い、怖い、怖い、怖い、怖い、怖い、怖い、怖い


嫌な顔をしたら嫌われる・・笑わなきゃ・・、相手が望むこと探さなきゃ・・・


嫌われる嫌われる呆れられる怒られる見捨てられるミステラレル――――


嫌だ。


怖い、怖い、怖い、怖い、怖い、怖い、怖い、怖い、怖い、怖い、怖い、怖い、怖い、怖い、怖い、怖い、怖い、怖い、怖い、怖い、怖い、怖い、怖い、怖い






誰か―――― 私を――――――







目の前が真っ暗になる。

だけど、そこは温かくて落ち着いて・・・


「この感覚・・ どこだったっけ・・・?」


でもそれはどうでもいいと思った。

今までの恐怖から解放され、やっと得た温かな場所だったから。

目を閉じる。


「温かい・・・」








「・・・・っ」


夢から覚める感覚。

ゆっくりと瞼を開けた先も真っ暗で。

まだ夢の中に居るのだろうか?

そう思った小春の暗闇は直に明るくなった。


「小春っ――――」


ギュッと抱きしめられる。

その腕が微かに震えている。

一瞬戸惑うもそれがクラウスのモノである事はすぐに気づいた。

少し苦しいが、何の夢を見たかは忘れてしまったが、今、それが「自分の欲しいモノ」の気がして抱きしめらるまま身動きをしなかった。少しでも動いてその動作を辞められるのが嫌だった。


そんな小春の目の端に黒ふわ達もわやわやと騒ぐ様子が映った。

寝室に黒ふわ達全員が揃っているって珍しいなとボンヤリと眺めた。


抱きしめていた腕が緩む。


「気分は・・気分はどうだ?体の具合は?」


心配そうに顔を覗き込むクラウス。

そこで漸く、自分が置かれている立場を思い出した。


「そか・・私、噛まれて・・・」


最後にぼやけた景色で見た長いモノ、あれに噛まれたんだと思ったことを思い出す。


「ああ、毒蛇に――― 、私の油断だ、すまない」


あれは「毒蛇だったんだ」と知り、道理で頭も未だふらふらしてボーっとするし、身体に力が入りにくい。毒が回ったせいなのかもしれない。

そう思うも、心配そうなクラウスに虚勢を張り、問題ないように顔を上げる。


「い、いえ、クラウスが謝ることは・・・ あの、大丈夫ですから」


小春は安心させるようにニッコリと笑った。


「いや、今まで館内まで嫌がらせが来る事はなかったため油断した、私の落ち度だ」

「?」


(まただ・・・)


この館に来た夜、クラウスはあの物凄い雷を「嫌がらせ」と表現した。

今もまた、この毒蛇を「嫌がらせ」と表現する。


一体誰に?


(聞いていいのかな?・・・まずいのかな?)


あの時も聞けずにいた。

相手の領域に踏み入れることは、嫌がることの可能性が高い。

だから聞かないでいた。

そんなに長くここに居るつもりもなかったから、それでもまぁいいかと気にしないようにしていた。


「・・・っ」


頭がふら付く。

まだ眩暈も感じる。


(これって私を狙ったの? クラウスを?)


確認しないと解らない、けど、確認して嫌がられるのが怖い。

でも、知らないと、ずっと不安なままだ。


(どうしよう・・・聞いていいのかな・・・)


「どうした? やはり、気分が悪いか?」

「・・・・」


気分は確かに最悪だ。

だけど、これだけ長居している上に、さらに迷惑を掛けてしまっている。

これ以上迷惑を掛けたら、嫌がられるのではと怯え、小春はまた笑みを作った。


「大丈夫です、・・・っっ!!」


そう言って顔を上げるとクラウスの後ろに「長いモノ」が目に入る。

また蛇かと思わず体を強張らしたら、酷い眩暈に襲われた。


「おいっ」


力なくクラウスの胸の中に倒れ込む。

「す、すみません」

何とか、クラウスの胸に手をつき、ちらっと後ろを見る。

そこにはカーテンの紐がぶら下がっていた。


(なんだ・・ビックリした・・・)


はぁ―――っと長い息を吐く。


(ダメだ・・このままじゃ・・、やっぱり聞こう・・・)


意味も解らず恐怖しているのと、知って恐怖しているのでは随分と違う。

意味も解らないままだと、全てが恐怖に見えてしまう。

このままでは神経が持たない。

怖い、けど、今のままだともっと危険で怖い気がした。

そう思った小春は、勇気を振り絞って口を開いた。


「あの・・・」

「?」

「話したくないとか、話せないとか・・そのだったら別にいいんですが・・」

「何が聞きたい?」

「その・・『嫌がらせ』って・・誰に?」

「・・・」


一瞬の間が怖かった。


「いえ、その、いいんです、えと、その気にしていませんから」


急いで繕う言葉を並べ立てる。

そんな小春の頭に温かく重いものが圧し掛かる。

それがクラウスの手だとすぐに気づいた。


「かまわない、お前には聞く権利がある」

「・・・」

「別に隠していたわけでもない、言う必要もないかと言っていなかっただけだ」


クラウスの言葉にホッと胸を撫でおろす。


「私は、お前と同じ、この世界のモノではない、『魔界』から来た」

「・・・」


その言葉に驚くことはなかった、容姿全てが自分が想像する魔物そのモノだったから。小春は黙って頷く。


「よくある話、その魔界での権力争いの結果、油断した隙をつかれ、この世界に飛ばされたのだ」

「・・・・その権力争いの相手が?」

「ああ、100年前の話だが、力もかなり封じられてしまったが、それでもこの力が余程恐ろしいのだろう」

「100年も・・・?!未だに嫌がらせを?」


クラウスが頷く。

100年、人間にしたら生まれてから死ぬまで嫌がらせを受けていたということになる。

それは途方もなく長く小春には感じられた。

それとまた同時に、一つの疑問が浮かび上がる。

街に行って解ったクラウスの姿はこの世界では驚異の容姿ということ。

あれだけ恐怖に慄くようなモノに誰も近づかないであろうことは容易に想像がつく。

それに、この森深くにクラウスの館はあった。

黒ふわ君たちが居るものの、彼らは喋らない。

ということは、話し相手も誰も居ず100年過ごしてきたということだ。

そう考えると、クラウスが出会った時から自分を離さないのが何となくわかった気がした。

クラウスの腕の中は安全な場所ではあるが、最初から腕の中に入れる必要はない。

クラウスは自分を抱くとき体を浮かす。そう相手を自分の腕に閉じ込める必要がないのだ。

それなのに最初から腕に閉じ込めた。

100年独りで過ごしてきたのだ、まともに話してくれる相手を逃がしたくないと思うのは当然のこと。

しかも、その100年ずっと嫌がらせを受け続けてきたなんて、どれだけの苦痛を感じていただろうか・・?



「今までは雷での睡眠妨害や、森に住む魔物を狂暴化させて館に襲わせたり、外からの嫌がらせしかしてこなかった、それぐらいならその時にシールドを張れば済む話だから問題はなかったが・・、・・・館の中に潜り込ませるなど、今まではなかった」


悔しそうにクラウスの手がシーツを握りしめる。


「また、私の油断だ・・・」

「あの、その毒蛇って、たまたま館に入ってきたとかって・・?」

「それはない、あの忌まわしい女の術が駆けられていた」

「!」


(忌まわしい女・・相手は女性?)


「でも・・どうして、急に館の中に?」

「お前に気づいたからだろう」

「私に?」

「魔界から追放されたとき、私の周りの信頼できる従者とも全て引き離された」

「っ・・・」



魔界にはクラウスの周りに信頼できる仲間が居たのだ。

それをも引き剥がし、違う世界に放り出して、独りぼっちにし、さらには嫌がらせを100年したということかと思うと、その相手の女性の執念深さに怒りと呆れる気持ちが同時に胸を占拠した。



「誰かが私の傍に居るのが許せないのだろう」



(だから、クラウスを独りぼっちにするために、苦痛を味合わせるために、一緒に居るものを狙ったっていうの?)


さらに許せない思いが沸々と沸き起こる。


(だから私を・・)


そこで、ハタっと思考が止まる。


(私を・・・?クラウスの傍に居ることを許せない・・ってことは・・)


「・・・狙われているのは私?」

「すまない」


謝罪が答えを出していた。


(そんな・・・)


「この館内も今はしっかりとシールドを張っている、だから心配はいらない」


心配いらないと言われても、本当に大丈夫かなんて保証はどこにもない。

ここに居てはずっと狙われ続けてしまうのだ。


その女性には怒りを感じる。

独りぼっちで孤独に耐え100年過ごしてきたクラウスにも同情を覚える。

できれば、傍にいてあげたいとも思う。


でも、ここにいると自分は狙われ続け、いずれ殺されるかもしれない。

その女性は、クラウスの傍に誰かが居ることが許せないのだから。

じゃ、逆だったら?


(もし、私がここから出て行ったら?一緒に居なければ狙われない?)




「ここから、出て行きたいか?」




小春の胸の内を見透かしたように、クラウスが告げた。

言葉に詰まる。

もし、ここを出て行ったら狙われないのなら、


(出て行くべき?・・いえ、それではクラウスが・・・)


ドクドクドク・・・

心臓が大きく脈打つ。

答えないとと思うのに答えが出ない。

正解は解っている。

『ここに居ます』と一言、言えば言い。

それが『クラウスの望む答え』で『正解の答え』だ。


でも、怖い。

逃げ出したい。


―――― 何て自分は非道なんだろう。

―――― 自分の保身を思ってしまうなんて。



ドクドクドク・・・

心臓が大きく脈打つ。

その音を強く耳で感じたとき、強い眩暈を感じた。

辺りが真っ白になっていく。


(どうすれば・・・)

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