第11話

あれから幾日が経っただろうか。

「ふぁあぁ~」

クラウスの膝の上で大きな欠伸をする。


世話を掛け過ぎ状態だから、ここを出て、住み込みで働きながら文字を教えて欲しいと何度も言ったが、「問題ない」とか「傷が癒えるまで」とか言われて、申し訳ないと思いながらも、どっぷり甘えていた。

結局あれから、クラウスの部屋でクラウスの腕の中で寝る毎日。

移動もクラウスの腕の中。

食事もクラウスに食べさせてもらっている。

もちろん、お風呂とか、クラウスの用事の時は、その腕の中から解放され、自由に動いてはいるが、クラウスの膝の上はもう既に自分の席の様に居座っていた。


「ふぅ・・・」

パタンと絵本を閉じる。

「読み終わったのか?」

「はい、何とか読めました…」

文字を教えてもらって、簡単な単語も幾つか覚えた。

練習のためと与えられた絵本を、四苦八苦しながらも何とか読み終え疲れ切った体をクラウスの胸に凭れ掛ける。


(字数の少ない絵本でさえ、読むのに何時間掛ったんだろ・・・疲れたぁ・・・)


集中して読んでいたためか目がしばしばする。

目を閉じると疲れからか、強烈な眠気が襲ってくる。

「・・・・」

クラウスの視線を感じるも、それももう慣れてきた小春は、強烈な眠気に引っ張られた。

ふわっと、何か体に掛かる。

眠気眼に黒ふわ魔物が目に映る。


(ああ・・毛布掛けてくれたんだ・・・)


お礼を言わないとと思うも、既に口を開くのもまどろっこしい。

「ん・・・あり・・・と・・」

それでも何とか、礼を口に出すと、やることを終えたためか意識が消えた。




”・・・・寝ちゃった・・よね?”

”ああ、寝たな”

”完全に寝ていますね”

”・・・大したものだな”


黒ふわ4が少し呆れたような感心したような眼差しで呑気に眠る小春を見る。


”あの時はどうなるかと思いましたが・・・”


この部屋で小春を傷つけてしまったクラウスが、あれだけ抱いて離さなかった小春を離したあの出来事。


”明かに小春は怯えていたから、流石にもう無理かと思ったが・・・”

”まさかね~、小春自らクラウス様の胸の中に居ることを望むなんてね~・・未だ信じられないよ”


小刻みに恐怖に震えていた小春に絶望を抱いたあの瞬間を思い出す。

まさか、震え恐怖していた小春が、クラウスの前に回り込むなど予想だにしていなかった。


”それが今じゃ、クラウス様の膝の上で大きな欠伸をし、寛いで寝てしまうとはな…”

”私には理解の域を超えている”


レオナールが頭を抱えるように、黒く丸い体を左右に揺さぶる。


”まぁ、ここまでは順調、と、言えるでしょう”


コホンとセシルが一つ咳払いをする。


”ですが、まだ、安心はできません。事ある毎に小春様は『住み込みで働ける場所』と口にしているのです、油断はなりません”

”まぁ、クラウス様が適当にあしらってくれているからいいけれどね‥”

”ええ、それに私たちも小春様にいますから、『傷が癒えるまで』の条件もクリアしています”

”だけど、流石にそろそろ無理があるだろう?既にもう傷は治ってるし、ずっと包帯巻かせたままにもいかねーし”

”そこです”


ビシッとセシルが言い放つ。


”これは全員意見が一致していると思いますが、小春様は間違いなく今のクラウス様には必要な存在です”


セシルの言葉に頷くように黒く丸い体を上下に揺らす。


”問題は、新たにいけません”


神妙な口調でセシルが議案を提示した。


”だよね~、でないといずれ出て行っちゃうかもね~”

マークの呑気な言葉に、ぐっと喉を詰まらせる3匹。


”・・・いっそ、もう一度怪我を負わせるか?”


エヴァの言葉に全員の表情が魔物らしい表情へと変わる。


”確かに、それが一番楽な提案だ”

”なら、ちょっと苛めていい?僕のいじめから傷つくならクラウス様が傷つける必要ないでしょ?”

”その前に、お前が消されるぞ”

”げっ、それはヤダな~・・”

”ですが、それはとてもいい案です”

”え、でも傷つけたと知ったら、クラウス様に消されちゃうよ?”

”いや、クラウス様に見つからずに小春の事故と見せかければ問題ないだろう”

”あ、そうか!”


既に傷つける前提の話になっている事などつゆ知らず、呑気にクラウスの腕の中で眠りこける小春。


”良い案ではありますが、それも2、3度まででしょう”


セシルが付け足すように言う。

そして神妙な面持ちで続けた。


”この2、3度傷つけ治るまでの間に、新たな案を講じなくてはいけません”


3匹が頷く。

呑気に眠る小春を魔物らしい表情を浮かべながら見つめた。





そんな黒ふわ4とは対照的に、自分の腕の中で安心しきったように眠る小春を呆然と見つめるクラウスの姿がそこにあった。


(これが、可愛いと言うのだろうな・・・)


魔族の世界は基本、弱肉強食だ。

常に、我が強者だと言わんばかりに戦を好む。

また、騙された方が負けの世界であり、騙した方が勝ちの世界でもあった。

女だろうと、自分が女である事を武器に騙し、自分が強者で勝ち組であろうとする。

それが当たり前で、クラウス自身も、強大な力を示すがの如く、猛威をふるい続けてきた。

もちろん、魔族でも色んな性質の魔物がいる。

全てが戦を好むわけでも、強者や勝ち組であろうとするものばかりではない。

だが、魔族の世界は基本、弱者が強者に従う。

だから魔族は強いものに憧れ、より強いものに従う。

クラウスの周りは特にそういう魔族ばかりであった。

そう、人間のようなものは魔族からすると下等の生き物。

人間を食す魔物以外には、そこに何の価値も意味も持たない。

そのため全く持って興味もなかった。


そんな世界に生きてきたクラウスが、100年の孤独の生活の日々に見出した唯一の楽しみが、本だった。

100年、本に読みふける毎日。

その本の内容はクラウスには新鮮で、クラウスの中には全くなかった世界観の物語。

その中の一つとしてあるのが、弱い者に対して『可愛い』などと思う事などクラウスには皆無だったため、今まで意味を理解できなかった。


自分の腕の中で安心しきって眠る小春を見つめる。

それが何とも言えない思いが沸き起こる。

そして、それが本の中の『可愛い』に値するのではないかとクラウスは感じていた。


今の封じ込められた自分の力でさえ、きっと意図も簡単に小春を消し去ることは出来るだろう。

肩に触れただけで傷つく、酷く弱い人間の女だ。

昔の自分なら、それは『虫けら以下』だったに違いない。


「ん・・・ も、食べられな・・ぃ・・・・」


呑気な小春の寝言に何故だか心がポッと温かくなった気がした。

この世界に飛ばされ100年。

この悍ましい姿に、幾度か出会ったモノたちは、出会った瞬間に逃げ出した。

自分自身もこの醜く悍ましい姿を見るに堪えず、鏡の前に100年立つことはなかった。


「んぁ・・・でも、その肉・・ほし・・・」


どんな夢を見ているか想像は容易く、普通なら呆れる所だろう。

なのに、それすらポッと心が温かくなる。

呑気に寝ぼけて胸に縋りつく小春の髪を傷つけないようにそっと撫ぜる。


この醜く悍ましい姿なのに関わらず、小春は逃げなかった。

それどころか、自分の腕の中を望んだ。

未だ信じられず戸惑いを感じていた。

それは、醜く悍ましい姿でも、人間にとって十分な程の力を持つ強者だからでもない。

現に、何度も怯え震え、恐怖に慄いた表情を見ていた。

でも、小春はこの腕の中に居ることを望んだのだ。


(私自身を受け入れているということか・・・?)


小春を傷つけないように撫ぜる手に力が籠る。


「この感情は何だ?」


何とも言えない不安定な充実感。

嬉しい気持ちと温かい気持ちと、それとは真逆の恐怖に怯える気持ちと不安な気持ち。

相反する思いが入れ混じった感情。

小春と出会ってから、自分の中にない感情が次々と湧き上がある。

その感情をどう処理していけばいいかが解らない。




『こ、ココ!!ココなら大丈夫です!!』




あの時、ハッキリと指さした自分の胸。

あの時から、何かが自分の中に生まれた。

その正体は解らない。

きっと今、いくら考えたところで解ることはないだろう。

生まれて初めての感情なのだから。



いつか、解る日がくるのだろうか・・・?



小春の髪をそっと掬い、指の間から零れ落ちる髪を眺めた。

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