第10話

(まぁ・・・、もういいんだけど・・・)


昨日に引き続き、相変わらず抱っこされた形で長い廊下を歩いていた。

この位置なら、クラウスの体から生えている刺々しいものには触れないから危害はない。

多少は恥ずかしい気持ちはまだあるが、これだけ抱っこされていると慣れても来た。

だから、『降ろして』など抗議する気もかなり薄れた。あきらめにも似た感情でもあった。


(どうせ、私には言えないしなぁ~)


相手が嫌がることや、自分が嫌われることが極端に怖い小春にとって、これはもはや開き直るしかないという心境になっていた。


(害はないわけだし・・・ま、いっか)


気づかれないように小さくため息を吐く。


(しかし、結構、館の奥に来たような?何処に行くんだろう?)


長い廊下を幾つか曲がり、館の奥の方まで来たクラウスの足が、ある扉の前で止まる。


「ここは・・・?」


扉が静かに開かれていく。


「!」


小春の目の前にたくさんの本が飛び込んできた。

「すごい・・・」

図書館張りにたくさんの本が本棚に並ぶ。

本が大好き人間の小春は目をキラキラと輝かせた。


「ね、ね、何か読んでもいいですか?」


食い気味にクラウスに聞く小春。

そんな様子の小春に少し戸惑う表情を見せながら頷いた。


「ここにある本、どれでも好きに読むといい」

「本当?ありがとうございます!」


クラウスが本棚へと小春を連れていく。


「すごい、たくさん… ‥‥うっ」


キラキラ目で本棚を覗き込んだ小春の目が点になる。


「ううう‥‥、異世界に来ても字が読めるというチート設定は流石になかったか…」


(自分に何を期待した!何を!・・・くぅぅぅ)


ダラダラと涙がこぼれ落ちる。


「どうした?」

「読めません・・その、字が・・・」


クラウスの腕の中で項垂れる。


(こんなにも沢山の本があるというのに!しかも異世界の本だよ!異世界の!読みたいに決まってるじゃん・・・異世界の物語ってどんなのか興味あるじゃん・・・どうして理不尽に生まれてきてしまったんだろう・・私・・・)


理不尽人生で一番悔やんだかもしれない程に、凹む小春。


(はぁ・・・、この中には、どんな物語が・・・)


恨めしそうに見ながら、目の前の一冊の本を指で撫ぞる。


「これが気になるのか?・・・『アリシアの涙』か、確か妖精族の女王が敵対する魔族と恋に陥る話だったか・・・」

「なっっ」


(異世界版のロミオとジュリエットとか?!見たい!物凄く見たい!ああ・・この字が読めたら・・・)


見たことのない字と睨めっこをし、ハタっと何かに気づいたように顔を上げた。


「そか!覚えればいいんだ」

「?」


(そうだ、どうせいつ帰れるかも解らないし、時間はたっぷりあるんだし、それに、覚えたら働いたり生活するのにも助かるし!)


迫る勢いでクラウスを見上げる。


「あの、クラウス、私に字を教えてくれませんか?」

「?」

「ダメですか?」


きっと物凄く気迫に満ちた顔をしているだろう自分が少し恥ずかしくも感じるが、気にしている時ではない。


「構わないが…」


おずおずと答えるクラウスに希望の光が差し込む様を見た気がした。


「うううっっ!ありがとうございます!」

「!」


感激の余り、思わずクラウスに抱きつく。


「ぃてっ」

「大丈夫か?!」


すっかりクラウスの棘を忘れて抱きついたものだから、腕が切れて血が流れ出る。


「す、すみません、ついうっかり…」

「見せろ」


流れ落ちる血をクラウスの舌が撫ぞる。

「っ・・」

痛みに少し顔を顰め体をビクつかせる小春の元に、傷薬のようなモノや、包帯を持って黒ふわ魔物が集まってくる。


「あ、ありがとう」


あっという間に、傷の処理をして包帯がまかれ、小春は手際の良さに感心しながらお礼を言うと、小春の顔を伺うように覗き込んできた。


「?」


その様子にキョトンと黒ふわ魔物を見る。

(怪我しているから心配しているのかな?でも、何かちょっと違う気がする・・・)

一体何が言いたいのだろうと悩んでいると、視界が下がる。


「え?」


すぐに自分が床に降ろされたのだと気づく。


「クラウ…‥」


どうしたんだろうと見上げたクラウスの表情に言葉を失う。

酷く傷ついた顔をしたクラウスがそこに居たから。


「すまない、やはりこの体では近くに居るのは無理か…」


そう呟くと、クラウスが部屋から出ていこうとするので慌てて呼び止めた。


「あ、あの、クラウス何処に・・・?」

「自分の部屋に戻る、ああ、向こうの棚に絵本がある、あれならお前にも読めるだろう」


本棚の方を指さすと背を向け歩き出す。

「!」

クラウスの背や腕の外側から生える刺々しいモノに目を見張る。


(そう言えば、今まで真正面からしか見てなかったっけ・・・)


湯気の様にゆらゆらと蠢く黒い影のようなモノの合間に刺々しい肌が生々しく小春の身体を強張らせ、目を釘付けにした。

正面や膝の上、抱き上げられている状態だと、見える部分は一部分だった。

そこだと、棘がないから怪我もしなかったし、見た目は怖いけど害はなかったので気にしないようにできていた。



『やはりこの体では近くに居るのは無理か…』



クラウスの言葉が頭を木霊する。

確かに、目の前に見えているあの容姿では近くに居るのは無理だ。

怖いし、すぐに傷ついてしまうだろう。


「・・・・」


自分の傷ついた腕をふと見る。そして昨日爪で傷ついた肩にそっと触れる。

初めて出会って、自分を爪で傷つけ慌てふためいたクラウスを思い出す。

その後、宝物を抱くように傷つけないようにそっと抱き上げ館に連れてきたクラウスを。

そして、今また自分を傷つけ、落ち込み、離れようとするクラウスの痛々しい背を見つめた。


「っ・・・」


沈む姿は痛々しくて、何とかしてあげたいと思うも、近づくのも怖いと思う気持ちが邪魔をして言葉が出てこない。

刺々しい背中を改めて見、微かに身震いする。

そう、今までが無事だったのが不思議なくらいだったのだ。

そこで、ふと疑問が浮かび上がった。


「ぁれ・・・ 今までどうして無事だったんだろう?」


確かに最初に会った時は肩を掴まれて傷ついた。

でも今のは自分が不注意に抱きついたから傷ついたのだ。

今、傷つくまでの間、これだけ引っ付いていたのに怪我を負ってないことに気づく。


(どうして・・・?)


今までの状態を思い返す。

出会って今まで自分が見ていたのは、真正面のクラウスと、腕の中から見るクラウスだ。


「!」


そこで気づく。


(ああ‥そうか、真正面を向いたり、抱きかかえるのって…そこがなんだ)


その部分には棘がない。

その中に居れば、怪我をすることはない。

唯一安全な場所だった。


(そか、私がその場所からはみ出てしまったから…)


出ていこうとするクラウスの前の扉が静かに開く。

「・・・・」

”止めないと”と思う。

今理解した、と解っていても、刺々しいその背はやはり怖くて掛ける言葉を躊躇する。

「!」

そんな小春の目の前に心配そうに顔を覗き込む黒ふわ4。

その可愛らしい姿に、強張っていた体がふっと緩む。


(可愛い・・この子達にも心配かけてたんだ・・・私)


落ち着こうと、ふぅ――っと、長い息を吐く。


(そうだった、深く考えたら碌なことがなかったの忘れてた)


ぐっと拳を握る。

そして、大きく息を吸う。


(深く考えるな自分! 今逃したらきっと後悔する!)


ドクドクと脈打つ心臓。


(怖いけど、怖いけど…そこは考えるな!それより、言わないと!!)


奥歯を嚙み締める。


(言うんんだ!!)




「待って!!」




自分の大きな声が部屋に響き渡る。

出ていこうとしていた背がビクッと肩を震わせ立ち止まった。


(言っちゃった・・言っちゃったよ・・・)


自分で止めたにも関わらず、怯え動揺する小春。


(も、もう、言っちゃったから・・止められない・・よね)


「あ、あの・・・」


(何か言わないと、言わないと・・・)


『クラウスの欲しいモノ』

小春は無意識に探していた。

答えを必死に探すが、頭が回らない。

もどかしさに体を揺らすも、次の言葉が出てこない。


「‥‥」


何も言わない小春をしばらく見た後、これ以上は無駄かというようにクラウスはまた背を向けた。


(ヤバいっ出て行っちゃう!)


もう危機感からの咄嗟の行動だった。

小春は駆け出しクラウスの前に回り込む。


「!」


クラウスが驚き小春を見下ろす。


(こ、ここは安全なはず・・棘も無いし・・・)


真正面に回った小春は目の前のクラウスの胸元を見、棘がないことを確認する。


「あの、えと・・そ、そう!字!字!字を教えてくれるって約束しましたよね!」

「・・・・」


一生懸命頭を巡らし出てきた言葉を必死に口にする。


「‥‥ああ、言ったが」

「だったら、今から教えてください!」

「ダメだ、近くに居るとお前を傷つける」

「大丈夫です」

「今、怪我をしただろう?」

「ぅ‥‥」


クラウスの拒絶する瞳に小春の心が恐怖する。



嫌われる、興味なくされる、見捨てられる… 



相手は異世界のしかも怖い容姿の魔物でも、小春の一番の恐怖は相手に嫌われ拒絶されることだ。



(だ・・・だめ・・・このままじゃ)




「こ、ココ!!ココなら大丈夫です!!」





拒絶される恐怖から逃れるために、気づけばクラウスの胸元を指さし叫んでいた。


「!」


そんな小春にクラウスは明かに驚いた表情を見せた。


「・・・今、傷ついた場所も、ココだが?」


少し動揺したのか、途切れ途切れに言うクラウスに小春は必死に首を横に振った。


「さっき、私が首に抱きついたから・・・それが無ければ、傷ついていません」

「!」


クラウスが言葉を失くすのを見、小春は今しかないとたたみ掛けた。


「すみませんでした!次は気を付けます、だから、その、字を教えてくれませんか?」

「・・・・」




―――――― 嫌わないで





シーンと静まり返る室内。

返答が返ってこない。


「・・・・」


小春の体が恐怖に小刻みに震え出す。



(もう・・遅かった?・・・拒絶・・されちゃった?)



自分を何も言葉を発せず見下ろす真紅の瞳が、初めて怖いと感じた。


「あ・・あの・・・」


恐怖に耐えきれず言葉にした瞬間、小春の体がふわりと宙へと浮いた。


「え・・・?」


そのまますっぽりとクラウスの腕の中に納まる。

「!」

「この中から、出ないと誓え」

クラウスの念を押すような声にやっと自分の状況を把握する。


「は、はい!」


少し上擦りながらも返事を返すと真紅の瞳がゆらりと揺れた。

「まずは、基本からだな」

そう言うと、小春を抱いたクラウスはまた室内へと歩む。


(よかった・・・)


元に戻れたことにホッと胸を撫で降ろす。


(やっぱり、ここは落ち着くな…、ん?落ち着いていいの?あれ?どっちがいいんだろ?)


新たな疑問が頭に浮かぶ小春を腕の中に、クラウスの文字の授業が始まった。

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