第8話
(これは…、やっぱり…‥)
目の前に居るクラウスを見る目線が微妙に上下する。
昨日は自分が思っている以上に疲れていたのか、ぐっすり寝てしまい、起きれば昼頃で、クラウスは既に隣には居なかった。
更に、昨日見たお姫様の部屋のような豪華な部屋ではないが、ダークで落ち着いた高価な部屋のベットに寝ていたことに起きてから気づいた。多分おそらくクラウスの部屋だろう。あの凄まじい雷に怖がったから自分の部屋に連れて行ってくれたのだろうというのまでは理解できる。
(うーん… どうしよう‥‥)
困ったように、もう一度目の前のクラウスを見、目線を少し上下させる。
用意されていた服に着替え、黒ふわ君に連れられて食堂らしき場所に連れて来られたまではいい。
クラウスが先に居て「起きたのか」と聞かれて、「遅くまで寝てしまって、すみません」と謝ったまでもいい。
昨日は夜だったからそこまでハッキリ見えなかったが、昼間のクラウスは更に人とは言い難い、恐ろしい魔獣のような姿で一瞬恐怖に怯えたけれど、今までの行動を思い返して怖い人ではないと自分に言い聞かせた…までもいい。
そんな自分に、「すぐに食事を用意する」と言われたまでもいい。
(やっぱり、そういうことなのかな…?)
美味しい匂いが漂ってくる。
黒ふわ君とは違いデカめの魔物達が食事を運んでくる。
持ってこられた料理がクラウスの前に置かれていく。
「何をしている?」
問題は、だ。
『椅子に勧められていない』のだ。
そして、小春の方に体を向けるクラウス。
小春の目線はクラウスの顔と膝を何度も繰り返し上下していた。
(間違っていない…よね?)
料理がクラウスの前に置かれたのだ。
食事を勧められたその料理が。
「あの…、私はどこに座れば‥‥」
おずおずと口にする小春。
まさかとは思うけれどと思いつつも、口にせずにはいられなかった。
「こちらへ」
クラウスの差し出された手に、間違えてなかったのだと確信に変わった。
(やっぱり…)
クラウスの膝に座れという事かと、正解であって欲しくなかったなと小春は心でため息をつく。
「あの、自分で…座れますよ?」
「嫌か?」
少し不安気な瞳が、小春の”良心”と”嫌われたくない”と思う心を揺り動かす。
だけど、やっぱり恥ずかしいものは恥ずかしいし、”怖い”ものは”怖い”。
『怖い』はともかく、『恥ずかしい』とまた、ハッキリ言うべきかどうか迷う。
昨日のお風呂でのしょぼくれたクラウスを見てしまったから、また悲しませてしまうかもしれない、傷つけさせてしまうかもしれないと思うと、怖くて言えない。
どう答えればいいか解らず、押し黙り佇んでしまっていると、クラウスの手が力なく降りた。
「やはり、ダメか…、少し期待したのだが…」
あまりにしょぼんとするクラウスに心が痛む。
昨日のお風呂でも見たしょぼくれた姿を思い出す。
クラウスを繰り返し悲しませているのが、またクラウスの期待を繰り返し裏切っているのかと思うと小春は居た堪れない気持ちに苛まれた。
(恥ずかしいし、怖い…けど、膝に座って食事ぐらいなら… ま、いっか)
昨日だってクラウスの腕の中で眠って何もなかったと自分に言い聞かす。
勇気を振り絞って一歩、また一歩とクラウスに近づく。
近づけば近づくほど、クラウスから生えている鋭い棘が怪しく艶めきを見せ背中に冷や汗が流れ出る。
(見ちゃだめだ・・怖くなる・・・膝、膝だけを見ていよう・・・)
目線をクラウスの膝に集中させる、今度はここに座るのかと思うと羞恥心が心を占領する。
恥ずかしさが顔を真っ赤にさせる。
そして、煩い心臓を押さえながらも、やっとの思いでクラウスの傍まで凄く長い道のりのように感じながらも足を歩ませた。
「小春?」
「わ、わきゃ…解りましたから…、そ、その…すにゃ…、ちが、座って…いい…ですか?」
あまりの恐怖と恥ずかしさと緊張から、言葉噛み噛みで訪ねた小春にクラウスの表情がパッと明らむ。
「もちろん」
小春をふわっと抱き上げ自分の膝に座らせる。
「さぁ、どれがいい?」
今までのトーンより少し明るい声色でクラウスが訪ねるが、小春は思わずきょとんとする。
「え?」
「どれが食べたい?」
すっかり膝に座ることが目的と化していた小春。
一番は食事をする事だったと思い出す。
改めて用意された料理を見る。
目の前に並べられた料理は、見た目にもとても美味しそうだった。
(魔物でも人の料理と変わらないんだ‥‥よかった)
魔物の用意する料理ということで、少し心配はしていたが普通においしそうな料理に心の中でホッとため息をつく。
そして、改めて料理を見てみると、メインであるお肉は、すごく柔らかそうで、それでいて肉汁を垂れ流し香しい良い匂いを漂わせていた。
思わず小春はゴクリと喉を鳴らす。
「このお肉…柔らかそう…」
「肉か」
クラウスがスッと腕を伸ばしフォークとナイフを手に取る。
「!」
明るい所で見るクラウスの手はやはり不気味で一瞬怖さに身体を強張らせる。
だけど、あの長い爪があるというのに器用にそれでいて上品にフォークとナイフを扱う様に恐怖はいつのまにか感心に変わっていた。
慣れた手つきで小さく肉を切り割く。そこからも肉汁が溢れ出して思わずもう一度ゴクリと唾を飲み込む。途端、
グゥゥー・・・・
「!」
自分のお腹が鳴り、赤面して顔をバっと俯かせた。
(そういえば、昨日の夜、カップラーメン食べただけで、そこから何も食べてなかったっけ…)
昨日食べた寂しい夕食を思い出す。
(そか… 昨日までは普通の生活してたんだ‥‥ でも今、ここは現実で…)
目覚めた時、一瞬どこか解らなかった。
だけど、すぐに思い出した。
ここが異世界だと思い出し、本の物語の主人公の様にもっと落ち込むかと思ったけれど、意外とそうでもなかった。
(だから、何とも‥そこまで思ってなかったけれど‥‥)
目の前の美味しそうなお肉。
だけど、あまり見たことのないお肉。
野菜も似たようなのは知っている。
だけど、似ているが見たことのない野菜。
(ここはやっぱり異世界なんだ‥‥)
何となく胸の奥の方がボヤっとした。
寂しい、ツライ、怖い、嫌だ、・・・・違う。
ファンタジー世界に来れて嬉しい、ラッキー、やった!楽しい・・・違う。
どの感情にも当てはまらない。
ただ胸の奥がボヤっとした。
(考えちゃだめだ、どうせ考えたら碌なことはない…)
そのボヤっとした感覚を探ろうとした所で、小春は思考を止めた。
そんな小春の目の前に小さく切られフォークに刺されたお肉が現れ、驚く。
「‥‥」
クラウスを見上げる。
クラウスも小春の様子を伺うように見下ろしていた。
(これって…、やっぱり…)
口元に差し出されたお肉。
(このまま食べろって事…よね?)
クラウスの今までの行動を思い返す。
膝の上に座らせたり、昨日はお風呂までついてこようとしたし、雷が怖いからって自分のベットに寝かしたり、小春の脳裏に今までのクラウスの一連の行為が思い出される。
(物語とかと違って、本物の魔物ってこんなに引っ付き虫だったんだ・・・)
目の前に差し出されたお肉を見、苦笑いを零す。
もっと怖いイメージがあった魔物だが、いや、クラウス自身の容姿は想像を絶するぐらいに怖いものではあったが、行動は真反対だ。
そのため、余りに行動と容姿が掛け離れ過ぎているので受け入れるまでにタイムラグが出てしまう。
差し出されたフォークの先の手が目に付く。
鋭い爪が鈍く光る。もし食べる時、あの鋭い爪に少しでも当たったら昨日の様に切れてしまうかもしれない。
そう思うと、少しゾッとする。
(自分で食べる・・・といったら、やっぱり・・・)
もう一度、クラウスを見る。
既に少し不安そうな眼差しになっている。
(はぁ・・・、どうして怖い容姿のくせに、こんな不安な目線送ってくるかなぁ~)
出会った時からそうだ。
容姿は怖いし、顔も無表情なのだ。
だけど、目が物凄く語ってくる。
その『不安そうな瞳』が、嫌われるのを極度に怖がる小春に迫るのだ。
このクラウスが「して欲しい事」を無意識に探り、その正解の行動を取らないと、嫌われるのではないか?傷つくのではないか?見捨てられるのではないか?と。
理不尽に攻められ続けた人生を送ってきた小春にとっては、不正解の行動を取ったとたん、罪になる。
「自分が傷つけた」「自分が不正解を出したから嫌われた、見捨てられた」と感じてしまうのだ。
だから、たった一言の『自分で食べます』がどうしても言えないでいた。
(はぁ…、やっぱり食べないとダメかな)
もう一度、怖い手を見、やっぱり無理と思うも、痛いほど見てくるクラウスの視線を感じ、気づかれないように小さくため息をついた。
(仕方ないか…、食べないと終わらなそうだし…‥)
出来るだけ手を見ないように、目の前の肉を見る。
(まさか、とんだ恐怖ありき羞恥プレイを異世界に来てさせられるとは・・・)
恐怖もあるが、誰かに食べさせてもらうのはやっぱり死ぬほど恥ずかしい。
頬が熱いのが解る。
今、絶対自分の顔が真っ赤であると小春は思った。
そんな小春の鼻先に香しい匂いが届く。
グゥゥ―――
「!」
また、お腹が鳴り、更に小春の顔を赤くさせた。
(ま、いっか… 爪さえ注意すれば害はないんだから…)
「い、頂きます…」
消え入りそうな程、小さな声でそう言うと、恐怖と羞恥を承知で思い切ってお肉にパクついた。
「!」
口の中で肉汁がぶわっと口いっぱいに広がる。
それと同時に肉がホロホロと噛まなくても蕩けていく。
「美味しい!!ひゃぁ‥やばぃ」
余りの美味しさに両頬を手で押さえる。
「こんなに美味しいお肉、生まれて初めて・・・はぁ、うみゃぃぃ…」
(初めて異世界に来てよかったと思ったかも…)
幸せを余韻を楽しんでいるその目に、ふとあの鋭い爪を持った手が止まっているのに気づき、クラウスをチラッと見る。
クラウスは固まったように目を見開き自分の手をじっと見ている。
その手から食べたことに何故か驚いているようだった。
(自分で驚くほどなら、なぜ食べさせるんだろ…はぁ、訳わかんない…)
真っ黒でゴツゴツした鋭い爪を持つ手。
決してカッコいいとは言い難い、正直、醜く恐ろしい手だ。
現に、先ほどまで恐怖していた。
だが、人間、三つの欲の一つが「食欲」とはよく言ったもので、美味しいものを食べると全てがどうでもよくなるものだと、小春は思った。
もう既に、この一口で、小春の中の恐怖と羞恥はかなり消え失せ、この怖い手も気にならなくなっていた。
クラウスが次の肉を早く切ってくれないかとさえ思ってしまう。
思わずチラチラッと見てしまい、それに気づいたクラウスがまたお肉を切る。
羞恥心も恐怖心も薄れ、クラウスが口元に運ぶお肉をパクついた。
その様子を、複雑な眼差しで見ているものが居た。
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