国境の町


 二週間ほどひたすら真西へと進んだ後、馬車は湾曲する海岸線に併走する形で進路を北に移した。スターゲイト山脈は変わらず西へ連なっているため、山が徐々に遠ざかっていく。右手に海、左手に山という構図もこれでおしまいだ。

 この二週間は、ハンクにとっては苦しいものだった。ろくに整備されていない道に車輪を取られた馬車は、揺れに揺れた。つまり、ハンクはひどい馬車酔いに悩まされたのだ。

 フロルが嘔吐止めの呪文をかけてくれたのだが、これが曲者だった。呪文の効果はてきめんで、嘔吐はきれいさっぱり止まった。どんなに気持ち悪くても、吐き気が物凄くても、絶対に吐けなくなったのだ。

「申し訳ない……」

 フロルは沈痛な面持ちで謝罪した。フロルとて初めからこの悪魔のような所業を為すつもりはなく、嘔吐止め呪文の上位である吐き気止め呪文を唱えてくれたのだ。しかし、専門の医療術師ではないフロルは吐き気止め呪文に失敗し、代わりに下位呪文が発動。吐き気は継続、嘔吐のみが止まった次第である。効果が切れるまでの二十四時間はまるで拷問のようだった。

 進路が北に変わってからは、穏やかな平原が広がっていた。吐き気が消え去ったのは、馬車の揺れが小さくなったからか、ハンクが慣れたからか。多分両方だろう。

 カール島よりも季節の訪れが早いらしく、大地に芽吹く緑色の絨毯が果てまで続く。天然の芝生はカール島にはないし、リアシーでもこの地域だけだ。

 海鳥たちが高い声で鳴きながら飛び交う。カモメだと思ったが、フロルに「あれはウミネコだ」と教えてもらった。確かに名前の通り、みゃあみゃあと鳴いている。外見の違いについては、ハンクの目では全く分からなかった。

 毎晩、ハンクはジョージに槍の稽古をつけてもらっていた。

「これからどんな危険があるか分からない。せめて自分の身は自分で守れるようにしておきたい」

と言うと、ジョージはこっちが一歩引いてしまうくらい喜び勇んで相手をしてくれた。

 少しは槍の心得があるつもりだった。舞台での段取りに従って殺陣を練習するだけではどうしても嘘っぽくなったので、武芸としての実戦的な槍術を叔父マーティン・テイラーに教わったことがあるからだ。だが、わずかなばかりの自信は初日でとっくにへし折られている。

「もっとこう、グワッと来い!」

 ハンク渾身の切り払いを、ジョージは軽く握った不知火で片手間のように跳ね上げる。

「グワッとじゃ分かんないよ」

 ジョージは典型的な感覚派で、これまでも「ドンッと突け」とか「ヒュッと振れ」とか、アドバイスがとにかく抽象的だった。

「いや分かるだろ。じゃあ次は、グワァッ! と」

「言い方だけじゃん!」

「ちげーよ」

 口を尖らせながらジョージが近づいていったのは、そばに生えていた低木だった。

「お前の槍はこんな感じ」

 ジョージは棒立ちのまま適当に不知火を振る。不知火は幹の半分くらいまでめり込んで止まった。

「これがグワッと」

 今度は足を肩幅に開き、腕を鞭のようにしならせる。

 スパン!

 両断された低木は、回転しながら宙を舞う。

「んで、グワァッ! と」

 ジョージは不知火を背後に引き、腰を落とした。そして、落下してきた低木に狙いを定め――。

 ドォォォン!

 爆散した。

「な? 違うだろ」

「『な?』じゃねぇわ! こんなのできるわけないだろ。僕は普通の人間だぞ、君みたいなキルマシーンと一緒にするな」

 誰がキルマシーンだ、とジョージはむくれた。

「別にやれって言ってるわけじゃねーよ。もっとこう、勇猛果敢に槍を振れって話でだな」

「横から見ていて思ったのだが、」

 口を挟んできたのはフロルだ。

「ハンクはどうも腕だけで槍を扱っているように見える。対して、ジョージはどっしりと低く構え、全身で剣に力を乗せていた」

「そうそう。それが言いたかったんだよ。フロル、剣使えないくせに大した観察眼だな」

 しれっと失礼な発言だったが、フロルは特に気にする様子もない。

「パックやラーラルドをよく見ていたからかもしれん。あいつらは暇さえあればじゃれ合っていた。そのたびに、村を更地にする気かと父に叱られていた」

 おっと、とフロルは肩をすくめる。

「邪魔をしてすまんな。私は先に休む。お前たちもあまり遅くならない内に切り上げろよ」

 フロルは馬車に戻り、ハンクは再びジョージに槍を向けた。アドバイス通り、膝を曲げて重心を落とす。それでもジョージには軽々といなされたが、槍を弾く不知火に今までよりも力がこもっていたような気がした。片手間じゃなく。


 さらに一週間が経った。まだクリスタルの月下旬だというのに上着がいらないくらいの陽気だった。同時期のプレーリーではありえないことだ。

 ジョージはハンクと一緒に馬車の屋根に寝転がり、ひなたぼっこをしていた。男二人が雁首揃えて雲の形当てゲームとかいう平和過ぎる遊びに興じるくらいに、移動はとにかくヒマだ。

「おーい」

 呼ぶ声は御者台からだった。

「見えてきたぞ」

「あ? 何が?」

 起き上がるのも億劫だ。クロワッサンに似た白い雲を眺めながら、ジョージはぞんざいに応じた。海も山も野っぱらも見飽きた。今さら何だ。

「何がってお前……目的地だよ」

 ジョージはすぐさま飛び起き、前方に目を凝らした。緩やかな丘陵の向こうに建物がいくつも見える。

「国境の町ドンティーだ」

 どくん、と胸が高鳴った。あの町を、ドンティーを越えれば、ついにモリアーティーへ手が届く。

 隣で上半身を起こしたハンクも、心なしか顔を上気させている。思えばこいつらも随分と遠くまで付き合わせてしまった。嫌な顔一つせずついて来てくれた二人には感謝しかない。

「フロルさん! ドンティーといえば……」

「うむ。ワインだ!」

 ……ワイン?

 困惑するジョージをよそに、

「それ行け!」

 フロルは馬を加速させ、ジョージは馬車の屋根から振り落とされそうになった。


 町の郊外は広大なブドウ園になっていた。ブドウの季節はまだ先だが、夏の収穫期ともなれば湯気が立つ忙しさになることだろう。

 馬車は果樹園を貫く石畳の道を進む。

「ドンティーの赤ワインは、フワッと広がりスッと消えるフルーティーな香りと、酸味の少ない深い味わいで有名なのだ」

 フロルはムカつくくらい真顔だ。お前何しにここまで来たんだよ。

「オレはな、お前らを面倒事に付き合わせちまって悪いなって思ってたんだぞ。撤回だ撤回!」

「旅に楽しみは必要でしょ、修行僧じゃあるまいし。わざわざこんな遠くまで来てドンティーのワイン飲まずに行くなんて、正気の沙汰じゃないね。ま、君はブドウジュースで我慢してくれ。……そんなに睨まないでよ! ちゃんとモリアーティー行きの準備もするから!」

 ハンクもフロル派か。こいつらいつの間に手を組んでやがった。ワインが飲めないジョージはなおさら面白くない。

 さほど大きな町ではないらしく、ほどなく中心地に到着した。ガス灯がぐるりと囲む広場の真ん中に、二メートルほどの石像が建っている。土地を切り開いて町を作ったドンティー・ハーレインの像だ。その姿は、鎧甲冑に身を包む英雄ではないし、はためくローブに杖を構えた魔法使いでもない。くるんと巻いた尻尾の仔犬を連れ、鍬を肩に担ぎ、朗らかに笑っている、どこにでもいそうなおじさんだった。

 気色ばむフロルとハンクに押し切られるように、たまたま目についた店に入った。まだ日中だというのに、店内はごった返している。テーブル席は埋まっていたので、カウンター席に三人並んで座った。

「こういう店、初めてだ」

「プレーリーにバーはないからな」

 フロルはカウンター奥の棚に整然と陳列されたワインボトルを検分しながら答えた。頭上には大量のワイングラスがぶら下がっている。強いて言うならスガル・ロックハートの山雲亭一階が近い雰囲気だが、あそこはアルコールが主というわけではなく、お酒も置いている喫茶店みたいな立ち位置なので、相当「強いて言うなら」だ。

 フロルとハンクは二言三言相談した後、ワインの銘柄と思われる名称を口にした。知らない単語だったからか、何と言ったのか聞き取れなかった。

「違っていたら失礼ですが、もしかしてパーキンソンさんではないですか?」

 ジョージに声をかけてきたのは初老のマスターだった。

「そうだけど……」

「おぉ! やはり!」

 マスターは嬉しそうに声のトーンを上げた。

「ドンティーでも話題でしたよ」

 彼がカウンター下から取り出したのは、綺麗に折りたたまれた新聞だった。日付は三週間前だ。ジョージの写真と共に、武闘大会の記事が大々的に掲載されていた。その冒頭はこうだ。


 第六十三回リアシー武闘大会は、クリスタルの月四日に決勝戦があり、連覇を目指すジーク・ファラン(リアシー)と、本大会台風の目である少年剣士ジョージ・パーキンソン(カール)の試合が行われた。

 パーキンソンはオーグンスの王宮魔法騎士ルゴラス・ガンドールやモリアーティーの将軍マチルダ・アクールら実力者を次々と破ってきた新星。一方、ファランは血に濡れた凄惨な試合運びで難なく勝ち上がっており、両者互角と見られていた。

 壮絶な呪文と剣の応酬により、観客席を守る第一魔法障壁は崩壊。第二魔法障壁も決壊寸前まで追い込まれる中で試合は進んだ。

「あのような呪文は見たことがありません」

 そう語るのは、武闘大会実況のセデム・カッツ氏である。

「まるで燃え盛る不死鳥のような……恐ろしくもあり、目を奪われる美しさもありました」

 ファランが行使した巨大な鳥型の炎呪文について、大会本部は詳細を調査中としている。

 ファランは試合を放棄し失踪、パーキンソンも試合続行不可能と判断され、第六十三回リアシー武闘大会は前代未聞の優勝者なしとして幕を閉じた。


 ジョージはハンクに耳打ちした。

「オレって、もしかして有名人? お前より?」

 わざと意地悪く言うと、ハンクはうざったそうに手で払った。

「望みが叶って良かったじゃん。来年の選手一覧には写真いっぱい載るかもね」

「来年も出ればの話だけどな」

 今回はカール王が無理矢理ねじ込んだようなものなので、次があるかというと怪しい。

「おや、もう出場なさらないのですか?」

と、マスターはワインのコルクを抜いた。

「本当は私も観戦しに行く予定でしたが、急な用事で行けなくなってしまい……。取っていたチケットはコーラリの息子夫婦に譲ったのです。来年こそはと楽しみにしていたのですがね」

 マスターは少し寂しげだ。

「それにしても、ジーク・ファランの偽者事件は衝撃でした。本物のファランさんは、自宅で亡くなっているのが発見されたらしいですね」

 マスターは別の新聞を取り出す。日付は決勝戦の三日後、クリスタルの月七日だ。フロルも席を立ち、ジョージの背後からのぞき込んだ。


 コーラリ捜査当局は、六日未明、行方不明となっているジーク・ファラン氏が自宅で倒れているのを発見し、まもなく死亡を確認した。

 ファラン氏は第六十三回リアシー武闘大会決勝戦(クリスタルの月三日)以降、行方が分からなくなっていた。

 死因は肩から脇腹にかけての刃傷による失血死と見られている。

 遺体の状況から、死亡時期は約一ヶ月前とされており、武闘大会への出場時期と齟齬が生じている。

 コーラリ捜査当局は、ジーク・ファランをかたり大会に出場していた何者かが本件に深く関わっているとみて捜査を進めている。

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