酒と自由と


「それから……」

 マスターはさらに別の新聞を差し出す。ジョージが受け取る前に、フロルに掠め取られた。

「……二週間前の新聞だ。レイノス・ヴァーリース、シャアル・ラガン、トラヴィス・ドールソード、サーバイン・ユーヴァ、クイール・セリ、クロード・アレサンドル、ガルシア・マクドナルド、ルゴラス・ガンドールが行方不明。帰国等の形跡もなく、大会閉幕直後からの足取りが一切不明――」

 フロルが記事を要約して読み上げる。

「フロルさん。あの、僕の叔父は? 大丈夫なんですか?」

 ハンクは気が気ではない様子だ。フロルはもう一度紙面に目を走らせた。

「安心しろ。無事帰国したことが確認されている」

「叔父……ということは、あなたは選手の甥っ子さん?」

 マスターはワイングラスを三つ並べ、赤い液体を注いでいく。ボトルラベルに記された銘柄は「悠久の丘」だ。

「はい。僕はカール代表マーティン・テイラーの甥です」

 ハンクはにっこりと笑った。

「それはそれは。良かったですね。どうやら、閉会前に闘技場からお帰りになっていた方々はご無事だったようですよ」

「ジョージ、どうだ? ブラックが噛んでいると思うか?」

 フロルは真顔で考えつつ、片手はワイングラスをくるくる回している。

「んなもん知るか。オレに聞くなよ」

 行方不明者に上がっていたレイノス・ヴァーリースは解説者だった男だ。ジークからトラヴィスを助けるためにジョージと共闘した強者でもある。以降名を連ねる面々も、各国代表の猛者たちだった。そんな彼らが全員いっぺんに行方不明になったとなれば、ジョージもブラックの関与を疑わずにはいられない。だが、それを裏付ける根拠は一つもない。バイアスのかかった見方は避けるべきだ。

「あいつが選手を拉致して、何か意味あんのか?」

 ジョージはほとんど無意識で目の前の飲み物を手に取り、ぐいっとあおった。あ、とハンクが呼びかけた時にはもう遅かった。


 目が覚めた時、視界に映ったのは見慣れた馬車の天井だった。

「やあ、寝坊すけ」

「おう、ハンク」

 いつだかと同じようなやり取りを繰り返す。

「やべー。頭ガンガンする」

「だからジュースで我慢しろって言ったのに」

 ハンクが投げてよこした水筒の水を、ジョージは一瞬で飲み干した。どうやらアルコールを一切受け付けない体質らしいことは、ビクトリー号での船旅で学んでいる。「何事も経験だ経験!」とベアードにがれたビールでぶっ倒れたことがあるからだ。

「着いたぞ」

 御者台からの声と共に馬車が止まる。外はいつの間にか真っ暗だった。昼は随分暖かくなったが、まだ昼夜の寒暖差が大きい時期だ。ジョージは上着を羽織った。

 降りた所は三階建ての建物の正面だった。扉の隙間から中の光が漏れていて、がやがやと騒がしい。

「今夜は久しぶりにベッドで眠れるぞ」

 フロルが扉を開けると、赤ら顔で酒臭い連中が焚火を囲む長椅子を占拠して盛り上がっていた。弦楽器を携えた吟遊詩人が曲のリクエストを募り、酔っ払いの一人が「血生臭いが美しい曲を頼む!」と喧噪に負けないようにがなった。

「何じゃそりゃ。矛盾してるぞ」

と、他の飲み仲間がはやし立てる。

「んな無茶な曲ねぇよな?」

「いえ、ありますよ」

 あんのかよ! とのツッコミをよそに、吟遊詩人は楽器を鳴らし始めた。

 フロルがカウンターで宿泊名簿に記入をする間、ジョージは歌に耳を傾けていた。かつて英雄だったというほらを吹く男が昔の自慢ばかりしては威張り散らし、剣を振り回していたところ、彼を追ってきた女剣士の渾身の一撃によって頭が胴体からおさらばした、という紛れもなく血生臭い歌だった。美しい歌かどうかはきっと各人の感性による。

 前払いの宿泊料金と引き換えにフロルが三〇二号室の鍵を受け取る。係員に案内された部屋は、清潔だが飾り気がなかった。設備は丸いサイドテーブルが一つに椅子が二つ。ベッドも二つしかない。背格好や年齢や誰が宿代を出したなど諸々を考慮すると、一つのベッドに押し込められるのはジョージとハンクになりそうだ。ハンクも同じように考えていたらしく、

「ジョージ、真ん中からこっちに来ないでね」

と、親指でシーツにまっすぐ皺を刻んだ。

「いびきうるさいから呼吸は禁止。オナラも臭いから絶対禁止。あとお漏らしも勘弁な」

「めちゃくちゃ言うな! あとお漏らしはしねーわ! オナラは許せ」

 ジョージは噛みついて封じる。結局は宿の従業員がベッド代わりに大きなソファーを持ってきてくれたので、ジョージは呼吸を認められた。

「さて……」

 フロルとハンクが椅子に座り、ジョージはベッドに腰掛ける。サイドテーブルにはドンティー周辺の地図が広げられている。

「昔から情報収集は酒場と相場が決まっている。狙い通り、国境に関していくつか収穫があった」

「さっすがフロルさん!」

 ハンクが調子よく手を打った。

「ボトル四本開けたかいがありましたね!」

「お前らそんなに飲んだんかい」

 どんなに取り繕おうとも、こいつらの主目的はあくまでワイン。情報が得られたのはたまたまに違いない。オレは騙されないぞ。

「知っての通り、モリアーティーはリアシーと交易関係にない。国境は陸海路ともに厳重に警備されている」

 もとより海路を行く術はないので、問題は陸路だ。

 ハンクは地図を指差し、

「ここがドンティーね。で、これが国境」

 南北に真っすぐ走る点線を指でなぞった。

「距離は?」

「最短地点でドンティーから西にたった二十キロ。問題はこれ」

 ハンクは国境線上を指で辿り、ドンティーから北西に行ったところに描いてある丸印で止めた。

「関所。ここを突破しないとモリアーティーには入れないんだって」

「ちなみに、」

と、フロルが続きを引き取る。

「モリアーティーに渡ろうとした人が今までに何人もいたが、誰一人関所を通過したことがないそうだ。トーキンさんの友人であるカバター氏も数年前に関所で身柄を拘束され、未だに帰ってきていない」

「トーキンって誰だよ」

「先ほどのバーのマスターだ。カバター氏はワイン醸造所の経営者で、モリアーティーへの販路拡大を狙ったらしい」

 ジョージは腕組みをして地図を睨みつけた。

「馬鹿正直に関所なんか行くからだろ。交易もまともにやってないなら、おいそれと通してくれるはずねぇじゃん。関所がダメなら国境線のどこからかこっそり入ればいい。多少の警備兵はいるだろうけど、目を盗めばいけると思う」

「僕もそう思うんだけど……ねぇ?」

 ハンクはフロルと顔を見合わせた。

「うむ。しかし、トーキンさんの話では、それも不可能らしい」

「何で?」

「分からん。教えてくれなかった。行けば分かる、とだけ言われてな」

と、フロルは辟易した表情で首を左右に曲げた。ポキポキと音が鳴る。

 ジョージは後ろに倒れるようにして、ベッドに寝転がった。ベッドは一旦深く沈んだ後、跳ねるような弾力でジョージを受け止めた。

 あんまり収穫ねーじゃん。国境またぐのが思ってたより大変だと分かっただけ。肝心の行き方は分からずじまいかよ。これじゃ酒でぶっ潰れて頭痛に悩まされた割に合わない。

「とにかくだな。明日、国境付近まで偵察に行ってみようじゃないか。それからどうするか決めよう」

 フロルの一言で作戦会議はお開きになった。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る