第八章 国境を駆けろ!

仲間との旅路

 ガツンッ!


「いってぇ!」

 何かにしこたま頭をぶつけ、ジョージは一気に覚醒した。

「やあ、寝坊ねぼすけ」

「おう、ハンク」

 覚醒はしたものの、ひどく体がだるい。頭も重い。目を閉じて静かにしていれば数分としない内に二度寝に突入するだろう。

「動けねー」

 ジョージが怠惰モードを宣言すると、

「こんなとこでよく寝られるね」

と、ハンクが呆れたような口調で言った。

 二人がいる小部屋のような所はさっきからひっきりなしに揺れている。時たま舌を噛みそうになるくらいにがつんと弾む時があり、頭をぶつけたのもこの振動のせいだろう。

 ジョージは大きく伸びをした。ジョージが横になっていたのはくたびれた毛布の上。肩や背中が凝り固まっている。

 あれ? 左腕を伸ばしたり曲げたり捻ってみたり。マントの男に折られたはずだったが、動きに差し障りはない。腹部の深い刺傷もわずかな痕が残っているだけで、一見すると分からないまでに消えていた。

「ここどこ?」

 ジョージが尋ねると、ハンクは面白い物を見せるように、窓に親指を向けた。

 カーテンを開けると、目の前に広がっていたのは切り立った崖と複雑に入り組んだ黒い岩礁、そして瑠璃色の海だった。


 フロルの馬車はジョージたち三人を乗せてコーラリを離れ、右手にガトリン海岸を望みつつ西へと向かっていた。ガトリン海岸は波の浸食によって形成された海食崖で、断崖には尖塔のような岩礁が入り組みつつ連なっている。

 一方の左手。南側には対極ともいえる風景が広がっていた。標高四千メートル級のマロソン山を擁するスターゲイト山脈だ。残雪が山頂付近を白く染めている。

「ねぇねぇ、ブラックって黒いマントの人?」

 景色を眺めながら興味津々で尋ねるのはハンクである。

「ああ」

 試合のことを思い出してやりきれない思いが駆け巡る。歪んだ表情を慌てて戻した。

「フェリキュール・ブラックって名乗ってた。……何であいつの名前知ってんの?」

 ブラックの名乗り口上がハンクのいた観客席まで聞こえていたとは思えない。

「ずっとうわ言を言ってたから。すっごい険しい顔でブラック……ブラック……てさ。でも、そうやってぶつぶつ言ってたおかげで、ちゃんと生きてる、って安心したよ。静かな時の方が怖かったよ、死んだかと思った」

「……ちょっと待って」

 ジョージはこめかみを押さえてうつむいた。

「オレ、どんくらい寝てた?」

「今日で三日目」

 ハンクは指折り数えた。

 聞けば、全身の負傷は、治癒呪文を行使できる人員が総出で治療してくれたらしい。

「大会の医療班とか、選手たちも。ほら、ジョージが二回戦で戦ったオーングスの……」

「ルゴラス?」

「そう。あの人なんか魔法力が枯れて虚脱状態になるまで手を尽くしてくれたんだから」

 三日――。あれからもうそんなに経つのか。

 全く歯が立たなかった決勝戦。マントの男ことブラックには、結局のところ一撃も与えることができなかった。その上、むざむざ風晶石まで奪われ、カール王の信任を裏切った。

 何やってんだオレは。涙こそこぼれなかったが、再び表情が歪んだ。こんなんじゃ先生の敵討ちなんて夢のまた夢だ。

 グロイスからマントの男の目を逸らせるためだと豪語し、フロルの反対を押し切って大会に出場した。そしてこのざま。考え得る中でも最悪だ。

 全くの想定外だったのは、ブラックがとっくにカールを離れ、あろうことか大会に紛れ込んでいたことだ。結果的に、ブラックに風晶石を配達してあげたようなものだった。

「こんなことなら……」

「大会に出なければ良かった、などと無責任なことを垂れるつもりじゃないだろうな」

 不愛想な声の主は、馬を御しているフロルだった。フロルは前方の御者台に座っていて、ジョージの位置からでは後ろ姿しか見えない。

「無責任だって?」

 口角がぴくりと震えた。

「あんただって最終的には賛成してくれたじゃねぇか」

 大会出場の是非を相談した時、確かに揉めはしたものの、最終的にはフロルの賛同を得られたと思っていた。「お前がどんな決断をしようとも、私は常にお前の力となろう」と立派に宣言してくれて、すごく心強かった。

「それなのに、風晶石を奪われて旗色が悪くなった途端にオレだけの責任か!」

 結果論ならいくらでも言える。

『だから大会には出るなと言ったのに』

『だからすぐモリアーティーに行けと言ったのに』

 今だったらオレだってそう思う。だが、背中を押してくれたと思っていたフロルが、まるで他人事のように結果論を振りかざすことは我慢がならない。反省しているし後悔もしている。無責任だなんて心外だ。コイツめ御者台から蹴落としてやろうか。

 まあまあ、とハンクがなだめにくるのを、「うるせぇ!」と一喝すると、ハンクは怯んだように首をすくめた。

「では問うが、お前はこの後どうするつもりだ? 『大会に出なければ良かった』と過ぎたことをうじうじしていれば事態が好転するとでも?」

 痛いところを突かれて、ジョージはくっと唇を噛んだ。動じることなく端然としたフロルの背中は、ジョージに生半可な言い訳を挟む隙を与えてくれない。

「物事には変えられることと変えられないことがある。過去は変えられない。今更どうにもならないことを悔やんでも意味はない。だが未来は変えられる。どうせ悩むなら、これから何をするかに頭を使ったらどうだ」

 そんなことを言われても、どうしていいのか全く分からなかった。

 モリアーティーに届けるはずだった秘宝はすでになく、ブラックを追うにも一体どこへ行けばいいというのだろう。どこまででも追ってやる、と気持ちははやるが、当てがない。

「……ジョージ」

 困り果てたジョージに一縷の救いを与えたのは、ハンクだった。

「僕ね、ジョージの判断もある意味では正しかったと思うよ。だって、ブラックがグロイスにいないって分かったんだから。君にとってはグロイスを守ることが一番だったんだろ? グロイスが無事だと確信できただけでも収穫だと思うべきだ」

 しかし、案の定一言余計だった。

「カノジョさんのために、ね」

 ね、の後にハートマークでも付いていそうな口ぶりだ。一瞬でも「いい友人がそばにいてくれて救われた」と思ったオレが馬鹿みたいだ!

「彼女じゃねーよ!」

 すかさず訂正を挟むが、ハンクは「まあまあ落ち着け」といった感じに両の手のひらを開いてみせた。

「ハンクが正しい」

 きっぱりと同調したのはフロルだ。

「何だとこら!? 彼女じゃねぇっつってんだろ!」

「あ、いやその話じゃなくてだな、」

と、フロルが珍しくたじたじとなった。

「グロイスが無事なら、お前も心置きなくモリアーティーに向かえるだろうと思ってな」

 しまったそっちか! ジョージは内心頭を抱えた。完全に墓穴だ。かえってキユリを意識しているみたいだ。ハンクが隣で必死に笑いをこらえているのを横目に、ジョージは大きく咳払いして、

「モリアーティーに何しに行くんだよ。もう行く理由はないだろ」

と、話題をキユリから遠ざける。

「忘れたか。モリアーティーには秘宝の一つ、雷晶石がある。これ以上敵に秘宝を渡さぬため、我々が知りうるブラックの情報を、モリアーティーに伝える必要がある。それに、ブラックも雷晶石を狙っているだろうから、かの地で再び相まみえるかもしれん」

 想起されたのは、去り際のブラックだった。

『私を追うがいい。ジョージ・パーキンソン』

 細く不確かなものかもしれないが、ブラックへと続く道がまだ繋がっている。ならばその道を走るだけだ。

「フロル、今すぐモリアーティーに連れてってくれ!」

「さて、復習です」

 ハンクが人を食ったようにへらへら笑った。

「馬車に揺られて旅路を進む、ここはどこでしょうか?」

 そんなもん、ガトリン海岸だとさっき教えてもらったばかりだ。コーラリー西の海岸沿いに延びる街道である。

 待てよコーラリの西? ジョージはベアードに見せてもらった世界地図を思い出す。リアシー首都コーラリから西へ辿っていた先、すなわち中央大陸の北西部は――、モリアーティー公国の領土だ。

 ずっと背を向けていたフロルが初めて振り返った。いっそ堂々としたどや顔だった。

「約束しただろう。私は常にお前の力となると。手始めに、リアシー最西の町ドンティーを目指しているところだ」

 フロルは握りこぶしを掲げる。

「国境を越えるぞ!」

「おう!」

 ジョージとハンクも揃ってこぶしを突き上げた。

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