雷と炎

 ジークが、ジョージに向かってすっと人差し指を差し向ける。

 主の指令に呼応するように、不死鳥はかん高くいなないた。闘技場上空を一周すると、翼を小さくたたみ、急降下してくる。纏う炎は白に、そして青へと変わっていった。

 突如、ジョージの前に、魔法障壁が幾重にも現れた。

 フロル・ペールの他、ガルシア・マクドナルド、シャアル・ラガン、リリパット小人のモリー・スプラウト、解説のレイノス・ヴァーリース、そしてジョージの対戦相手でもあったオーングスの黒衣騎士ルゴラス・ガンドール。第二魔法障壁が発動し、我先に避難しようと蜂の巣を叩いたような大騒ぎになっている観客席において、その最前列から身を乗り出すように呪文を発動している一団だ。大会に集う猛者たちが、ジョージを守らんがために力を注いでいるのだ。

 しかし――。

 不死鳥は積層多重障壁を何事もないかのように突き破っていく。

「悪霊の焔」はパックが得意とする「雷の槍」と同様、高位呪文に属する。これら高位呪文は通常の魔法障壁アラ・マギクスでは防げないのだ。高位呪文「対魔魔法障壁ノリ・メ・タンゲレ」ならば対抗できるが、これを操れる術者を挙げろとなると、ジョージはパックとガッドしか知らない。

 ジョージは不知火を下段に構えた。

 ええい! 未完成だがこれしかない! まぐれでも何でもいいから行けぇ!

―パック流秘剣 臥竜天星―

 やぶれかぶれの必殺剣は案の定狙いが少し逸れたものの、不死鳥の右翼をぶち抜いた。敢闘賞ものだ。不死鳥の炎の体がぐらりと傾く。

 それでも勢いを殺すには至らない。ついに多重障壁の最後の一枚を燃えたぎるくちばしが食い破り、蒼炎がジョージの視界を覆い尽くした。


 炎に飲み込まれるのを覚悟していたのに、一向にその時はやってこない。ジョージは恐る恐る目を開けた。目を開けて初めて自分が目をつぶっていたことを知って、耳朶じだが赤く染まった。

 オレはすくんだのか。諦めたのか。

 それでもパック流剣士か、と忸怩じくじたる思いが駆け巡る。

 とは言え、悪霊の焔を食らって無事でいられるかというと、ジョージの心意気だけでどうにかなる話ではないはずだ。一体何が起きた?

 不死鳥は術者ジークの元に舞い戻っていた。だが、その気高き姿は無残に変わり果てていた。胴体のほとんどが抉り取られ、翼が皮一枚……というか炎一枚で繋がっている。その翼からも、羽根が抜け落ちていくかのように、炎の断片がぼろぼろと零れていく。

「青龍……」

 苦々しげに呟くジークの視線は、ジョージから微妙に逸れている。ジョージもそちらに目をやった。

 すぐそばに抜き身の剣が刺さっていた。ガラスのように青く透き通った刃。その刃に宿る龍の瞳が一際青く輝いていた。

 続いてジークが放ったのは漆黒の球であった。キュベレ山でも同じような物を見たことがある。マントの男が対魔法結界下で放った黒い魔導砲は、キノコ雲ができるほどの桁違いの威力だった。

 刃に刻まれた青龍が光を放つ。漆黒の球は影も形もなく消え失せた。

 燃え盛る不死鳥からジョージを守ったのも青龍のこの力か? 魔法を掻き消す力があるとでもいうのか。

 ジョージはフィールドに突き刺さっている青龍の剣を抜くと、不知火と共に二刀流の構えを取った。利き手に不知火、左手に青龍の剣。ベアードのなんちゃって二刀流を散々批判しておいて何だが、ジョージも二刀流の訓練は受けていないので負けず劣らずなんちゃってである。青龍の剣を剣として使うつもりはない。対魔法の盾になればと思ったのだ。

「その剣はお前の物か?」

「そうだ。知り合いにもらった」

「もらった、だと?」

 ジョージの返答がよほどお気に召さなかったのか、ジークはどすの利いた声を投げた。

「不相応にもほどがあるぞ、パーキンソン」

 ジークがふっと姿を消す。

 瞬動だ! と思った次の瞬間、ジョージの左腕が不自然にねじり上がった。

「青龍はお前が駆るような代物ではない」

 左腕が鈍い音を立てた。声帯が勝手にぎゃっと悲鳴を上げる。折れた左腕が力なく垂れ、青龍の剣ががらんと音を立ててフィールドに落下した。

 ジークが再び姿を現したのはジョージの背後だった。すれ違いざまにジョージの左腕を破壊したのだ。

「くそっ……」

 ジョージは不知火を構え直した。左腕は使い物にならない。だが利き手は右だ。不知火は決して離さない。まだ戦える。

「いや、お前はもう戦えない」

 腹部に焼け付くような痛みが走った。

 え。

 視線を下に向けると、ジークの長刀が腹に吸い込まれていた。

 ジークは刀を引き抜いた。血が噴き出し、気を失ってしまいそうな激痛が一歩遅れて襲いかかってきた。いっそ失神した方がどれほど楽か。

 膝をつき、両手をつき、しかし倒れてなるものかという意地がジョージをそこで押し留める。

 ジークはジョージを尻目に、青龍の剣を拾い上げた。

「青龍は我が元に迎え入れる。実に美しい剣だ。そう思わんか」

 ジークは、四つん這いで耐えているジョージの腹部を蹴り上げた。わざと傷口を抉るように。

 砂煙をあげながら転げ、ジョージは仰向けに天を仰いだ。背中が完全には接地せず反った格好になっているのは、風晶石の小箱が入ったボディバッグのせいだ。

「これほどに美しい剣で死ねるのなら、剣士として本望であろう」

「あんたが、剣士の矜持を、語るな」

 ジョージは喘ぎながらも、立ち上がろうともがいた。しかし、足も手も、砂を掻くだけで言うことを聞かない。

「いじらしいほどに気高き信念だが、力が伴わねば遠吠えに過ぎん」

 ジークは青龍の剣を逆手に持ち替え、ジョージの頭の真上に構えた。

 今度こそ目を閉じてなるものか。

 血を流し過ぎたのか、視界が霞む。四肢の感覚もなくなってきた。そんなジョージにできることは、剣士の矜持を保つことだけだった。

 しかし、

「くっ!?」

 虚を衝かれたような声の主はジークだった。

 ジークの取り落とした青龍の剣が降ってくる。ジョージは間一髪、首を振って避けた。

 ジークはよろめきながら苦悶の表情を浮かべている。

「ぬぅ……青龍め……」

 後ずさるジークの足取りはおぼつかない。

 ジョージは目を見張った。ジークの姿が揺らいでいる。ただ、試合開始時のように、溢れ出した黒い魔法力で揺らいで見えたのとは明らかに様子が異なる。揺らいでいると言うよりは、半分透けていた。

 ジークの体から一つの光の玉が飛び出した。握りこぶしくらいの大きさの光の玉は、その十倍くらいの長い尾を引きながら虚空へと昇っていった。

 思光体。

 めったに見かけるものではない。一度も見たことがない人だっているだろう。思光体は人の魂。死者から抜け出した瞬間の魂がほんの一時発光して可視状態となったものだ。ジョージはアールンクル家の面々に混じってキユリの祖父を看取った時、一度だけ目撃したことがあった。

 その思光体がジークから脱落したということは――。

 ジョージの常識、いや、世間の常識を裏切り、ジークは長刀を手に静謐の中で佇んでいた。おぼつかなかった足元も、いつの間にかしっかりと地面を掴んでいる。

「ジーク・ファラン。よく働いてくれた」

 そうひとりごちるジークは、ジークの姿ではなくなっていた。

 漆黒のマントに身を包み、漆黒のフードで顔を隠す男。

 村を襲い、師を奪った男――。

 あれほど体が動かなかったのが嘘のように、ジョージは無意識に跳ね起き、気付いた時には電荷を散らす不知火と共に突進していた。


―パック流奥義 建御雷―


万象焼き尽くす紅き咆哮インフィニトゥス・ルブルス・フルクトゥス


 雷光と豪熱がせめぎ合い、闘技場上空へ向けてまるで火山の噴火のように鳴動炸裂した。第二魔法障壁がなければ闘技場ごと消し飛んでいたような威力だ。戦いが長引けば闘技場も危ない。

 もう一発だ! こいつはここで倒す。今倒す! 倒せるまで何度だって続けてやる。

 爆風が嵐のように吹き荒れる中、助走距離を稼ぐために後方に飛び下がった。奥義を放つだけなら必ずしも助走は必要ないが、マントの男に打ち負けないためには少しでも勢いが欲しい。

―パック流奥義……―

 足がもつれて卒倒した。不知火に蓄積していた電荷がバチンと弾けて消滅する。

 急速に視野が狭窄していく。厳しい修行の経験からすると、いつ失神してもおかしくない状態だ。出血が酷い。腹に穴が空いているのを忘れていた。

 おぼつかない視界の中で、マントの男がこちらに歩いてくるのが見える。

 マントの男は長刀でジョージのボディバッグの紐を切断した。人差し指を振ると、ボディバッグはジョージの背からふわりと浮き上がり、マントの男の手に収まった。

 赤い炎が上がったかと思うと、ボディバッグは一瞬にして黒い灰と化し、風に吹かれて四散した。残されたのは、風晶石の入った白い箱だった。

「聖域の残り香か。考えたものだが、もはや無意味」

 マントの男の手の中で、白い箱が徐々に漆黒へと染まっていく。


「我が名はフェリキュール・ブラック」


 そう名乗ったマントの男は、初めて会った時のようにマントを身体に巻きつけた。風晶石はマントの内側へ。水晶石に続き、風晶石までも敵の手に渡ってしまった――。

「私を追うがいい。ジョージ・パーキンソン」

 ブラックの体が黒い霧に覆われていく。待て、と追いすがる手を伸ばしたかったが、声は出ず、わずかに息が漏れただけだった。

 黒い霧が晴れた時、ブラックは完全に消え失せていた。

 言われなくても、どこまでだって、あんたを追ってやる。

 苦い思いを噛みしめながら、ジョージの意識は暗転した。

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