剣士の矜持
*
ジョージは選手控室で「じょーじへ」の封筒を開いた。キュベレ山でパックから渡されたあれだ。手紙に書いてあるのはただの練習メニュー。何度読み返したか分からない。早くも薄汚れ、折り目は破れそうになっている。内容もとっくに覚えてしまっていた。それでも――。
師パック・オルタナの記した一字一字を読んでいると、まるでパックが近くにいてくれるような気がした。だからこそ――、もう彼がいないという事実が殊更に刃のごとく心を抉るのだが、それでも手紙を開かずにはいられなかった。
マントの男の注意をグロイスから逸らしたいがためだけに出場を決めたし、優勝するつもりだ。それは今でも変わらないジョージの信念だ。優勝して、フィールドの真ん中で風晶石を掲げ、すぐにモリアーティーへ向かえばいい。キユリを守り、グロイスを救い、カール王との約束も果たす、我ながら画期的で秀美な作戦である。
一方で、腹の底から湧き上がるようなこの怒りは。
ジーク・ファラン。パックの教えを人殺しの技だと切って捨てた男。
彼が相当な達人であることは認める。しかし、力の使い方を誤っている。これまでの試合では奇跡的に死者は出なかったが、ファランは間違いなく相手を殺すつもりで
何のために戦うのか。力を持つ者はそれを常に意識しなければならない。戦わずに済むのならば、戦いを極力回避せねばならない。そうでないと力の使い方を間違ってしまうからだ。修行に励み、苦労を重ねた末にようやく獲得した力でやることが、他人を痛めつけ、
弱い者が死ぬとしたらそれは自身の弱さ故だとジークは断じた。悔しいが一理ある。だが、どうしても腑に落ちないのは、
「だからって、殺すほどに痛めつけることが強い奴のやることかよ」
ジークを倒すことで彼が改心する保証はない。いや、そもそも誰かを「改心」させるなど、それこそどこの聖人君子かという話である。
聖人君子とはかけ離れた一剣士に過ぎないジョージにできることは、負けないということだけだ。ジークに敗れることは、ジークの歪んだ意志に屈することであるような気がした。
カッツがハイテンションで何か叫んでいるようだが、ジョージの耳には右から入って左から抜けていく。目の前の相手に集中していた。
不知火の鞘は消滅してしまったため、今大会で初めてジョージは真剣を使う。また、パックの鍛えた不知火は魔法強化剣なので、剣が状況に応じて自動的にジョージの身体能力を向上させてくれるはずである。つまり、ジョージはパック流剣士として本来あるべき姿にようやく立ち返ることができたのだ。
対峙する狂戦士の身体がかげろうのように揺らいで見えるのは会場の熱気だけのせいではないだろう。ジークからはすでに魔法力が溢れ出している。それも全身からだ。まるで黒い霧がかかっているかのようだった。
並みの戦士ならしおしおと気圧されてしまうところだろうが、ジョージは逆にガンを飛ばしてやった。……特に効果はなさそうだった。
双方一歩も退かずににらみ合う中、試合開始のゴングが鳴った。
先手を取って主導権はオレが握る!
―パック流奥義 華断煉撃―
加減は不要。全力だ。
ジークは呪文で応じる。
―
しかし、ジークは何を思ったのか対物魔法障壁の呪文詠唱を途中で止めた。
どういうつもりか知らねぇが、小細工ならまとめて吹き飛ばすまでだ!
剣撃の破壊力が衝撃波を生み、闘技場を襲う。第一魔法障壁によってフィールド内に押し留められた衝撃の渦が、逃げ場を求めて唯一の開口部である空へ向かって噴出した。白いヒビで隙間なく覆われた第一魔法障壁は、まるで曇りガラスのような様相へと変貌していた。
単純な破壊力ならばパック流随一の奥義である華断煉撃を、ジークはどこからか現出させた片刃の長刀で防いでいた。かち合った刃から火花が跳ねる。
「この野郎……!」
小細工ではない、純粋な力比べだった。
ジークは長刀を大きく振り、弾かれたジョージは宙に浮いた。
やべッ!
ジークの回し蹴りを腕でガードしたが、踏ん張るものが何もない空中。フィールドを横切るように吹っ飛ばされた。
ジョージは不知火をフィールドに突き刺す。剣を軸にして体がこまのように円を描き、やっと着地した。
すぐに不知火を引っこ抜いた。凶刃の切っ先が迫る。眉間と心臓を狙う突きは不知火で防いだが、腕と頬は避けきれずに切り裂かれた。血飛沫が飛び散るが、見た目ほどの傷ではない。
頭部と胸部への攻撃は格闘打撃のみ認めるというルールはすっかり無視されていた。審判席は透明度を完璧に失った第一魔法障壁の向こう側にあるのでジークの横暴を咎める者はいない。それでなくてもジークはずっとルール違反すれすれだったので何を今更という話でもある。
そっちがその気なら。
頭上に迫る上段斬りを、ジョージは右足を大きく踏み出してかわす。
「うらああ!」
そのままジークの懐に飛び込むと、気合一閃、鋭く胴斬りを叩き込んだ。
ジークは胴体部分に展開した帯状の障壁で防御していた。障壁は展開範囲を限定すればするほど強度が増す。ジークが作った帯状の障壁は太刀筋にピンポイントだったので、範囲よりも強度に重きを置いていたようだ。だが、魔法強化剣の効力でジョージの膂力が上回ったのか、一撃で障壁が割れる。ジークの表情が一瞬強ばったように見えた。
―
強ばったように見えたのも束の間、灼熱の炎が渦となって襲来する。
くそ、少し喉に入った。炎本体は避けたものの、強烈な熱波がジョージの気管を焼き、咳に血が混じる。
ジークは上空に浮遊し、ジョージを見下ろしていた。
―生死を定めし帝王の大剣―
心臓が大きく脈動したような気がした。
―生ありし者に復讐の憎悪を、消えゆく者に介錯の慈悲を。苦痛を満たし、闇夜を燃やせ―
ジョージの脳裏に蘇ったのはあの光景だった。蹂躙され焼き尽くされたグランドウッド。煌めく雷光と轟く業火の奔流。
なぜこいつがこの呪文を……。
―
ジークのさらに上、天から赤く輝く何かが虹色の粒子を振り撒きながらゆっくりと降りてくる。
―
炎の猛禽が燃えたぎる大翼を開いた瞬間、その圧力だけですでに脆くなっていた第一魔法障壁が粉々に砕け散った。光を乱反射した無数の細かい破片はまるでダイヤモンドダストのように輝いていて、炎の猛禽はそのきらびやかな後光を背景に、大翼をはためかせた。火の粉が舞い、虹色の尾羽から光の粒子が迸る。その様は、まるで物語に出てくる不死鳥のようだった。
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