事情は人それぞれ

「心外だなぁ。泥棒を軍に突き出すでもなくこうして楽しくお喋りしてあげるくらい懐が広い僕に、言うに事欠いて胡散臭いだなんて。まあいいや、僕が城に行く理由は別に隠すほどのもんじゃないしね、友好の証として少し教えてあげるよ」

 ハンクは部屋の扉を開けた。歩きながらね、と廊下へ促す。

「変にコソコソしないでよ? 普通に歩いてくれた方が目立たないから」

 二人はところどころ剥げた絨毯を歩いた。この廊下は劇団員専用区画なので、古くなった内装がどうしてもほったらかしになる。

「僕の叔父は軍人でね。カール王国第一守備隊の副隊長。隊長のバグマン将軍が実戦特化型なもんだから、事務系は全部叔父に丸投げ。『魔獣バグマンの手綱引き』なんてありがたくない二つ名がついてる」

 ハンクの叔父も副隊長を務めるくらいだから相当な武の持ち主である。だが、第一守備隊隊長にしてカール王国守備兵団全軍を統括する守備兵団長でもあるドゥーレム・バグマンの圧倒的な戦力は、直接的には軍と関わりのないハンクすら知るところである。

 どのくらいの戦力かというと、一体を討伐するために少なくとも十人の兵を要する魔物に対し、ドゥーレムは単騎で出撃して二十余の群れを全滅させ、無傷で帰投したほどだ。もはやどっちが魔物か分からない。だからこその「魔獣バグマン」だ。

「叔父がどんなところで仕事をしているのか見てみたくてさ。第一守備隊は王様の親衛部隊で、城内に詰めてるから。社会科見学ってやつ? 僕は毎日芝居の稽古して舞台に立って……だから他の世界を知らない。知りたいじゃん、他の世界のこと」

「なるほどな。要するに興味本位か」

 せっかく披露した話が「興味本位」でまとめられた。まとめられるといかにも軽い。

「そうだね」

 歯切れが悪くなりそうなのを何とか繕った。

 ここはこれでいい。適当な理由を与えておけばジョージはもう詮索してこないだろう。本当の理由はそれこそ「人それぞれの事情」だ。

「いつ行く?」

 気を取り直して尋ねると、

「今日」

 ジョージは身を乗り出してきた。

「大事な用で。急いでるんだ」

「分かった。ちょっと待ってね」

 ハンクはスーツの内ポケットから手帳を引っ張り出してパラパラとページをめくる。

「……お! 運がいい。今晩の門番はアグザスとスミスだ。一番ちょろい組み合わせだね」

「アグザス? 昼に会ったぞそいつ」

 ジョージは浮かない表情をした。

「オレの顔、割れちまってる」

「そうなの? うーん、でも大丈夫じゃないかな多分」

 ティム・アグザス二等守備曹は最近三曹から昇進したばかりだ。順調に昇進を重ねており、バイタリティに溢れるのは結構なことだが、人に厳しく自分に甘いところがある。例えば、市民にはやたらと威張り散らす、自分より階級が低い兵には居丈高に振る舞い、そして上官には良いところを見せようと格好をつけたりペコペコとへつらう嫌いがある。

「スミスの階級は巡兵長だから、アグザスの方が二つ偉い。現場の判断は階級が上のアグザスが下すことになる。昼間はさらに上の士官がいたみたいだけど、アグザスくらいなら簡単に出し抜けるよ」

 ハンクが自信たっぷりなのは、つまり経験者だからである。アグザスの性格は分かりやすい弱点であり、アグザス&スミスペアは格好のカモだった。逆にダリル・ベレスフォードという老練の三等守備視が当直の日だと、潜入を試す気すら起きない。

 そうこうしている内に、二人はエントランスホールに到着した。すでに客は捌けていて、劇団員が片付けや清掃に当たっている。磨きあげられた大理石の床にシャンデリアの光が反射している。今まで歩いてきたみすぼらしい関係者エリアと比べると別世界だった。

 天井は三階まで吹き抜けだ。ホールの両脇に沿って上階へと伸びる階段が緩やかなカーブを描いていた。

 その階段を駆け降りてきたのは一人の女性だった。レースで飾られた純白のドレスに目がくらむ。巨大な宝石の付いたネックレスや金のブレスレットなどの豪華な装飾具が軽やかな音を立てる。女性はスカートを持ち上げながら一段飛ばしで駆け下りてきて、最後は一気に五段飛ばしでハンクの胸に飛び込んだ。

「やあシェーミ、そんなに慌ててどうしたの?」

 胸に襲い掛かってきた衝撃を、ハンクは足を前後に開いて踏ん張って耐えた。

「すっとぼけないでください、打ち合わせサボって何やってんですか! 劇団長怒ってますよ」

 ウェーブのかかった長い金髪がハンクの顔にかかった。女性としては比較的身長のあるシェーミがさらに高いヒールを履いているので、背丈はハンクに迫る。相手がハンクでなければ男のプライドを傷つけてしまうだろう。互いの鼻がほとんどくっつきそうなくらい顔が接近していた。潤んだ目がハンクを見つめる。ハンクが目を逸らさないのは一種のプライドだ。先に目を逸らせた方が負け、みたいな。面倒な性格に辟易する。

 世間からのハンク・テイラーの評価は自分でも良く知っている。実力もピカイチのイケメン俳優ハンク。いつも舞台は満員で、注目の的だ。中でも女性人気は凄まじい。近頃は自分の子どもにハンクと名づける親も増えたとか冗談みたいな話も聞こえてくる。そんな僕が、女性からの視線に堪えかねて先に目を逸らせるなどあり得ない。例え相手がスペリアンス看板女優シェーミ・ノエルであってもだ。

 ハンクは首を振ってシェーミの髪を払った。そして密着している彼女をゆっくりと離す。若干の抵抗を感じたが、無視して押し返す。「あん」とこぼれた嬌声も聞かなかったことにして、さて、打合せをさぼる理由を告げるとしよう。

「鎧の金具が壊れて脱げなくなっちゃったから、ベアードさんの所に修理に持っていこうと思って。無理矢理外すわけにもいかないしさ」

 ジョージの鎧の肩を叩きながら答える。

 劇団の備品を着たままの人間を外に連れ出すのだから、それなりの言い訳が必要なのだ。頼むから空気読んでくれよ、とそういうことに疎そうな少年に願う。

 ジョージはうつむき加減にコクコクと頷いてくれたのでひとまず合格点を……と思ったら、突然金具のある脇腹を押さえて思いっきり表情を歪ませるという大根役者ぶりを発揮してくれた。金具が壊れて、というのを、壊れた金具が脇腹に食い込んで、と設定を具体化したようだ。機転を利かせるのは結構だが、内心でハンクは頭を掻きむしった。プロ相手にそんな拙い芝居打つ奴があるか。てかさっきまで平然と立ってたのに不自然にもほどがあるだろ。慣れないことをするんじゃない!

「そうなんですか? じゃあ打ち合わせは……」

 幸いシェーミは鎧姿のモブ劇団員には米粒一つ興味がないらしく、ずっとハンクだけを見つめている。

「悪いけど劇団長には欠席すると伝えておいてくれないか。後で内容を聞かせてね。衣装も着替えず探してくれてたのに、すまない」

「いえ、そんな」

 シェーミの頬がほんのりと赤く染まる。ところで、さっきからジョージのじとっとした視線を感じるのは気のせいではないだろう。僕だっていたたまれない。

「先に外で待ってて。すぐ行くから」

 ハンクはジョージの両肩を掴んで回れ右させ、背中を押した。

 その後ハンクは、シェーミとの話を早く切り上げようとするたびに裏目に出た。舞台の反省点やお客さんの満足度について意見交換するのは仕事なのでまだいいとして、最近気になる雑貨やらご飯屋さんの話はだいぶ興味ない。

 ようやく解放され、潜入用グッズを持ってようやくセレスチェルを脱出した時、すでに三十分が経っていた。

「カノジョか?」

 にやにやしながら声をかけてきたのは待ちぼうけを食らったジョージである。

「彼女に見えた?」

 やっと振り払ってきたのにシェーミの話題がぶり返すワケ? ハンクはうんざりして投げやりに返事をすると、

「違うのか?」

「違うよ」

「オイ照れるなよ。美人じゃねぇか」

 肘で小突いてきた。剣を携えた鎧姿なので忘れていたが、中身は年下の少年だ。ゴシップネタには年相応にうざい。

「君こそ、紹介してあげよっか。いい子だよシェーミ」

 半分冗談だが半分本気だ。シェーミの好意に答えるつもりはないが、露骨に拒否すると角が立つのではぐらかしてきた。もし話がこじれてシェーミが退団などということになれば劇団としても痛手だ。シェーミの興味が他人に移ってくれるのを期待することしかできず……しかし相手がジョージではさすがにギャグか。

「遠慮しとく」

 ジョージの即答に、ハンクは目を見張った。シェーミ・ノエルもグロイスで知らぬ人はいない名女優だし、ハンクが知る女性の中でトップクラスに美しい女性でもある。なお、トップクラスであってトップではないところがみそである。

「贅沢だね。向こうにだって選ぶ権利があることをくれぐれもお忘れなく」

 軽口の報復はジョージのヘッドロックだった。

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