約束


「アーレン、邪魔するぞ」

 ようやく降ろしてもらえたのは門前集落の馬小屋に着いてからだった。

「遅かったな」

 一頭の馬を伴って現れたのは馬飼いのアーレン・カスタルジアである。服装や髪形に無頓着なパックとは対照的で、艶やかな長髪を後ろで束ね、手入れされたレザーコートに身を包んでいた。パックの方が二つか三つか年下だったはずだが、肌ツヤが良く皺ひとつない中性的な顔立ちのアーレンは、見た目年齢不詳との評判をほしいままにしている。

 ジョージは壁際のベンチに座って、パックとアーレンが談笑しているのを眺めていた。別に聞く気はなかったが勝手に聞こえてくる内容から察するに、パックはこれから黒いマントの男を追うらしい。

 キュベレ山全域に張られた対魔法結界によって、マントの男は空路も転移術も絶たれグランドウッドのどこかにいるはずだ。パックは陸路すなわち馬で追うつもりで、アーレンが用意したのは燃えるような赤いたてがみを持つ黒馬、楓であった。昨日ジョージが駆った神速の白馬・疾風に引けを取らぬ名馬である。楓の鞍にはすでに旅荷が結わえてあった。

「ああそうだ! 忘れてた!」

 談笑中に、急にハっと目を見開いたのはパックである。パチンと指を鳴らすと……何も起きない。

 しまったぁぁ! と頭を抱えるパック。呪文が使えないことを、結界を張った御本人が失念していたようだ。

 どうしたんですか、というジョージの質問を無視してパックは楓にまたがった。馬上からジョージの襟首をつかんでひょいと持ち上げ後ろに乗せる。だからオレは猫か何かか、どいつもこいつも。

「くそッ、忘れ物した。バースに戻るぞ」

「忘れ物はこれだろ」

 ミラクルなタイミングでぎしっと馬小屋の戸を鳴らしたのは、

「おお。カラハリ! 無事だったか」

 気色満面で呼びかけたパックとは真逆に、カラハリは仏頂面である。

「あれを無事というならな。お前の指示か、俺を川流しにしろと。息を吹き返したかと思ったらいきなり溺れかけたぞ」

「んなわけあるか。お前カナヅチじゃん。当然配慮する」

「え、カラハリってカナヅチなの?」

 だっせー、とジョージは茶化したが、

「黙れ」

と凄まじい圧力で目を剥いたカラハリに、しゅんと萎んだ。

「どうせまたレッドの馬鹿がやったんだろう」

「外れ。それザメリア」

 パックが冷静に訂正する。

「あいつめ……後で絞ってやる。それより……」

と、カラハリは二振りの剣を放り、パックは器用にキャッチした。

「さっすが気が利くな!」

 一本は無骨な白木の柄に白鞘。もう一本は、

「オレの剣じゃん!」

 ジョージはパックの背後から身を乗り出した。十字鍔に施されたハオマハをモチーフとした粋な装飾。昨日、数秒手にしただけでこぼしてしまったジョージ専用の剣だ。

 パックが鍛えた「魔法強化剣」を与えられることは、一人前のパック流剣士の証とされていた。

 魔法強化剣には、使用者の体力や残存魔法力、敵の力量、戦いの状況等を剣が自ら全自動で判断し、使用者の有する魔法力を適切・効率的に振り分けて身体能力をブーストさせる機能がある。例えば攻撃時には膂力を上げる方向に魔法力を振り、防御に転じる際には身体を鋼のように強化する。走るとなれば脚力や瞬発力を上げるし、呪文詠唱時には魔法力の運用効率を向上させてくれる。昨夜、黒いマントの男と一太刀交えた後のカラハリが良い例だ。

 また、剣の柄さえ失われなければ刃が欠けようが折れようが丸焦げになろうが自然に修復するオマケつきである。

 次は落とすなよ、とパックはからかい半分で釘を刺すことを忘れず、ジョージはすんませんと謝る一手で剣を腰に下げた。

 腰にかかる新鮮な重みがジョージの背筋をしゃんとさせた。兄弟子たちは皆専用の剣を持っていて、あとは一番若いジョージだけだった。パック流剣士の証であり、誇りの象徴だ。

「剣の名前は?」

 ジョージは輝く柄頭を弄ぶ。

不知火しらぬい

 答えるパックは自身の剣を腰に下げた。

「カラハリ、留守を頼む」

「任せろ。もう下手は打たん」

 カラハリの返事の後半は、実際にはほとんど聞こえなかった。パックが手綱を握るや、楓が音も揺れもなく馬小屋を後にしたからだった。


 門ではキユリが待っていた。

「ちゃんと言い聞かせとくから」とはパックの言だが、先ほどキユリと別れて以降、何がしかの説教を受けた覚えはない。しかしパックの肩に担がれている間が、反省の時間になった。

『命がけで助けた大切な人だろう、自分で傷つけてどうする』

 これでジョージにとっては十分だった。

 ジョージは馬を降りた。すまん、と頭を下げる。

 引っ越しの件を知らされていなかったことに傷ついたことは確かだ。だが、それを材料に相手を傷つけていいことにはならない。キユリはただでさえ思い悩んでいたのに、ジョージの心無い糾弾のせいで、張られた頬の何倍キユリは心を痛めたか。

 昨夜、キユリが死んでしまうかもしれないと恐怖し、キユリとの思い出がジョージを激しく動揺させた。それに比べれば引っ越しくらいなんだ。今生の別れでもあるまいし、女々しくごちゃごちゃと文句垂らすようなことじゃない。「やっとお父さんと暮らせるんだな、良かったね」くらい言えなくてどうする。

「あたしこそごめん、言いにくいことこそ早く伝えるべきだった」

 キユリは頭を掻きながらはにかんだ。

 パックがパンっと手を打った。二人して肩が跳ねた。

「よし、謝ったな? お前ら仲直りしたな?」

「はい」

とハモった。思わず顔を見合わせ、白い歯がこぼれる。

 パックはこれからマントの男を追うはずだ。その前に仲直りのきっかけを作っておいてくれたのだ。ジョージはパックに向き直った。

「手ェ煩わせてすんませんでした、助かりました」

 そして道を開けるように数歩下がる。

「マントの男追うんですよね。気をつけてください」

「いやいや、お前も一緒に来るんだよ」

 ……は? と、またもや猫のようにつまみ上げられ、気づけはパックの後ろに乗っていた。

「ちょっと待って、聞いてない――」

 泡を食ってパックの肩を揺すったが、肝心のパックはそうだっけ? とどこ吹く風である。こうなれば覚悟を決めるしかない。だが、広いグランドウッドでマントの男を探すとなれば帰れるのはいつだ。

 門番を務めているアニー・サマルトが敬礼を向け、パックは軽くうなずいて応じた。

 楓が走り出す間際、キユリの大音量の声が追いついた。

「ジョージ! 気をつけて! 引っ越しまでに帰ってきて!」

 引っ越しまでには、というのはちょうどジョージも考えていたことだった。見送りもできなくて何が友人だ。悪いヤツは速攻で片付けて、ちゃんと見送りをするから。約束する。

 ……悪いヤツを片付ける役目は主にパック任せだというのが情けないが、細かいことは目をつぶる。

 村はすでにはるか後方。声は届きそうになかったので、ジョージは片手を目一杯挙げて返事代わりとした。



 陽の光を遮る深緑。グランドウッドの木々は冬でも葉を落とすことはない。重なり合う枝と緑でグランドウッドには空がなかった。幻想的に降り注ぐ木漏れ日が光源である。

 なんでオレがついて行かなきゃならないんだー! とぎゃあぎゃあ絡んでくるかと思っていたジョージは案外大人しくて、パックは肩透かしにあった気分だった。この弟子は普段が普段なので、物分かりがいいと気持ち悪い。

 キユリの引っ越しの件が気になって他に頭を回す余力がないのだろうとパックは見当をつけていた。

 プレーリーの人間が村を出て街で暮らすというのは、頻繁にあるわけではないが、かといって特別珍しいことでもない。パックの世代も何人か村を離れており、いわゆる「稀によくある」ことである。例えばキユリの父ジン・アールンクル、ガッドの息子フロル・ペールだ。

 一方でジョージくらいの歳だと自分の周りの狭い世界がすべてであり、そこから見知った人間がいなくなるというのは一大事なのだ。家族のように付き合ってきたアールンクル家ともなればなおさらだ。ジョージの想いはわかる。

 だがジョージを伴ってマントの男の捜索に出ることを、パックは一切躊躇しなかった。マントの男を森に縛ったというチャンスを逃す手はない。魔法が使えないマントの男は自らの足で対魔法結界の圏外へと向かっているはずだ。あれから一日経ったが、楓を駆れば必ず追いつける、はずだ。

「そうですよね、先生? 大丈夫ですよね?」

 パックは聞こえよがしにハァ~と大きなため息をついた。

「アホ。埒の明かないこと聞くな。俺が大丈夫って言ったところでなんの保証にもならんだろ。大丈夫にするんだよ」

 パックは手綱を握っているが形だけだ。楓はパックとまさに一心同体だった。道行く者を遮るような険しい森だが、木の側が馬を避けていると錯覚するような走りぶりを披露するのは、さすが疾風同様アーレンの秘蔵っ子である。

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