第5話 決意
グイネット王国。
現在、大陸に存在する七国の中でも第二の歴史を有する国家として知られており、豊かな漁場と無数に産出される鉄鉱石の存在から商業国家として認識されている。
そんな彼の国は、ここ数代に渡り比較的温厚な国王が治世を行い、英雄戦争の時期を除いて穏やかな発展を続けていた。
しかしながら現在、彼の国に王は存在しない。
そしてグイネット城の王の間は、未来の主ではない者により使用されていた。
「ボランズ騎士国が大挙して国境侵犯を犯しているだと?」
ピクリと眉を吊り上げた壮年の男は、不快げな感情を隠すこと無く、眼下の男にそう問いかける。
すると、報告者である新たなこの国の軍務大臣にして、彼の一族に名を連ねるバフォランは、頭を下げながら叔父に対し望まれざる報告を続けた。
「はい、明朝に突然彼の国は国境付近のキマレア砦に来襲。数の差は如何ともならず、国境警備部隊は壊滅したとの由にございます」
「ふざけるな、それでは明確な七カ国協定違反ではないか!」
玉座の腕おきを激しく叩きつけながら、宰相であるムラーラは苛立ちを露わにする。
もっともその苛立ちは彼にしてみれば当然とも言えた。
彼とて本来ならば比較的軍の力の弱い隣国のミレネント都市国家を攻め込めるのならば攻め込みたい。しかしながら、英雄などと持て囃される道理のわからぬ男が、前王とともに厄介極まりない七カ国協定を締結していた。
軍はあくまで国内の治安維持と、他の大陸からの侵攻に対する防衛目的。
それが七カ国協定における前提条件の一つであり、協定違反の他国侵攻に対しては、当事国以外が協力してその行為を武力排除すると定められていた。
だからこそ彼は協定に含まれた穴を徹底的に探し、協定外に存在する小国の島国へ軍を向けたのである。
それを尻目に堂々と協定破りしてくるとは、まさに彼にとって許しがたい暴挙であった。
「宰相閣下、実に不可解なことではあるのですが、どうも敵は我らこそが七カ国協定を破り、ミケーレン港を侵攻したなどと申しておるようなのです」
「ミケーレン? なんの話だそれは?」
甥のバフォランの言葉を耳にして、ムラーラはその眉間にしわを寄せる。
「それが、我が海軍がどうもミケーレン港に上陸し、暴虐の限りを尽くしたと彼らは主張しているようで……」
「馬鹿な、海軍はほぼ全てがダグラス攻略中だ。そしてあの口だけの英雄は、依然としてダグラスを落とせてはいないのだぞ!」
旧軍首脳部とともに、事あるごとに彼に逆らい続けた男。
既に攻略を開始して七日が経過しているものの、依然としていけ好かぬネルソンは、ダグラス制圧に手間取っているという無様な報告を送ってきていた。
だがその報告を踏まえれば、ミケーレンなどに動かす艦隊がグイネットに存在しないことは明らかである。
まさにボランズ騎士国の主張は荒唐無稽極まりなかった。
「おっしゃるとおりです。ですので、これは我らの艦隊出撃を口実とした、ボランズの罠ではないかと愚考します」
「……有り得る話だな。我らがダグラス攻略へ艦隊を向けたのを好機とみたか。ふん、騎士道などとくだらぬことを言う連中だが、その本質は欲に目がくらむただの山賊だな」
吐き捨てるような口調で、ムラーラはボランズ騎士国のことをそう評した。
一方、そんな彼の主張に同意しつつ、バフォランは現実的な懸念をその口にする。
「お言葉はもっともですが、何れにせよ早急に対処が必要です。軍に出撃命令を出したいと思いますが、よろしいでしょうか」
「勝てるのか?」
「数の上ではやや敵国が有利。しかし地の利は我々にあります」
強引な軍上層部一掃と私的な縁故抜擢。その結果として軍務大臣についたバフォランではあるが、これまで軍官僚として最低限の水準を示してきたこともあり、比較的妥当な戦力分析を口にする。
だがそんな彼の発言は、叔父の心を捉えることは無かった。
なぜならば数的不利の原因となった男を罵ることで、既にムラーラの頭の中は埋め尽くされていたためである。
「なんということだ、くそ、やはりあの口だけ英雄の無能さが全てを祟っておる。こうなれば中止だ!」
「は? 何をでしょうか」
「ダグラスなど攻略を中止するのだ。その上で、奴にはダグラス攻略遅延による国家危機誘引罪に値すると告げろ。もし罪に問われたくなければ、ボランズとの戦いにおいて恩赦に値するだけの功績を立てよとな」
何度も何度も肘置きに拳を振り下ろしながら、ムラーラは自らの決断を伝える。
それに対し最低限のまともな軍事知識を有するバフォランは、この時ばかりは追従を止めて、叔父を窘めるか迷った。
自らが今後大臣職を遂行するにあたり、あの英雄の存在は実に厄介ではある。
しかしながら彼は理解していた。彼の存在は余人で代えられるものはなく、彼をもってダグラス攻略に手間取っているのならば、他の者にも決して出来ないものなのだと。
だがその視界に、憤怒とともに顔を真っ赤に染めた新たなこの国の支配者の姿が映ると、彼は掛けた天秤を一方へと自ら傾ける。
「了解いたしました。すぐに連絡船をダグラス方面へ送ります」
「うむ。あとは王都の兵を出来る限りボランズとの戦地へ向けろ。戦うなら出来る限り国の辺境で行うのだ。王都に近ければ近いほど、被害も馬鹿にならんからな」
***
元グイネット艦隊旗艦カミュ。
それは同時にネルソンの船であると、グイネットでは認識される大型船である。
食料、水、金、武器、そして人……様々なものがその中には乗せられていた。
そして今回の航海においてのみ。その積み荷のリストに存在しない者が存在する。
「居候、例の船の船員が吐いたぞ」
ダグラス遠征軍指揮官クローネ・フレイザー千人長。
リストにはそう記されている艶やかなブロンドの髪を有する女性は、嫌悪の表情を浮かべながら部屋の主に報告を行う。
主に貴族などを輸送する際に使用する貴賓室。
そこにはリストに何一つ記されていない青年が、だらしなく椅子にもたれかかりながらその報告を受けた。
「おや、思ったよりも早かったね」
「英雄どのの顔を見た瞬間、突然泣き出してすべてを語ったからな」
「へぇ、さすがはネルソン。人望があるのは素晴らしいことだね」
満足そうにニコリと微笑みながら、セナは本心からそう表して見せる。
すると、そんな彼に向かい揶揄されたのかと窘める声が向けられた。
「かつての家臣に、公的な死後も慕われ続けている人物が言うと少し皮肉に聞こえますね」
彼らの背後から貴賓室に姿を現したネルソンは、そう述べるなり苦笑を浮かべる。
一方、セナは軽く両手を広げると、特に気にした素振りも見せず話の方向性を戻した。
「はてさて、何のことやら。で、具体的には例の船員くんの目的は何だったんだい? 君への暗殺でも命じられていたかい?」
「近いですが違います。この私がダグラス攻略に手間取ったせいで、グイネット本国がボランズに襲撃されたことの罪を問うとのこと。どうもその場の気分で新設された国家危機誘引罪などというものに値するのだとか」
如何にネルソンと言えども真面目に論評する気が失せたのか、彼はやや冗談じみた口調でそう説明する。
「それはそれは。つまり君は最初の一人になるわけだ。また後世にその名を残すことになりそうだね」
「ああ。だがボランズとの戦いで奮闘すれば、なんと第一号という栄誉を取り上げ、恩赦などというものを与えて下さるらしいです」
「陛下のご逝去からまだ二日。にも拘らず既に軍務大臣は親族に差し替えられ、国政の私物化が始まっています。何より提督がこれまでどれだけグイネットのために身を尽くしてこられたか……それをこんな」
ネルソンが彼らしからぬ皮肉を口にすると、彼の部下であるキャプランは現状を嘆く。
そんな彼らに向かい、セナはまっすぐに一つの問いを発した。
「……それで覚悟は決まったかい?」
「とっくに決まっていますよ。ミケーレンを偽装攻撃したあの時から……いや、シャトランジのあの盤面を一瞬でひっくり返されたと知った時から」
「こいつの体は卑怯でできている。シャトランジでの負けなど気に病まれることはないぞ、ネルソンどの」
ネルソンの言葉を受け、思わずクローネはそう口を挟む。
そんな彼女に向かい、セナは思わず苦笑を浮かべた。
「これまで順当に十連敗した人の言葉は、やはり重みが違うね」
「貴様、そこに直れ!」
顔を赤く染めたクローネは、この戦中に指揮官の心得を伝えるなどと称し、散々にセナに弄ばれていた。
もっともクローネは、あの手の盤上遊戯を好まない。
しかし千人長たるものが、僅かな駒しかない戦争を模した遊戯すら満足にできないのかと挑発されると、とてもではないが無視することはできなかった。
「クローネさん、私も彼には昔から一度も勝たせてもらっていないので、気に病まれないで下さい。それよりもセナ、現実での次の一手の教えをそろそろ請えないかな」
ネルソンのその一言を受け、セナはニコリと微笑む。
そして手にしていた地図を、改めて戦友となった男へと放り投げた。
「これは?」
「机に広げてみてくれるかい」
セナの言葉のままに、ネルソンはその地図を広げる。
そしてそれを横から覗き込んだキャプランは、思わず感嘆の声を漏らした。
「なるほど……グイネットを相手取りながらも、改めてボランズの体を縛り付ける。そういうわけですか」
地図上には二つの進軍ルートが示されていた。
一つはもちろん、北に位置するグイネットへと向かうルート。
そしてもう一つは、つい先日強襲した南側のミケーレン港へ向かうルートである。
ご丁寧なことに、現在グイネットとボランズが陸上で衝突しうる地点と、そこから来襲する場合の予想日数までもがそこには記されており、まさに両者を相手取るに十分な計算がなされているようであった。
「この時の為に、前回はミケーレン港の防衛設備ばかり壊してもらった。というわけで、先行投資を回収させてもらうとしよう」
「確かにこれならば、我らの関与できない戦場までもコントロールできる……か」
ネルソンは改めて眼前の男の策に震えながら、内に抱えきれぬ本音をそう口にする。
だが彼を恐れさせた当人は、いつものように至って平静のまま、淡々と考えうる最大のリスクについて口にした。
「基本的にはそう考えている。でもあくまで戦争は戦争。予期できぬことはいくらでも起こるものさ。何より国境での戦いには、おそらく斧の親父が出張ってくるだろうからね」
セナの口から紡がれた一人の人物の存在。
その彼の事を脳裏に浮かべたネルソンは、思わず意外な表情を浮かべた。
「ギルゴロスどの……か」
天枢のギルゴロス。
混戦となった戦場においてならば、七星英雄の中で最強と謳われる豪傑。
そんな彼を、いつまでもグイネットとの戦いの前線においておくわけには行かなかった。
「だから速やかに動くとしよう。その上でネルソン、部隊の比率はどうすべきだと思う?」
「グイネットに向かう私が三で、ミケーレンを制圧するキャプランが七」
その数字はきっぱりとした口調で迷いなく発せられた。
途端、セナの顔には満足そうな笑みが浮かぶ。
「正解。と言うか、本当に正しい正解があるわけではないけど、少なくとも私と同意見だ」
そう口にしてセナとネルソンはお互いに頷きあう。
しかしながら、その案にまったく賛同しかねるものもこの場に存在した。
「待って下さい。それでは提督の兵があまりに少なすぎます。予定通り事が運んだ場合、戻ってきたグイネット軍に蹂躙されかねません」
ネルソンの倍以上の艦隊を預けられそうになったキャプランは、想定されうるリスクを主張しながら、ありえないとばかりに何度も首を左右に振る。
しかしそんな彼の懸念を、上官でもないセナが軽く一蹴した。
「等分に分けても、正面からぶつかればどうせ蹂躙される。何しろこちらは陸戦の専門家はおらず、ダグラスとの寄せ集めに近い混成部隊なのだからね」
「キャプラン、君に艦隊の七割を預ける。君の手腕で、ミケーレン港を今度こそ制圧してきてくれ。それが戦後交渉の鍵となるはずだからね」
ネルソンが口にした最後の言葉を耳にして、セナはわずかに驚いた表情を浮かべる。
だが同時に、彼はネルソンを味方に引き入れるという、自らの選択が正しかったことを改めて再認し、思わず口元に笑みを浮かべた。
一方、ネルソンにより十分以上の配慮を受けて一部隊を任されたキャプランは、緊張した面持ちで整った敬礼を行う。
「……了解致しました。不肖キャプラン、誠心誠意微力を尽くします」
「まあ少し肩の力を抜いたほうが良いよ。例えばそこのお嬢さんなんて、敵と戦う時はいつも、無関係の第三者を罵倒しながら剣を振るっているみたいだしね」
明らかにカチカチになっているキャプランを目にして、セナは敢えて冗談めかしながらそう口にする。
途端、刃よりも遥かに鋭い視線が罵声とともに彼へと向けられた。
「誰が無関係の第三者だ。この万年居候め!」
「はは、まあこれくらいの元気があれば結果も出る。つまりそういうことさ」
「なんというか、君は本当に昔から変わらないな。アランやケティスたちが苦労していたのを思い出したよ」
何気なく口にされたその言葉。
そこに含まれていた人名を耳にして、何かを察したキャプランはまじまじとセナのことを見つめる。
一方、その言葉から僅かな感傷を覚えたセナは、小さく息を吐きだすと、改めてネルソンに声を向けた。
「昔は昔、今は今さ。だからネルソン、一先ずは前だけを見るとしよう。後ろを振り返ることはいつでもできるしね」
「確かにその通り……ですね」
そう口にすると、生真面目なネルソンらしく大きく一つ頷く。
そしてその視線を故国の方角へと向けると、彼ははっきりと宣言した。
「私はもう迷わない。故国のため、亡き国王のため、そしてグイネットに住む全ての人のため、力を持って国家の寄生虫たる逆賊を討つ!」
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