第8話 通すべき筋

 国王の私室。

 本来ならばそこは、彼の家族以外のものは決して立ち入ることのない場である。


 しかしながら今は違った。


「改めて、感謝しておる。セナ・マクルート」

 窓から外の光景を眺める国王は、彼に断り無く手近な椅子に腰掛けた青年に向かいそう告げる。


「いえ、むしろ馬鹿げた喜劇に付き合わせてしまい申し訳ありません」

「ふふ、最初にメアから話を持ち込まれた時は、断るつもりだった。あの子が君の名前を出したその時まではね」

 その時のことを思い出したのか、ヨアヒムは苦笑を浮かべながらそう述べる。

 するとセナは、軽く頭を掻きながらその口を開いた。


「申し訳ありません。いずれはご挨拶をと思っていました。ですが、時が来るまではあまり表に出るわけには行きませんので」

「……つまりまだ名を出すつもりはないと?」

「はい、その方が色々と都合が良いのです。もともと名前を抹消された身ですしね」

 セナは苦笑交じりに自虐を口にしてみせる。

 一方、ヨアヒムは彼に与えられるべき一つの称号をその口にした。


「八星英雄……か」

「確かにそんな呼ばれ方をする未来があったのかもしれません。ですが、現実はそうではない。そして英雄こそが最大の罪を犯したのだと知った今、自らの名が刻まれなかったことに、ほんの少しだけ感謝をしています。皮肉でも何でも無くね」

 小さく頭を振りながら、セナははっきりと自らの思いをその口にする。

 それを受けて、ヨアヒムは眉間にしわを寄せながら、抱いた疑問をその口にした。


「英雄の罪。それがその方が再び動く理由か?」

「もちろん我が故国のこともあります。それがまず成すべき第一歩。ですが、その後はあの人の……義兄の意志を継ぎたい」

 ヨアヒムはそのセナの言葉を耳にするなり、目を大きく見開く。

 セナの口にしたあの人という言葉、それが誰を指すのかを理解できたがゆえに。


「その方が最も憎んだあの男……義兄サティスの成さんとしたことを継ぐつもりか。たとえ悪と蔑まれることになろうと」

「ええ。覚悟はとっくにしています。義兄さんを倒し、そして義兄さんに救われたあの日から。もっとも継ぐものは志だけで、同じ道を歩むつもりはありませんが」

 そう述べると、セナは薄く笑った。


 その笑みを目にして、ヨアヒムはもはや窘めることも制止することもできなくなった。彼の表情から、深い悲しみと怒り、そして何より後悔がはっきりと見て取れたが故に。


「いずれにせよ、私の名は汚れるためにあります。だからこそ、輝くべき実績は彼女に肩代わりしてもらうつもりです。あの剣聖の娘さんに」

 さらりとした口調で、セナはヨアヒムに向かいそう告げる。

 するとヨアフムはその両眼を閉じ、そしてわずかに苦い口調でその名を口にした。


「クローネ・フレイザー……か」

「ええ。彼女を置いて他におりません。そして責任は取るつもりです。あの方にはお世話になりましたから。それもこの上ない程に」

 クローネの父である剣聖クライス・フレイザー。


 強く、たくましく、そして誰よりも清い男。

 そんな彼の背中を目にして、かつてセナは憧れの気持ちを抱いた。


 そしてそんな尊敬に値する男は死んだ。

 後に英雄と呼ばれることとなる者たちの未来を守るために、その命を賭して。


「かつてアイリス王国へメアを落ち延びさせた際、あの男に娘を託したことをわずかに後悔していた。いや、彼でなければメアの命はなかったかもしれない。しかしクローネには悲しい思いをさせる結果となった。たとえその最後が大陸を守るために命をかけたのだとしてもな」

 どこか遠くを見つめながら、ヨアヒムは悲しげにそう述べる。


 彼の心のうちでは深い葛藤が存在した。

 ここで止めなければ、あの爽やかなクライスだけでなく、娘までその生を全うできないのではないかと感じたからである。


 だが決して彼はそれ以上彼女のことに言及することはなかった。なぜならばそんな行為を、戦友でもあったクライスは最も嫌っていたからだ。


 そうして部屋には沈黙が訪れる。

 そして小さく息を吐きだすと、ヨアヒムは話の矛先を未来へと向けた。


「それでこれからどうするつもりだ?」

「幾つか選択肢を考えています。例えば今回の事件で土台が揺らぐグイネットの中枢に食い込むことや、奪った船で大規模な海賊行為をすることなどですが」

「ふむ……だがその方が考える本命は異なろう。おそらくは我が娘を焚き付け、グイネットへの逆侵攻を狙うのではないかな?」

 グイネットという強国を、その十分の一にも満たぬ小国ダグラスが攻める。

 普通ならば笑い話にさえならぬことであった。


 しかしながら、その予想を告げられたセナは珍しく驚いた表情を見せ、そして後に笑い声を上げた。


「は、はは、鋭いですね」

「そうでもないさ。所詮はその方らの振り付けに従って踊るだけの傀儡だよ」

「傀儡は自分のことを傀儡なんて言いませんよ」

 首を左右に振りながら、セナは苦笑交じりにそう述べる。

 だがヨアヒムはそんな彼に向かい更に言葉をぶつけてみせた。


「少なくともその方なら、操ろうとする相手に、自分が傀儡であるなどと思わせはしないだろうな」

「いやはや、過大評価頂き恐れ入ります。ですが、単純に私は効率主義者なだけですよ。誰かを誘導したほうが効率的ならばそうしますし、そうでないならばそうでない手法を取る。ただそれだけのことです」

 極めてあっさりとした口調で、セナはそう語った。

 それを受けヨアヒムは、改めてセナの顔を見つめると、ゆっくりとその口を開く。


「セナ……我が国は借りがある。帝国に支配されかかったあの時、我が娘を……そう、この国の後継者であるメアを預かってもらったという借りがな」

「魔力を持つが故、ほぼ間違いなく殺される恐れがありました。だからアレはやむを得ない処置です。それにもし借りだと感じられていても、その功績の大半はやはり剣聖どのが受け取るべきものだったはずです。彼を差し置いて、自分だけが大きな顔をするつもりはありません」

 そう口にしたセナはゆっくりとその瞳を閉じる。

 途端、英雄という存在の在り方を体現した男の姿が、彼の瞳の裏にはあの頃のままにくっきりと映し出された。


 剣聖の二文字に恥じぬ才と技量を持ち、常に努力を重ね続けたクライス・フレイザー。

 千の帝国兵を相手取り、全身傷だらけとなりながらも最後まで幼き少女を守り抜いたクライス・フレイザー。

 話してみれば意外と気さくで面倒見がよく、欠片も才能がなく無駄であることも承知でセナに剣の手ほどきをしてくれたクライス・フレイザー。

 ……そしてセナたち八人が神器召喚を成す為に、自らが囮となって帝国相手にその命を散らしたクライス・フレイザー。


 共に過ごした時間は決して長くはなかった。

 でも彼が居なければ、今の自分はない。それだけは確信を持って断言できた。


 だからこそセナは、ヨアヒムの借りという言葉を認めるつもりはない。

 しかしヨアヒムは、そんな彼同様に些か頑固な人間であった。


「そうは行かぬよ。此度のことと言い、この国はその方に二度救われたのだ。本来ならばとっくに消え去っていてもおかしくない小国。その方がもし必要とするならば、好きに操るがよい」

 その言葉を紡いだヨアヒムは、一切笑うことはない。


 明らかにそれは彼の本音。

 そのことを理解したセナは、思わず頭を振る。


「国王が口にする提案ではありませんね」

「その方を止めようとしても、端から無駄であることはわかっているのでな。ならばせめて気持ちよく委ねることだ。おそらくそれが、この国にとって最善の形となろう」

 ヨアヒムはほぼ確信を持ってその言葉をセナへと向けた。

 そして委ねられた側であるセナは、やや苦い表情を浮かべながら小さく一つ頷く。


「その言葉は呪いですね。好きに操るのと、最善の形に持っていくのではまったく意味が異なる。ですが、必要とあれば最善を尽くしますよ。私も彼女と同様に、この国で居候をさせてもらった身ですから」

「メアがアイリス王国の居候となり、そして今度はその方が我が国の居候となった……か。歴史とはまさに繰り返すものだな」

 それは万感の思いがこもった言葉であった。


 まだ五歳にも満たぬ娘を送り出した十年前のあの日と、本来ならば英雄と名乗る資格を持つ青年と再開した今日。


 その間に流れていった日々へと思いを馳せ、ヨアヒムはわずかに目を閉じる。そして彼は目の前の青年に向かい、改めて真摯な瞳を向けた。


「セナ・マクルート、一つだけだ、一つだけ約束をしてくれぬか」

「……何でしょうか?」

 国を操ることさえ好きにしろという国王が求める約束。

 セナは初めてわずかばかりの警戒と不安を抱きながら、真剣な面持ちで言葉の先を促す。

 すると、彼でさえ予測し得なかった言葉が、国王の口から紡ぎ出された。


「あの子を、メアを幸せにしてくれ」

「それは……」

 それは実に珍しい光景であった。

 いつもひょうひょうとしたセナが、思わず口ごもるその光景は。


 しかしそんな彼に向かい、ヨアヒムは畳み掛けるように言葉を続ける。


「あの子はその方に操られることも、利用されることも、その何れをも望むだろう。それが真にその方の願いならばな。だがたとえあの子が自らの望みの中にいようとも、不幸にだけはしてくれるな」

 凍りついたかのように、一瞬王の私室は沈黙に覆われる。

 そして目をつぶり僅かな迷いのあと、セナはヨアヒムに向かい彼なりの精一杯の返答を差し出した。


「……最善を尽くす。この言葉で容赦頂けませんでしょうか」

「わかった、今はそれで良しとしよう。だが最終的に私が求めるのは結果のみだ。これは国王としてではなく、一人の親としての願いなのでね」

 求めるものは結果のみ。

 それはかつてヨアヒムが親交のあったセナの父親から告げられた言葉であり、同時にセナが姉とともに父親から何度も告げられ続けた言葉でもあった。


 セナの脳裏には、アイリス王国時代の様々な出来事が走馬灯のように駆け抜ける。


 幼い頃より優しくも厳しかった両親。

 慈愛に満ちた姉セリスと謹厳ながらも彼を気にかけてくれた義兄サティス。

 そして姉たちが帝国へその身を移した後に、妹のように共に過ごした亡命者のメア。


 家族とも呼ぶべき人たちと過ごした日々に思いを馳せ、セナは儚げに微笑む。

 するとそんな彼に向かい、ヨアヒムは言葉を続けた。


「セナよ、今後何か必要なことがあればいつでも言ってくるが良い。我が国は君と、いや、君の国とともにある」

 それが二人の間でかわされた最後の言葉であった。


 お互いに告げるべきことを全て話し終えたところで、セナは国王の私室を辞してそのまま廊下へとでる。

 そしてそのまま彼は虚空に向かい呟いた。


「彼女を幸せに、か。さすが一国の王だけあって、最も難しい事をおっしゃるものだ。ですが、出来る限り最善を尽くすとしよう。何しろ世界を手にする前に、一人の少女さえ幸せにできぬ訳にはいかないから……ね」


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