第6話 再会

「はぁ、意外と距離がありますね」

 ゆっくりと長い廊下を歩くネルソンは、わずかに息を切らしながらそう呟いた。


 ダグラス城内の南側は奥の間と呼ばれ、王族だけが使用できるプライベートエリアである。

 そこを彼は、やや重い足取りでまっすぐに歩き続けていた。


「やはり提督、連行して来させるか、日を改められた方が良かったのではないですか?」

 疲労の色が明らかな上官に向かい、隣を歩くキャプランは心配そうに声をかける。

 だがそんな彼の提言を、ネルソンはあっさりと否定した。


「今日できることを明日やるのは私の主義にあいません。それに王家の者を牢から連れてくるのは、それはそれでリスクがあります」

 現在彼らの向かう先には、王家の隔離用牢獄が存在していた。


 元々は精神疾患などを発症し表舞台に出すことができなくなった王族を、人の目から隠す為に用意された代物である。

 限られた一部の者だけが入ることを許された、僅かな食事と水を運ぶだけの通路。石畳の床はところどころカビや苔に覆われ、どことなく異様な空気が漂う廊下であった。


 まさに用がなければ通常足を踏み入れることもはばかられる通路。

 グレンを先導者として、そんな廊下を彼らはまったくの健常者に会う為に歩き続けていた。


「この王宮は現在我らの支配下にありますが、先導する彼のような人間も少なくない。なればこそ、まだ完全にその仕事を信頼できないというわけですか」

「ええ、クーデターに参加した者たちが抱える理由は様々です。中には王家に対し好意を抱きつつも、別の理由で参加したものもいるでしょう」

 それがネルソンの考える最大のリスクであった。


 つまりクーデター派は必ず王家に敵意を持ったものだけで構成されているわけではない。

 なればこそ、不用意に王族を外に出すのは危険だとネルソンは考えていた。


「おっしゃることはわかります。ですが、これからの統治を踏まえても御身の健康こそが最重要です」

「その心配は不要ですよ、キャプラン。使ったのはあくまで一射だけ。少なくとも一週間ほどで元に戻ることは貴方も知っているでしょう。それに何より、体調が戻るまで放置できるような案件ではありません」

 目の下にはクマができ、誰の目から見ても彼の足取りが重いことは明らか。しかしネルソンは、決してその歩みを止めようとはしなかった。


「……ですが、他の兵士たちが祝宴を催している中、提督がこのような労務を」

「キャプラン、彼らよりも働くからこそ、私はその指揮権を有しているのです。それに王族と会うことは労務とは言いませんよ。たとえそれがいかなる小国だとしてもです」

 統治を行う上で重要なことは、如何に上手く戦後の混乱を収束させるかにあるとネルソンは考えていた。だからこそ同行するクーデターの人間に対し、明確に上下関係を見せつける必要があるのだと、彼は判断する。


「わかりはしますが……」

「お話し中申し訳ありません。ここから降りたところが地下牢となります」

 キャプランが困惑と心配で戸惑う中、先導していたグレンがその足を止めると、後ろのネルソンたちに向かい薄暗い下り階段を指差す。


「意外と狭いですね」

 下り階段を覗き込んだキャプランは、正直な感想を口にする。

 すると、グレンは護衛を含めたネルソンたち一行をぐるりと見回し、数を確認した上でその口を開いた。


「ええ。ですが中はそれなりにスペースがあります。この数くらいでしたら特に問題ないかと」

「そうですか、わかりました」

 もし地下が狭く人員の移動が難しいならば、ここにある程度の護衛を残し、少数で行動せねばならない。そのことを危惧したキャプランは、ホッと胸をなでおろす。


「では、参ります」

 グレンはそう告げると、先行して階段を下り始める。

 それを目にして、ネルソンとキャプランはお互いの顔を見合わせると、一つ頷きあとへと続いた。


「些か薄暗いですね」

 薄暗くジメッとした階段をゆっくりと下りながら、ネルソンはそう呟く。

 すると、突然キャプランはその目を閉じ一つの呪文を口にした。


「ルミエール!」

 その呪文が唱えられた瞬間、光の球体がキャプランの頭上に浮かび上がり暗い階段全域が照らされる。

 思いもかけぬ突然の現象に、普段冷静極まりないグレンも、思わず驚きの声を上げた。


「魔法……ですか」

「ええ。キャプランは武帝による魔法士弾圧の数少ない生き残りですので」

 武帝が魔法士を弾圧した理由の正確なところはわからない。

 彼らを恐れたのか、それとも何らかの忌み嫌う理由が存在したのか。


 何れにせよ、魔法士は魔法士であるということが罪とされ、元々数少なかった魔法を扱うものはその数を激減させた。

 そしてそんな貴重な生き残りの一人が、ネルソンの部下であるキャプランに他ならなかった。


「しかし彼の魔法のことはともかく、まさかこんな明かりもろくにない場所に、王族が閉じ込められてきたとは……」

「もともと様々な理由で表に出せない方を隔離するために作られた施設です。そのため、些か扱いが……ですが、降りてしまえば中の作りはそこまで悪くありません。もっともここに放り込まれた方は、永久に陽の光を浴びれなかったと伺いますが」

 ネルソンが抱いた疑念に対し、グレンは内心の動揺を落ち着けた上で、淡々と回答する。

 するとそんな会話を聞いたキャプランが、苦い表情を浮かべながら一つの事実を告げた。


「提督、グイネットにも実は同様の施設があります。表向きは公表されてはおりませんが」

「なるほど。人間の……いや、上に立つ人間の考えることは同じというわけですか」

 疲れたような溜め息を吐き出しながら、ネルソンは二度三度首を左右に振る。


「着きました、ネルソン提督。この奥となります」

「なるほど、確かにただの牢ではないのですね。ですが、これは些か……」

 階段を降りきった先に広がっていた光景を目にして、ネルソンは思わず顔をしかめる。


 眼前の牢は、鉄格子を使用した一般的なものを踏襲してはいたが、一つ一つの牢は大きく作られており、中には明らかに高級とわかる家具類も用意されていた。

 また中に入れられている人物も明らかにきれいな佇まいをしており、一見するとただの貴族の監禁場所に過ぎない。


 だが牢の中にの住民はまさに異様とも呼べる行為を繰り返していた。

 ただひたすらに壁をたたき続けるフードを被った男性、そばに置かれた人形にぶつぶつと話しかけ続ける若い女性。


 そんな囚われた者たちの常軌を逸した行動を目の当たりにして、ネルソンも流石に戸惑いを覚えずにはいられなかった。


「……それで国王は何処におられるのですか?」

 この場に留まることに抵抗を覚えたネルソンは、早く案件を済ませられるようにとそう切り出す。

 するとグレンは、短く答えた。


「奥です。どうぞ」

 改めてグレンに促され、グイネットの一団は最奥にある牢のもとまでたどり着く。

 そこには明らかに憔悴した様子の至尊の冠をかぶる一人の男性と、どこか幼さを感じさせる少女の姿があった。


「……ダグラス王ヨアヒム二世でしょうか」

「そうだ……ふむ、どうやらクーデターを起こした者たちではなさそうだな」

 凹んだ瞳でギロリと睨みつけながら、ヨアヒムはそう言葉を発する。

 すると、ネルソンは堂々とした佇まいのまま自らの名を名乗った。


「グイネット海軍将ネルソンと申します」

「なるほど、彼奴らを駛走させたのはお前たちか」

 吐き捨てるような口調で、ヨアヒムはそう問いかける。


「その通りです。もっとも、貴方の治世に曇りがあったからこそ、成功したのではないかと愚考しますが」

「ほざけ小僧。勝者であろうが、かつての英雄であろうが、我以外は全て下衆。調子に乗るな」

 腰掛けていた椅子から立ち上がると、ヨアヒムはつばを飛ばしながら怒声を放つ。

 途端、隣に控えていたキャプランが苛立ち混じりの反論を口にした。


「敗者には勝者を貶める価値はなし。愚王よ、素直に敗北を受け入れろ!」

「キャプラン!」

 部下の罵声を耳にして、ネルソンは流石に言い過ぎであると押さえにかかる。

 しかし彼らの眼前に存在した国王は、突然気が触れたかのように暴れだした。


「死ね、貴様らなぞ全て死んでしまえ。我を軽視する者、軽んじる者、反抗する者、全て尽く死んでしまえ」

 そう言葉を発しながら、国王は腰掛けていた椅子を床に叩きつけた。


 激しい破壊音と共に、足が欠けた椅子が床へと転がる。

 ネルソン達は誰一人その行為の意味を理解できず、突然の行動に思わず息を呑む。


 だがそれにとどまらず、牢内に置かれていた様々なものを突然国王は破壊し始めた。


「お、お止めせよ」

 思わず異様な空気に飲まれたキャプランは、とっさにそう叫ぶ。

 すると彼の部下たちは、同様の心境であったためか一斉に行動を開始した。


「鍵を開けろ!」

「鍵はどこだ、どこに──」


「鍵ならば牢の中にありますよ、グイネットの皆さん」


 一同の背後から発せられた声。

 それは軽くそして透き通るような声であった。


 違和感を覚えた者たちは、慌てて振り返る。

 そこにはいつの間にか牢から出てきたフード姿の男性が、微笑みながら拍手をする姿があった。


「陛下、お疲れ様でした。いやはや、まさに迫真の演技でしたよ」

「そうかね。君がそう言うのなら、素直に喜んでおくとしよう」

 フード男の言葉に応じたのは、明らかに知性と冷静さを兼ね揃えた声の主。

 そう、まるで憑き物が落ちたかのように柔らかな笑みを浮かべるヨアヒム二世であった。


「というわけで、陛下はここで一度お下がり下さい。巻き添えになってはいけませんので」

「残念だが、そうさせてもらうか。メア、お前も行くぞ」

「嫌です。私は最後まで見届けます」

 それまでまるで人形のごとく沈黙を保っていた少女は、頬を膨らませながら国王の呼びかけに対し首を左右に振る。

 すると、フードの男は困った表情を浮かべながら、窘めるようにその口を開いた。


「申し訳ありませんが、今回は完勝以外の結果を考えておりません。少しでも確率の落ちる行動は控えて頂けましたら幸いです」

「うう……わかりました。でも意地悪です!」

 不満そうに再び頬を膨らませながら、メアはそう口にする。

 一方、突然の状況に固まっていたキャプランは、戸惑いながらもようやく疑念の声を上げた。


「貴様、先程壁を叩いていた男だな。一体、何者だ?」

「セナ……セナなのか!?」

 声を、そして心を震わせながら、ネルソンはその名を口にする。

 同時にフード男は口角を吊り上げ、被っていたフードを取った。


 そしてネルソンはその目にする。

 かつて戦場で共に肩を並べ、そして救うことができず裏切りに等しい最後を迎えさせてしまった親友……セナ・マクルートのその顔を。


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