第5話 必要と不要

「おいおい、見たかよ」

 窓の外を見ていた無精髭姿のランテルは、信じられない光景を目の当たりにしてやや興奮気味に口を開く。


 すると彼の隣に立っていたムバールは、動揺を押し殺しながら平静を装い言葉を返した。


「そりゃあ見ましたよ、隣にいるんですから」

「そういうことではなくて、あの神器のヤバさだよ。あんなもん出されちゃ戦いにならねえぞ」

「大丈夫さ。あれはたった三回しか使えない。それも生命力と引き換えにね」

 その声は彼らの背後から向けられた。

 途端、ランテルは後ろを振り返ると安楽椅子に腰かけた男を見つめる。


「セナの旦那、なんでそんなことまで……まさかあんた、アレの威力を知っていたのかい?」

「まあね。そして予定通り、無人の砦に向かい無駄な一射を打たせることができた。これでふらふらの彼は、あと二射しか撃てない。少なくとも体力が戻るまではね」

 いつものゆるい笑みを浮かべながら、セナはなんでもないことのようにそう告げる。

 途端、ランテルは呆れと感嘆の混じった溜め息を吐き出した。


「はぁ、敵も大概だが、旦那も大概だな」

「そうでもないさ、ここ目掛けて撃たれたら、今すぐに終わる。私も、そして君たちの人生もね」

 それは紛れもなくセナの本心であった。


 だからこそ、彼自身がこの結果に対して最も安堵を覚えている。

 しかし、そのことを彼が表情に出すことは決してなかった。


 一方、そんなセナの発言を耳にして、ムバールは頭の中に存在した無数のピースがハマる感覚を覚える。


「つまりはそんな不測の事態を防ぐため、クーデター派の偽りの勝利を演出した……そういうことですか」

 セナはニコリと微笑むだけで、その問いには答えない。代わりに彼は、確認の問いかけを口にした。


「ランテルさん、次の準備はできていますか」

「勿論だ。祝勝会の準備は完璧だぜ」

 自らの胸をトンと叩きながら、ランテルは大きく一つ頷く。

 それを目にしてセナも満足そうに頷くと、一つの指示をその口にした。


「それは結構。では予定通り、今日はできる限り派手に飲んでください」

「おう。しかし最高だな。飲めば飲むほど仕事になるなんて人生で初めてだぜ」

 通常ならばありえない命令を受け、ランテルは心底嬉しそうに笑う。

 すると、異なる役割を与えられていたムバールは、拗ねたようなそぶりを見せた。


「なんというか不公平ですよね。こっちは当たりを引くかどうかで胃がキリキリしているのに」

「はっはっは、酒に弱い自分を恥じるんだな」

 ニンマリした笑みを浮かべながら、ランテルは勝ち誇ったかのようにそう告げる。

 逆にムバールは、フンと視線を逸らせた。


「ムバールくんも事が終わったら、のんびりお祝いをしましょう。ともあれ、どうやらグイネットの方々が動き出したようですね」

 窓の外を眺めながら二人のやりとりを耳にしていたセナは、港の方角を見つめながらそう口にする。

 すると、気分を入れ替えたムバールがすぐに状況をその口にした。


「細かい数まではわかりませんが、おおよそ半数くらいですか。この王都に向かってくるのは」

「みたいだな。はてさて、うまく行くかねぇ」

 ランテルが何気なく口にしたその言葉。

 それを受けて、セナは苦笑まじりにその口を開いた。


「どうせなら、できる限りうまくいかせたいものです」

「まったくだ。どうせ飲むなら、奴らにとっての祝勝会ではなく、自分たちのためにしてえからな」

 同感だとばかりに、ランテルは何度も頷きながらカラカラと笑う。

 そんな彼に向かい、セナは念のためにと確認事項を口にした。


「ええ。ですので、半数近くが残る港側も、しっかりとした手配を忘れないでくださいね」

「勿論だ。で、その為に動かすのは、旦那の指示で砦の外に待機させておいた軍の正規兵たちでいいんだな?」

「はい。彼らにも手柄と言う名の分け前が必要ですから」

 ランテルの問い掛けに対し、セナは薄く笑いながら、あっさりと首を縦に振る。

 一方、そんな二人のやりとりを前にして、ムバールは軽く肩をすくめながらその口を開いた。


「では、僕も配置につくね。しかし久々に袖を通したけど、どうにもこの服は動きづらいな」

「傭兵稼業が長くなって太ったんじゃねえか?」

 自らが纏った近衛の服の袖を、軽く引っ張ったり戻したりしているムバールに向かい、ランテルは容赦ない一言を浴びせた。

 途端、思わぬ指摘をされた少年は憤慨して見せる。


「どこかの中年おやじと一緒にしないでよ。ともかく、僕は行くよ。他の仲間たちに指示を出さないといけないからね」

 不機嫌そうな表情を浮かべたムバールは、そのままやや大股歩きで図書室から立ち去って行く。

 そしてその場に残った壮年に向かい、セナはわずかに首を傾げながら声を向けた。


「……貴方は行かれないのですか?」

「いまひとつ、旦那に確認しておきたいことがあるんでな」

 真っ直ぐにセナを正面から見つめたまま、ランテルはそう言葉を返す。


「私にですか? お答えできることならいいのですが」

「なあ、旦那。この機に乗じて、本気でこの国を取るつもりはないのか?」

「この機に乗じてこの国を……ですか。はは、勿論答えは決まっています。欠片もそのつもりはありません」

 いつもの陽気さを放り出して真剣な眼差しを向けてくるランテル。そんな彼に向かいセナはいつもの笑みを浮かべたまま、平然とそう回答した。


 訪れたわずかな沈黙。

 そして先に折れたのはランテルであった。


「……いいだろう。ならばいつも通りあんたに従うさ。何しろ俺は雇われの身なのでね」

 それだけを言い残すと、ランテルはそのままセナの元から歩み去って行く。

 そして残された青年は、いつものように安楽椅子にもたれかかると、虚空に向かって呟いた。


「この国をですか。ええ、少なくとも今は必要ありません。そう、今は……ですが」


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