第4話 神弓<ミストルテイン>

「提督、レディ島が見えました。もう間もなくでダグラス王国に着きます」

「そうですか、どうにか陽があるうちに着きましたね」

 船内の提督室にて執務を行っていたネルソンは、一つ頷くとゆっくりと立ち上がる。そしてそのままキャプランに先導される形で、彼は甲板へと足を向けた。


「やはり大きな島です」

 近づきつつあるレディ島をその目にして、キャプランは正直な感想を口にする。

 すると、彼の上官も一つ頷いた。


「ええ、立地としても素晴らしい場所にある。だが国家としてはあまりに小さい」

「だからこそ、あの強欲な宰相どのに目をつけられたのですな」

「私の島流しにもぴったりですしね」

 ネルソンはそう口にすると、自嘲気味に笑う。

 そんな彼を、キャプランは複雑そうな眼差しで見つめた。


「提督……」

「失礼、困らせるつもりはないのですよ。それに君は本土勤務となるよう、私は手を尽くすつもりです」

 戦後の本土勤務。

 それは事実上の副官解任通告とも言えた。


 だからこそ、キャプランは迷うことなく首を左右に振る。


「私の上官は提督だけと決めております。提督がこの地を統括されることになりましたら、その下で骨を惜しむつもりはありません」

「貴方の気持ちはありがたく思います。ですが、皆が島流しにあうと誰も呼び戻してくれるものがいなくなります。この意味がわかりますね?」

 ネルソンが告げた言葉の意味するところ、それは彼が本国へ帰還するための道筋を、キャプランに託すことを意味していた。


「……つまり軍人事を握れということですか」

「握れとまでは言いません。せめて彼の人の影響力を排除できる程度に動いて頂ければ十分です」

 今回の人事および作戦行動は、決して軍主導のものではない。

 敵国での諜報活動から寝返り工作まで含め、その全てを宰相直轄の部隊が取り仕切っていた。


 その事実をネルソンは苦々しく思う。

 つまり軍は彼にとってただの駒に過ぎないと言うことであった。そう、現場で血を流すだけの。


 だからこそ、彼は信頼しうる副官に今後のことを預ける。

 しかし預けられる側となったキャプランは、途端に緊張した面持ちとなっていた。


「提督はまた難題をおっしゃる」

「楽をさせるために、本土に帰って頂くつもりはありません。少なくとも今の私は、公爵家の次男である貴方に頼るしかないのです。そのために必要なことがあれば、何でもおっしゃってください」

「……微力を尽くします」

 国王の甥を窘め、影響力を低下させる。

 それがいかに困難なことかは両者ともにわかっていた。


 しかしながら国王の体調が悪化しつつある現在、宰相の権限がこれ以上拡大することは国に悪影響を及ぼす。それは彼らともに共通して認識している状況であった。


 だからこそ本土のことを公爵家の次男であるキャプランに任せ、自らは必要とあらば捲土重来を期して、この地にて軍務に励む。

 それがネルソンの描く未来図。


 もっとも事は簡単ではない。

 だからこそ自然とネルソンの表情は引き締まり、その視界に大きく写ったレディ島を睨む視線は強くなる。


「何れにせよ、まずはダグラス王国の制圧です。未来を見つめるばかりで、足元を掬われてはいけませんので」

「おっしゃる通りです。その上で上陸作戦に関してですが……」

 ネルソンの発言をもっともだと考え、自らの言動を恥じつつキャプランは本題を切り出す。

 するとネルソンは、厳しい面持ちをしながら背に担いだ大弓を軽くなでた。


「湾内に敵の常備隊が存在していた場合、私がまず一射打ちします」

「提督!」

 事前打ち合わせになかったその言葉。それを耳にしてキャプランは驚きの声を上げる。

 しかしネルソンはその表情を変えること無く、自らの発言の理由をゆっくりと口にした。


「我が弓を彼らに見せておいた方が、制圧にもそして統治にも有効。これはかねてより考えていたことです」

「ですがそんなこと、本土での作戦会議では一度も──」

「グイネットにはあの男の耳が無数に存在します。ですので、この案を提示することはできませんでした。余計な刺激をしたくはありませんので」

 キャプランの発言を遮る形で、ネルソンはその真意を口にする。

 すると、彼の部下は不承不承ながら理解を示しつつ、それでも別の懸念を拭うことはできなかった。


「神弓を使う計画を立てれば、猜疑心の強い宰相が警戒することは事実。ですが、問題は提督のお体です」

「大丈夫です。一射だけならば歩くことくらいは十分に可能。進駐に影響は出ません」

 英雄の象徴である自らの神器。

 それを使うことの意味と代償を天秤にかけた上で、ネルソンは決意の眼差しを彼方へと向ける。


 そんな彼の横顔を目にして、キャプランは発言を撤回させるのは容易ではないと理解した。だからこそ、彼は小さく息を吐き出し、その上で一つ頷く。


「……わかりました。では、その予定で次に──」

 彼はその言葉を最後まで発することができなかった。

 なぜならば、甲板に詰めていた兵士の一人が思わぬ報告を持って、彼らのもとに駆け込んで来たためであった。


「報告します。レディ島の港に我らグイネットの旗がはためいております!」


***


「クーデター軍の一部隊を率いておりますグレン・ラーデットです」

 綺麗に髪を整えた神経質そうな男。

 それがネルソンたちにとって、出迎えに駆けつけた男の第一印象であった。


「提督、この者はもともとこの国の軍官僚でしたが、上官の横領を告発し解任された人物とのことです」

「なるほど、それでですか。権力の腐敗は何処でも起こりうるものなのですね」

 クーデターの一員というには、あまりにその身なりも身のこなしも整いすぎていた。それ故にネルソンはわずかな懸念と疑念を抱くも、彼はキャプランの説明を受け納得したように一度頷く。


「いかが致しましたか、英雄殿」

 小声で会話する二人のやりとりを前に、クーデターの一隊を率いるグレンは、ピクリと眉を動かしながらそう問いかける。

 すると、ネルソンはすぐに首を左右に振った。


「いえ、何でもありません。あと、私のことはネルソンでお願いします」

「了解致しました、ネルソン様」

 完璧な敬礼を行いつつ、グレンはすぐさま眼前の人物の意を受けて行動してみせる。

 それを目の当たりにして、キャプランも満足そうに一つ頷いた。


「それでグレンくん、この国の現状を報告してくれたまえ」

「先日の蜂起の結果として、少なからぬ犠牲は払いましたが、王都内から抵抗勢力を排除することに成功しました」

 改めて佇まいを直したグレンは、眼前の二人に向かい鋭い声で報告を行う。

 すると、キャプランの口から感嘆の声が漏れた。


「なるほど、つまりクーデターは完全に成功。王都は制圧済みと?」

「はい。現状におきまして、宮中および王都の大部分は我らの制圧下にあります」

 港からぎりぎり視認できる距離にある王城の方へと視線を向けながら、グレンははっきりとそう告げる。

 それを受けて、キャプランは満足そうに一つ頷いた。


「十分な結果ですね、提督」

「ええ……ところで、少なからぬ犠牲とは如何程だったのですか?」

「実は事前に一部の情報が漏れており、二箇所の拠点が王軍の襲撃を受けまして……その際に近衛部隊長などクーデター上層部の一部が犠牲となりました」

 沈痛の表情を浮かべながら、グレンは悲しげな声で二人にそう語る。

 そのことを受け、キャプランはなるほどとばかりに一つ頷いた。


「それで姿が見えないのですか……」

 クーデター計画を極秘下に進めるため、レンベルクたちは参加者をセルと呼ばれる小勢力ごとに分け、相互の情報交換を行えぬようにしていた。全てを把握するのはレンベルクたち上層部だけにすることで、万が一の密告を防ごうとしたのである。


 そしてそれが故に、グイネットとの交渉もレンベルクたち自身が極秘裏に行っていた為、キャプランは唯一全容を理解している男の不在に、僅かな違和感を覚えていたのであった。


「しかし指導者亡き後、よくクーデターが瓦解せずにすみましたね」

「いえ、計画の中止も検討しました。ですが、クーデター部隊を分散して配置するというレンベルク隊長のご指示のお陰で、逆に事態を把握しきれなくなった敵が動揺と混乱を来し、その隙に王宮に詰めていた剣聖の後継者が王女と国王を捕虜にした次第です」

 ネルソンの問いかけに対し、グレンは淀み無く報告を行う。

 すると、ネルソンは一つ頷き、そして気になった人物のことを彼に問いかけた。


「なるほど、王族を人質にして王軍を排除したというわけですか。しかし剣聖の後継者……ですか」

「クローネ・フレイザー。我が国で剣聖と名高かったクライス・フレイザーの娘にて、近衛百人長を務めております」

「お会いすることができなかった幻の英雄……あの方には娘がいらっしゃったのですね」

 それだけを述べると、ネルソンはほんの少し寂しげな表情を浮かべる。

 しかしそれは一瞬のことであり、彼はすぐにその視線をグレンへと向け直した。


「……状況は理解しました。改めてクーデターを決起された皆様の奮闘に、深い感謝を」

 咳払いを一つしたネルソンは、グレンに対し率直な感謝の意を述べる。

 だが感謝を向けられた当人は、彼の反応に興味を抱きつつ、それでもなお険しい表情を崩すことはなかった。


「ありがとうございます。ですがまだ、王軍を完全に排除できたわけではありませんので」

「王都からは王軍を排除したのですよね。彼らは今、何処にいるのですか?」

「あちらのクムレンヒ砦に大部分が駐留しております。お恥ずかしながら、砦周囲を囲んではいるのですが、防壁が固く攻略出来ておりません」

 ネルソンの問いかけに対し、グレンは北東の方向に見える大きな砦を指差しながら申し訳なさそうにそう告げる。


「……あの砦ですか」

「元々、ダグラスの王城は守りに向きません。それ故、あの砦が作られました。外敵が攻め込んできた際に、王家全員を移し長期の防衛戦を行うためにです」

「王族が捕らえられ、軍部だけで砦に引きこもることになるとは敵も想定外でしょうね」

 グレンの説明を受け、キャプランはやや皮肉げにそう述べる。

 すると、ネルソンは軽く苦笑を浮かべながら、一つの決断をその口にした。


「良いでしょう。城壁は私が破壊しましょう」

「提督、まさか……」

 ネルソンが口にした言葉の意味。それを理解したキャプランは戸惑いの声を上げる。

 だがそんな彼の耳元で、ネルソンが自らの意を小声で告げた。


「先程も言いましたように、もともと我が弓は一度使う必要があります。なにより彼らのクーデターがうまく行き過ぎている」

「なるほど、このままではクーデターの連中にそれなりの配慮をしなければならなくなるというわけですか」

 上官の危惧するところを理解したキャプランは、静かに頷く。

 確かに彼らの報告を受ける限り、クーデターは想像以上に成功し過ぎていた。


 このままではこの地の統治に際し、彼らを一定以上立てねばならなくなる。そしてそれは決して望ましい形とは言えなかった。

 だからこそ、この場で圧倒的な実力差を見せておく必要があると、ネルソンとしては考えざるを得ない。


 一方、そんな彼らの意図するところを知らぬグレンは、怪訝そうな表情を浮かべながら問いを口にした。


「……一体、何をなされるおつもりですか?」

「先程も申したとおりです。さてグレンさん、危ないので少し離れて下さい」

 そう口にすると、ネルソンは背負っていた大弓に手をかける。そしてそのままゆっくりと弦を引いていくと、彼は砦の方角を睨んだ。


 その行為にグレンは戸惑いを覚える。

 矢をつがえることなくただ弦だけを引く行為に、合理主義者の彼は意味を見出せなかったためである。

 そしてだからこそ、なんらかの儀式的な行為かと彼は解釈した。


 だがしかし、彼は自らのそんな安易な解釈をすぐに恥じることになる。


「天璣の名において請う、光を生みし新緑の神よ、我に星の力の一端を預け給え」

 ネルソンはゆっくりと凛とした声で、呪文を紡いでいった。


 彼の弓はまばゆい光に包まれ始め、そして矢を模した光の束がつがえられる。


 矢に集まる質量を伴わぬ光の束は、やがて甲板を覆うほどに太く、そして船の全長と変わらぬほどに大きくなっていく。

 凪いでいたはずの海面は、いつしかネルソンたちの船を中心に細かい波紋を立て始めていた。


 英雄の奇跡を見たことが無いグレンは、驚愕と言う言葉が生ぬるいと感じるほどの圧倒的な力の密度と規模に、思わず声を震わせる。


「こ……これはっ!」

「君はこちらに付いて正解だった。提督の力を……そう、英雄の力を敵に回さずに済んだのだから。よく見られるがいい。あれこそが我らが誇り、ネルソン・ウォールが放つ、奇跡の一射だ」

 そのキャプランの声とほぼ同時に、ネルソンはその目を見開く。

 そして彼は標的を睨みつけるとともに、奇跡の御業の名を口にした。


「神弓(ミストルテイン)!」

 その言葉とともに、光の束は解き放たれる。


 そしてグレンはその目にした。

 遥か彼方の防壁が膨大な光を放ちながら一瞬にして爆砕するという信じがたき光景を。


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