第3話 配置

「セナさんはなんて言っていましたか?」

「別に」

 椅子に反対向きに腰掛ける美少年に対し、クローネは不機嫌そうにたった一言だけを返す。

 途端、その反応をおかしく感じたのか、無精髭の男の笑い声が接収したこの宮廷会議室内に響き渡った。


「はっはっは、それは報告じゃねえぞ、クローネ」

「ちっ、くれぐれも対応を間違えるな。あいつからはそれだけだ、教官殿」

 軽く舌打ちした後に、クローネはがさつな叔父に向かいそれだけを述べる。

 すると、ランテルは突然ニヤニヤとした笑みを浮かべた。


「ほほう、それはそれは。なんだ、お前はやっぱり旦那に信頼されているのな」

 軽やかに持参してきたオー・ド・ヴィのボトルを口に運びながら、ランテルは満足そうにそう呟いた。

 すると、どこがだと言わんばかりの表情で、クローネは彼を睨みつける。


「おいおい、怒るなって。本気で言っているんだ。あの細かい男が指示を出さないということは、それだけ信頼している証拠だって」

「細かい……だと!?」

 司書を表す形容として、おそらくもっとも程遠い言葉。

 それを叔父が口にしたことに対し、クローネは信じられないとばかりに表情を一変させる。


 しかし同席した彼女以外の者は、逆にそんなクローネの反応を意外な表情で受け止めた。


「おや、もしかして、だらしない男だなんて思ってらっしゃいます?」

「それ以外の何物でもないだろう。あんな男は」

 ムバールの発言に対し、クローネは迷うこと無くそう断言する。

 しかしそんな彼女の発言を、彼女の叔父は小馬鹿にするかの様に笑い飛ばした。


「はは、そりゃあ注意不足だな。だから嵌められるんだ。しかも二度もな」

 二度に亘りクーデター派打倒のために踊らされた事実。

 それをランテルによって指摘され、クローネは不機嫌を露わにする。


 しかしながらそんな彼女に向かい、これまで沈黙を保っていたグレンが、初めて自らの見解をその口にした。


「……あの人は実に繊細な人物です。そう、怖いくらいに」

「つまりお前といい勝負ということか。いや違うな、お前はただ小うるさいだけだった」

 生真面目なグレンの論評に対し、ランテルはすぐに側から茶々を入れてみせる。

 途端、彼はグレンによって睨みつけられる結果となった。


 そんないつもの二人のやり取りに呆れつつ、ムバールは軽く髪をかき上げながら、改めてクローネへと忠告を行う。


「クローネさん。気をつけてくださいね」

「何に対してだ……まさかあいつにか?」

 これまで同様に、クローネの言葉は司書を見下していることを隠してはいない。だがしかし、彼女の表情は明らかにもう一つの感情を映し出していた。


「不安に感じるのもわかります。底知れないと感じるのも。でも代わりはいません。少なくともあの人の代わりは」

「確かにあいつには二度もしてやられた。だがそれは成り行きの結果にすぎない。とてもではないが、そこまで言うような人材とは思えんな」

「すぐにわかります、貴方も。あの人の凄さ、そして本当の恐ろしさが」

 虚勢を張るクローネに向かい、ムバールは真剣な表情でそう告げる。


 だがそんな表情は一瞬のことであった。

 彼はすぐにいつものような柔和な笑みを浮かべると、改めて本題へと話を戻す。


「さて今回の件に関してですが、つまり配置は予定通りで良いんですね」

「先程も言った通りだ。奴は何も言わなかった」

「だとしたら、僕は王の間、ランテルさんは宴会場、グレンさんは沿岸制圧部隊、そしてクローネさんは……」

「わかっている。あの男の護衛ということはな」

 ぶっきらぼうな口調で、視線を逸らしながらクローネはそう答えた。

 その反応に、ムバールは思わず苦笑を浮かべる。


 当初この配置を告げられた時、最も反発し最後まで首を縦に振らなかったのはクローネであった。しかし今、目の前の彼女は渋々であるが拒否をすること無く、役割を受け入れている。


「やはり、あの人と何かありましたか?」

「何もない」

 即座に返されたその言葉。

 それは察しの悪いものでもわかるほど、明らかに何かがあったことを如実に示していた。


 だがそれをつつくと面倒になると考え、ムバールは喉元まで出かかった言葉を飲み込む。

 しかしそんな彼の配慮も虚しく、まったく空気を気にしない男は、笑いながら最悪の指摘をその口にした。


「なんだ、あいつに惚れでもしたか? かっかっか、お前もそろそろ色恋を知る頃だが、旦那だけは絶対にやめ──」

「何か言いましたか、教官殿」

 その言葉と同時にランテルの眼前でクローネの剣が煌めく。

 そして彼は口元がわずかに寂しくなったことを理解した。


 そう、たった一瞬で彼の髭が剣によって整えられたが故に。


「……な、なんでもねえよ。というか、ちょっとした冗談じゃねえか」

 ランテルが慌てて行った弁解。

 残念ながらそれは、クローネの耳には届いていなかった。


 一方、そんな二人のやり取りを呆れながら見ていたグレンは、やむを得ないとばかりに仲裁に入る。


「クローネ嬢。今は大事の前だ。そこの品のない大人を矯正するのはあとにして貰いたい」

「……事が終われば教官に教練をつけて頂く。それで手打ちとしよう」

 僅かに呆けていたように見えたクローネは、そう口にするなり突きつけていた刃を腰に戻す。


 教官時代の末期に一方的にやられるばかりだった模擬戦の記憶。

 それが蘇ったランテルは、途端にげっそりとした表情を浮かべた。


 一方、クローネはいつもの生真面目な表情の下に、複雑な感情と疑問を内包する。


 剣の腕は凌いだと言えど、未だに豪の者として知られる叔父のランテル。

 そんな彼でさえ、首に刃を突きつけられると平静ではいられなかった。


 いや、叔父に限らず普通は誰しもそうであるものだ。

 しかしながらあの男は違った。


 そう、司書を自称するあの奇妙な青年は。


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