第2話 小鳥は飛び立つ
「居候……おい、居候はいるか?」
突然開け放たれた図書室の扉。
そこから姿を現した女性をその目にして、部屋の主は椅子にもたれながらやる気のない敬礼を行う。
「ん、ああ、君か。どうも司令官どの」
「ふん、形だけの敬礼など見苦しいだけで不要だ。それよりも漁民が連中の船影を見たそうだ」
先程、上がってきたばかりの報告。
それを受けて、セナは満足そうに一つ頷く。
「そうか。まあ、ほぼ情報通りってところかな」
「……やはりタイミングまで知っていたのだな」
セナの呟いた言葉を耳にして、クローネは彼を睨みつけながらそう問いただす。
だが返された言葉は、適当極まりない誤魔化しのみであった。
「ん? いや、はは、たまたまだよ」
「セナ……貴様、本当に何者だ?」
目の前の男性の軽薄な笑い。
以前はそれを軽蔑と愚鈍の象徴だとクローネは考えていた。
しかし今は違う。
この男は明らかに何かを隠している。彼女はそう確信していた。
「何者と言われても、ご覧の通りこの国の王宮司書を務めるセナさ。ああ、今はクーデター派の参謀という肩書きもあったか」
セナは軽い調子でいつものようにとぼけてみせる。
だが次の瞬間、彼の口元には鋼の刃が添えられた。
「居候、今日はあの方はいない。貴様を守るものはないことを自覚し、ふざけずに答えろ」
「……ふざけてはいないさ。私の名前はセナであり、そして目的とするのは同じ敵の打倒。さて、何か問題でもあるのかい」
それは全く先程までと同じ調子で、セナの口から紡がれた回答であった。
途端、クローネは寒気を覚える。
僅かに彼女の腕は震え、手にしていた刃はプツリと彼の首の皮を一枚切り裂いた。
流れる赤い一筋の血液。
あまりに異様。
それが彼女の正直な内心だった。
眼の前にいるのはただの華奢な青年にすぎない。
欠片も武威は感じさせず、ただ軟弱なだけの。
にも拘らず気圧されている? この私が?
ありえないとクローネは一度頭を振った。
しかし刃を当てられた人間は、依然として平然と振る舞い続ける。
それを目の当たりにして、彼女は初めて眼前の青年に恐怖を覚えた。
「……まあいい。貴様がこの国に仇成すものだとわかったら、その場にて斬る。覚悟しておけ」
彼女はそう口にしながら剣を下ろす。
それでもやはり目の前の青年は変わらない。
安堵の様子さえ見せること無く、彼はまるで何もなかったかのように口を開いた。
「せっかちなのは良くない気がするな。ともかく、用件はそれだけかい?」
「そうだ。あ、いや、沿岸警備隊……もとい、クーデター派の沿岸制圧部隊は配置についた。その報告は貴様に告げておく」
クローネはわずかに視線をそらしながら、セナに向かい補足すべき連絡事項を告げる。
すると、セナは満足そうに右の口角をわずかに吊り上げた。
「ありがとう。これで準備もほぼ完了か。あとはくれぐれも対応を間違えないでもらえると助かる。基本的に、何事も最初が肝心だからね」
「ふん、貴様に言われなくても万全は尽くす。せいぜいそこで昼寝でもしているのだな」
軍を不本意な形で運用させられているクローネは、先程感じた恐怖を苛立ちで押し殺し、目の前の男に皮肉を告げるとそのまま立ち去っていった。
そうしてその場に残されたセナは、改めて椅子にもたれかかると、おもむろにその口を開いた。
「はぁ……彼女は色々と理解に苦しむな。そう思わないかい、ミリナ」
「彼女を選ばれたのは貴方であったと思いますが……違いましたか?」
その声は奥の書棚の方向から返された。そしてわずかな間ののちに、メイド姿の女性がその姿を現す。
「何れにせよ、少しからかい過ぎではないですか?」
「ふむ、否定はしないかな。正直で気骨のある子は嫌いじゃないから」
ミリナの懸念に対し、セナは苦笑まじりにそう返す。
途端、メイド長の視線がわずかに強くなった。
「ということは、私はお嫌いだと」
「はは、私は守備範囲が広いことで定評があるんだ。だからもちろん君のことも嫌いではないよ」
曖昧な笑みを浮かべたまま、セナはあっさりとした口調でそう告げる。
だがそんな彼の言葉は、軽く鼻で笑われることとなった。
「便利な言葉ですね、嫌いではないというのは……ともかく確認しますが、本当に彼女で良いのですね?」
「賽はもう振られた。今更差し替えることはできないさ。何よりグイネットが来るなら、おそらく指揮するのは彼だからね」
セナの口からその言葉が告げられた瞬間、ミリナは小さく息を吐き出した。
「やはり彼が来ますか。弓の英雄……天璣のネルソンが」
「ああ。でも最初に邂逅するなら彼であって欲しいと願っていた。そしてちょうど彼の国の侵攻先に、彼女が……クローネが居た。これは奇跡にも等しい幸運さ。この国にとっても、あの子にとっても、そして私にとってもね」
目を閉じたセナは感慨深げな表情を浮かべながらそう述べる。
一方、ミリナはあくまでいつもの無表情のまま、小さく一度だけ頷いた。
「貴方がそう言われるのでしたら、私もそう考えるとします」
「是非そうしてくれると嬉しいな。そうそう、彼女はおとなしくされているかい?」
「残念ながら元気が有り余っているようで、メイドたちの手に余っています」
当事者ではなく巻き込まれた形の国王たちは、不快に思いつつも落ち着いて対処している。しかしながら当事者の一人である少女は、ただ待つだけの現状に飽き飽きしてしまっていた。
そんなミリナの報告を受け、セナは思わず笑みをこぼす。
「はは、元気なことはいいことさ。ともかく、彼女にも、そしてその保護者にも伝えておいてくれ。時は来た。小鳥は飛び立つ……とね」
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