第二章

第1話 七星英雄

 海を埋め尽くさんとする無数のガレー船。

 その中でもひときわ巨大な船の甲板にて、一人の青年がどこまでも続く水平線を真剣な眼差しで見つめていた。


「ネルソン提督、こちらにおられましたか」

 突然後方から発せられた声。

 それに気づくと、ネルソンと呼ばれた青年は穏やかな笑みを浮かべながらゆっくりと振り返った。


「失礼、戦いの前に外の空気を感じておきたかったもので。それで何の用ですかキャプラン」

「現地工作員からの報告書のまとめです。先程もご報告させて頂きましたとおり、やはりクーデターは成功したようです」

 キャプランと呼ばれた壮年の男性は、敬礼をした後に告げるべき報告を手短に行う。

 すると、その内容にネルソンは一つ頷いた。


「そうですか。それで具体的には現地はどのような状況なのですか?」

「王都はクーデター派が完全に制圧。抵抗勢力の一部は取り逃したものの、その数は極めて少なく大勢は決したと」

 戦う前から勝利したに等しい報告であったが故、上官を前にしながらも、思わずキャプランの顔から笑みが溢れる。

 ネルソンはそんな彼を一瞬窘めようか迷ったものの、状況的に無理もないと思い敢えて野暮なことは口にしなかった。


「わかりました。あと気になるとすれば、王家の方々のことですが……」

「報告書によりますと、全員捕縛したとの由です」

「ならば結構。では当艦隊は予定通りに。到着はいつ頃ですか?」

「おそらく、夕刻過ぎにはどうにか」

 この船の船長と、ネルソンの副官を兼ねるキャプランは、苦笑を浮かべながら自らの見積もりをそう告げる。

 するとネルソンは、小さく一つ頷いた。


「先程、漕ぎ手の皆さんのところを見回ってきましたが、思ったより息が上がっていました。やはり訓練と実戦は違うということでしょうね」

 ガレー船の速度はオールの漕ぎ手によって決まる。

 そしてネルソンが見て回った彼らの姿は、久方ぶりの実戦出撃故か、些か疲労の色が目立っていた。


「ですので、場合によっては夜間の上陸となりうるかもしれません」

「やむを得ないでしょう。些か平和な時代が長過ぎました。もっともそれをこそ私たちは望んでいたはずですが」

 それだけを口にすると、ネルソンはやや遠い目となる。


 キャプランにとって、それは極稀に上官が見せる表情であった。

 だがその時にネルソンが何を考えているのかを聞いたことはなかった。いや、むしろ聞こうとさえ思ったこともなかった。


 誰しも人には告げられぬことを有している。

 そしてこの表情をしている時の上官は、まさにそのことを考えている時なのだと、キャプランはそう理解していた。


「ともかく、時間に関しては焦っても仕方ありません。食事と休息は順に取らせるようにして下さい」

「わかっています。しかし今回は募集兵でまかないましたが、今後出撃が増えるのなら、我が国も奴隷制度を検討すべきですかね」

「ボランズ騎士国と違い、我が国には王の下での平等を旨としています。正直、馴染みませんよ」

 キャプランの提案に対し、ネルソンは一考さえすること無くそう切って捨てる。

 それはネルソンの感情からの発言であったが、キャプランはそれだけでなく政治的な否定理由を自ら口にした。


「まあ確かに。実際、英雄戦争後の微妙な時期でもありますしね」

「英雄戦争……か」

 やや感慨深い口調で、ネルソンはあの戦いのことを口にする。


「そう言えば、英雄戦争という呼称はお嫌いでしたか?」

「そんなことはありません。ですが英雄に祭り上げられているのは、どうにも受け入れがたいところはあります」

 後者はともかく、前者は嘘である。

 少なくとも彼は、自分からあの戦いを英雄戦争と呼ぶことはなかった。


 七星英雄と呼ばれる彼らは、あの戦いに後味の悪さしか覚えていない。

 だがそんなことは、七星の一つである天璣のネルソンの胸の内でだけのこと。当然、彼の部下であるキャプランの知る由もなかった。


「皇帝を打ち倒した貴方が英雄でなければ、一体誰が英雄だというのですか?」

「気遣いありがとう。だけど、英雄なんていくらでもいますよ。少なくとも、戦争の前なら軍のそこかしこに存在していましたし」

「自信過剰なほら吹きたちと、御自分を同一視されないで下さい。提督の謙虚さは美徳ですが、あまりすぎれば部下たちの不安の種になります」

 それはやや強い口調で発せられた言葉だった。


 実際、キャプランは歳こそ己が上であるも、グイネット王国が誇るこの若き英雄を敬愛している。だからこそ冗談だとしても、あまり自虐的な発言は聞きたくはないと常々思っていた。


「なるほど……そういうものですか。わかりました。少し自重します」

「ありがとうございます。しかし報告を聞く限り、本当にこれだけの規模の船団が必要だったのですかね?」

「必要だと思ったんでしょう。少なくとも、宰相閣下はですが」

 グイネットの国政を実質的に取り仕切っている宰相の顔が脳裏を横切り、ネルソンは頭痛を感じ僅かに額を押さえる。

 するとキャプランは、ネルソンが口にし得なかった言葉をあっさりと口から紡ぎ出した。


「……体のいい厄介払いでしょう。宰相も英雄殿にだけは強く出れませんから」

「もとより政治に介入するつもりはないと言っているのですが。ましてや、腐臭のする権力闘争などなおさらです」

 英雄戦争後、ネルソンは周囲に担ぎ上げられ、いつの間にか軍の重鎮らしき立ち位置に祭り上げられている。

 だがそれは彼の望んだことではありえず、ましてや軍部の伸長を懸念する宰相と対峙するつもりもなかった。


 しかし現在の宰相が就任して以降、軍への締め付けや介入が相次いでいる事実は存在し、ネルソンも最低限の陳情を国王に行った事実はある。

 結果として宰相の宿敵として認識され、近年は事あるごとに不遇な扱いを受けていることは、彼にとってまさに頭痛の種であった。


「お気持ちはわかります。ですが、モグラの如き軍の重鎮共は決して矢面に立ちたがりません。ですので、結果として閣下が人身御供となっておられる。正直に言って、看過できない状況と考えるのですが……」

「やはり虚像なんて持つものではないということですね」

 小さく頭を振りながら、ネルソンはその本心を吐露する。

 すると、キャプランが困ったような表情を浮かべながら、すぐに彼を窘めた。


「だからそう言わないでください。今回も提督が参加されるがゆえに、兵たちの士気もいつになく高いのです」

「宰相閣下に義理はありませんが、確かに兵士たちを預かった責任があります……とはいえ、勝ちすぎても警戒され、負けたら排斥されるだけの戦い。私にとっては最初から負け戦のようなものですね」

「確かに……ですが、戦いの後のことは、終わってから考えるとしましょう」

 それはキャプランの口に出せる精一杯の言葉だった。

 一方、ネルソンは内々に告げられている一つの事例のことをその口にする。


「実は今回の戦いに勝利した後は、現地総督を命じられるという話があります」

「それではまるで厄介払い……まさか」

 想像さえしていなかった話を耳にし、キャプランは信じられないとの思いで首を左右に振る。

 しかしながらネルソンは、やや皮肉げに彼へとその理由を語った。


「そのまさかです。煙たい存在は身近に置きたくない。その考え方は、宰相の唯一ぶれない政治信念ですので」

「困ったものです。しかし納得がいきました。あの軍事予算にうるさい男が、これだけの艦隊動員を認めることに違和感がありましたから」

 国王の甥であることだけが誇りであり、そして権力の源泉である宰相のいやらしい笑みを思い起こしながら、キャプランは疲れたように溜め息を吐き出す。


「おそらく手切れ金のつもりなのでしょう。さて、どうしたものか……」

「ともかく、今回の戦いも含め用心なされることです。あの男は小物ですが、権力だけは有しておりますので」

 指揮官が何らかの不穏な選択肢を取らぬよう、キャプランは慌てて注意喚起を行う。それを彼の上官は、素直に受け入れた。


「ありがとう。気をつけることにします。背を見せて、命をなくすのは我が友だけで十分ですから」

「我が友?」

 他の七星英雄のことかと思いながらも、キャプランの見聞きした彼らの武勇伝にそのようなエピソードは存在しない。だからこそ彼の眉間のしわは自然と深くなる。


 だがそんな彼に向かい、この話は終わりとばかりにネルソンは命令をその口にした。


「……古い話です。あの大戦の時のね。ともかく、忠告はしっかりと胸に刻みました。だからこそ私も君に伝えておきます。夜になれば上陸作戦。休める内に休んでおいてください」

「了解いたしました。では、失礼致します」

 そうしてキャプランは足早に甲板から立ち去る。

 残されたネルソンは彼方を見つめながら、小さく呟いた。


「七年……か。人が腐るには十分な期間です。いや、人だけではなく国もですか」

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