第5話 王女のお願い
翌日の朝、城内は騒ぎというレベルではすまぬ事態に襲われていた。
この国の軍の重鎮たるレンベルク近衛隊長とブローフェ将軍が、完全にその消息を絶ったのである。
家人などと協力して軍が捜索を行うも、二人の姿は一向に見つからず、ダグラス王国は動揺の最中にあった。
そんな中、その一方を葬り去った近衛の女性は、のんびりと卓上遊戯を嗜む二人のもとに大股歩きで詰め寄っていた。
「今日は洗いざらい話して頂きます。レンベルク隊長たちは何をしようとしていたのですか。そして教官達はどうしてあの場に姿を現したのですか。メイド長は元々何をされていた方なのですか。そして何より、あなた方は一体何をしようとされていたのですか?」
まくし立てるように、一気にぶつけられた疑念と疑問。
それを前に、セナは苦笑しながら軽い口調で話を逸らす。
「そんなに一度に色々言われても、私の口は一つしかなくてね」
「別に居候には聞いてなどいない。メア様、お話しいただけますね」
もとよりセナの言葉など信用する気のなかったクローネは、まっすぐに自らの主を見据えてそう告げる。
「……そうね。昨日は働いて貰ったし、貴方の疑問に答えるとしましょうか」
メアは手にしていた駒を一度置き直すと、苦笑いを浮かべながら一つ頷く。そして改めてクローネを見つめると、彼女はゆっくりと言葉を続けた。
「レンベルクたちが何をしようとしていたのか、それはあの場で話した通りよ。純粋に王家からこの国の実権を奪おうと企んでいた。クーデターを起こし、海の向こうの同盟国と交渉するためにね」
「海の向こうの同盟国……まさか」
思いも掛けぬ言葉を耳にして、クローネは戸惑う。
この国と直接的に海上での往来がある国家。それは一つしか存在しない。
「英雄大戦の勝利国であるグイネット。彼の王国は以前からこの小国を欲しがっていたわ」
「海運業の、そして軍事行動における中継点としてこの島は最適の立地ですからね」
メアに続く形で、セナがその理由を補足する。
だがそんな彼らの言葉を、クローネは素直に受け入れることができなかった。
「ですが……彼の国とは同盟関係を締結しています」
「それは英雄戦争前になされた契約。あの戦いで戦前の全ての同盟関係は一度リセットされた。大陸側の各国家はそう認識しているわ。まあもともとこんな小国は交渉対象として視界に入ってさえいないしね」
「そんな、勝手なこと──」
「それが外交。理解しなさい」
首を振りながら否定的な見解を述べようとするクローネに対し、メアはピシャリとそう告げる。
そして彼女が二の句を継げなくなったことを見て、メアは次の回答を始めた。
「ランテルとの関係は、彼が軍を出る前からよ。私が個人的に彼を雇っている。女性関係さえ目をつぶれば、あんな有能な男はそうはいないから」
「それはそうかもしれませんが、叔父は鎖に繋いでおけるような人ではありません」
「ええ、その通り。私も全く同じ認識よ。でも他人の不幸を、特に女性の不幸を見過ごすことができるほど強い人間でもないわ。どこかの誰かと違ってね」
最後の言葉が誰に向けたものなのか、クローネはすぐに察してみせた。
彼女の主が意味ありげな視線をその男へと向けていたが故に。
だからこそクローネは、現在の絵を描いた人物が誰であるのかを理解しえた。そして同時に、彼女はその男を強く睨みつける。
すると、彼は軽く肩をすくめながら、もう一つの疑問を王女の代わりに答え始めた。
「ミリナに関しては、英雄戦争の後にメア様がスカウトしたみたいですよ。帝国と共に粛清された某国で行き場をなくし、どこかの誰かが斡旋したとかしなかったとか」
「またどこかの誰か……か。まあいい、つまり彼女はアイリス王国の関係者というわけだな」
「そう、彼の国の中枢にいた数少ない生き残り。今では貴重ですから、できる限り優しくしてあげて貰えると──」
「セナ!」
軽い口調でペラペラと話す司書に向かい、王女は不機嫌さを露わにしながら彼の言葉を遮る。
それを目の当たりにしたクローネは、これが少女と青年の健全な関係からなされたやり取りとは思えなかった。まだ幼いメア王女が、強い嫉妬に駆られて思わず大声を上げたかのように彼女の目には映ったのだ。
だがしかし司書の青年は、そんな空気など一切気にすること無く、軽い謝罪とともにその口を開く。
「はは、失礼。ともかく、以上が君の質問に対する回答さ。満足いただけたかな、百人長どの」
「……それは新たな侮辱の仕方か」
小隊長を意味する十人長に昇進したばかりのクローネは、セナの発言を何らかの誤りか小馬鹿にしてきたものだと解釈した。
しかしながら、そんな彼女の見解はすぐに否定されることとなる。
「違うわ。今日付けで貴方には百人長になってもらいます。それが突然失踪した、近衛隊長と将軍の最後の仕事だったらしいですから」
死人に口なしとして、人事を偽装する。それがメアの口にした言葉が意味するところであった。
クローネは混乱の極地にあった。
自らの昇進も、昨日の戦いも、そして現在の状況も、その全てが彼女を困惑させるに十分すぎる。それが同時に若い彼女に押し寄せてきたのだ。到底無理もないものだと言えた。
そしてだからこそ、彼女はわずかにすがるかのような口調で、唯一信頼する王女へと問いかける。
「わけが……わけがわからない。一体あなた方は何をしようとされているのです」
「この国を守りたいの。遠からぬ内に攻め込んでくるグイネットからね」
「ですが、国力差は数倍では収まりません。もちろん彼の国が本気でこのダグラスを落とすつもりならばですが……」
「本気さ。既にグイネットでは準備がなされている」
「は?」
思いもかけぬセナの言葉ゆえ、クローネはまるで呆けたかのようにそう口にしてしまう。
だがそんな彼女を気にすること無く、セナは更にその言葉を続けた。
「彼の国のワーキントン港には、すでにわんさかと軍艦が集結しているらしいよ。さて、どこへ送り込むための船だと思う?」
「大陸内での内戦は表向きご法度。クローネ、ここまで言えばわかりますね」
英雄戦争後に、大陸では各国間の騒乱を禁ずる七カ国協定が結ばれていた。もちろんその効力は限定的であり、以前より悪関係にある国家間では小競り合いが続いている場所もある。
しかしながら、表立って他国支配に打って出る国家は、現在に至るまで戦後存在しなかった。
「まもなく彼らはここに侵攻してくる。少なくとも、我々の十倍以上の軍を率いてね」
「十倍以上……だと……」
想像さえできぬほどの数を告げられ、クローネは思わずその場に立ち尽くしてしまう。
すると、彼女の動揺など気にする風もなく、セナは軽い口調で冗談を口にしてみせた。
「だから彼らは王家をスケープゴートとして差し出すことで、自らの保身をもくろんでいた。うん、実に現実的な考え方で、悪くない目の付け所だね」
「貴様、どちらの味方だ!」
「私かい? ふむ……そうだね、どうにもグイネットは好きになれない。料理も美味しくないしね」
軽く肩をすくめながら、セナはそんなことを口にする。
置かれた事態を前にして、クローネにとってそんな彼の反応は許しがたいものであった。だからこそ、彼女は思わず彼に詰め寄りかける。
しかし、そんな彼女に向かい、一人の少女が機先を制した。
「クローネ、貴方に頼みがあります」
「……何でしょうか、メア様」
王女の前で我を忘れかけたことを恥じながら、クローネは直立不動の姿勢でメアの言葉を待つ。
すると彼女は、一つの問いかけをクローネへと向けた。
「貴方はこの国を、そしてこの私を守る覚悟がありますか?」
「もちろんです。父から預かったこの剣を捧げる対象は、この国と貴方のみ。そのためならば、いつだってこの身をかける覚悟はできています」
それは全く迷いのない言葉であった。
女性であるが故に、剣の実力を正しく評価されず、軍の中で燻り続けていたクローネ。
そんな彼女を近衛へと引っぱり上げてくれたのは、間違いなく目の前の少女であった。
だからこそ、彼女の決意に揺らぎはない。
一方、そんな彼女の志を感じ取ったのか、メアは小さく頷き、改めてその口を開く。
「憂国の士たるクローネ・フレイザー、貴方にこの国を守るための命令を下します」
「何なりとおっしゃって下さい」
メアの毅然とした強い意志を感じ取ったクローネは、彼女の前にひざまずき頭を垂れる。
既に彼女の頭の中から、取るにたらぬ司書の存在など消え去っていた。
残ったものは騎士として主の命を果たさんとする強き意志。
だがそんな彼女へ告げられた命令は、想像を絶するものであった。
「今この場で、私を捕らえなさい」
その言葉は図書室内に響き渡った。
同時に、クローネは何かの聞き間違いではないかと感じ、無礼であることさえ忘れ去り思わず問い返す。
「は? 何を、今何を言われたのですか」
困惑と戸惑いが混ぜ合わされたクローネの表情。
それを真正面に見つめながら、メアは不敵な笑みを浮かべ、改めて同じ命令を彼女へと告げる。
「重ねて言います。クローネ、私を……この国の後継者であるメア・ダグラスを捕らえ監禁なさい。全ては来るべき戦いの時のために」
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